第29話 どこまでも傲慢に、欲望全開で
窓辺に椅子を置き、ぼんやりと外の景色を眺める。ティンと比べると少し控え目に光るノイシュタットの夜の街に、薄曇りの空から落ちる雪が降り積もっていく。
「……結局見れなかったな、オーロラ。別にいいけど……」
ふと、リュックの中に油紙で包んだまま、開いてさえいない冬休みの課題を思い出す。……精霊と人間の交流を回復していた、と正直に話したら、教師たちも大目に見てはくれないだろうか?
「ダメだろうなあ……。あー、憂鬱だ……」
「マスター」
振り向くといつもの軍服姿のチルカが、客室の部屋の扉を開けて入ってきていた。
「お疲れ。無事完了?」
「あい。睡眠機能、搭載いたしました。さっそく今晩テストを行おうと思います」
「おお、ついに一緒に眠れるんだ……大いなる一歩って感じがするなー」
チルカは両脚を揃え、ベッドへ上品に腰かけると、僕を見ながら言った。
「あい。ある意味では……私の初めての夜です」
「な、なんか言い方がエロい……」
チルカは僕の背後へと視線を移すと、静かに言った。
「今夜は雪が綺麗ですね」
「うん……そんなに積もらないといいけど」
「……人は、悪夢というものを見るそうですね」
「あー……うん。だいたいは心配ごととか、その日にあった嫌なこととかがごちゃ混ぜになって襲ってくる感じ」
「私は今、非常に強く懸念していることが一つございます。このまま就寝した場合、高い確率でその事柄についての悪夢を見てしまうと推測されます」
「む……それは由々しき事態。それで……心配してることって?」
「……あなたが生命活動を停止することです、マスター」
「………………」
「わかっています……それが、避けられない別れであることは。ですが、それを仕方のないことだと割り切る合理性は、あなたを愛したその瞬間に、私の思考回路から永遠に失われてしまいました」
僕は椅子から立ち、チルカの隣に座った。彼女はごく自然な動きで、僕の腰に手を回した。僕も同じようにする。
「責任は……取るよ」
「どのようにして、ですか」
「チルカと同じだけ生きる。ちょうどよく遡行魔法もあるし」
「……………マスター。私はあなたのことを、初めて憐れだと感じました」
「憐れ……僕が?どうして?」
「あなたはいつも、自分の心に従って生きている。ですが今は……ただ欲望に振り回されているだけです」
「いいじゃないのさ、よくぼー全開で」
「遡行魔法で肉体の維持ができたとしても……人の精神は、悠久の時に耐えきれるようにはできていません。あなたはきっと、千年も経たずに発狂してしまうでしょう」
「そんなのやってみなくちゃわかんないじゃん!」
「それだけではありません。人の絆も、社会も、文化も、政治も、全て人間がいつか死ぬことを前提にして作られているのです。不死性を得た人間など、もはや人間ではありません。……人の形をした、魔物のようなものです」
「それはそれで楽しそうだと思っちゃうけどなー、僕は。『あれは今から36万…いや、1万4千年前だったか』とか言ってみたいし」
「ねい。断じてねいです。私のためにあなたがそんな異形になり果てることなど望みません」
「保守的だねー……」
「あなたが死ぬ前の日に、当機のソウルユニットを破壊してください。それが私の望む……一機のオートマタへ愛を教えたことに対する、あなたの責任の取り方です」
チルカの言葉に、僕は怒りを感じた。うまく言えないけれど、彼女の言っていることは運命を受け入れて、諦めることのように聞こえたのだ。
「それこそ責任放棄だよ、チルカ。先輩を失ってみて確信した、この世に『幸せなバッドエンド』なんてないんだよ。
もう何一つ失いたくなんかない、だから僕はチルカを殺したりなんかしない、悲しませたりしない、自分を犠牲にしたりしない!
僕は、チルカも自分も、それからリィもアイネスも……全員が幸せになれる結末を選び取ってみせる!」
「どこまで……傲慢なのですか、あなたは」
「僕と僕の好きな人たちが楽しく暮らすために必要な範囲内で、どこまでも」
チルカは瞳を赤く光らせて僕を見つめていたが、やがて目を閉じて首を振った。
「……やめましょう、マスター。当機は、あなたとの口論を望みません」
「同感。この話はまた、50年後くらいにしよっか」
「……その時には、あなたが現実をより深く理解していることを期待します」
「努力しまーす。でも約束はできませーん。ひひひ」
「あなたは……時折悪童のように振舞われますね」
「…………。
心を許してる証拠......かもね。甘えてるんだよ、チルカに」
「そうなのですか?私にはまだ少し、複雑すぎます。
……なんにせよ、マスターには今夜、私を悪夢から守る責任があります」
「それは……確かに。
始めての夜に悪夢を見るなんて、あんまりだもんね。……どうしたらいいかな?」
チルカは僕を抱き寄せると、そっと唇を重ねてきた。冷たく乾いた唇は僕の熱を奪い、滑らかな人工皮膚を通じて、彼女の排熱機構の微かな振動を体に感じる。
「あなたの生で、私を満たしてください。
あなたの死を、今夜だけは忘れてしまえるように……」
唇を離したチルカは僕を見上げてそう言うと、的確な手際で僕の服を脱がし始めた。




