第26話 透明な少女、千年の孤独
「わー……」
無の境地で気流に乗せられた僕は、暖かい日差しに包まれた。そして、ふわふわした毛皮に抱き止められる。足元に色とりどりの花が咲いていた。心地いいそよ風が吹いている。
「お疲れ様です、マスター」
「あーちるかだー」
「あい、チルカでございます」
「……ごーる?」
「あい、ゴールでございます」
「とばなくていい?」
「あい。もう気流に乗る必要はございません」
「……っしゃあ!!!やった!やった!やった!!」
僕はチルカと手を取り合い、喜びの余り小躍りした。
「ふふ。マスターがお喜びになられると、私も嬉しいです」
「喜び二倍だからね!
ところで……ここどこ?」
「不明です。ただ……とても、素敵な場所ですね」
辺りには見渡す限りの花畑と、抜けるような青空が広がっている。他に見えるものといえば、少し遠くにある石碑と、その横に立っている……。
「……透明な……女の子?」
「あい。恐らくあれが、次の試練なのでしょう」
「とりあえず、近づいてみよう。あの女の子……魔物じゃなさそうだけど、一応警戒はしとこうね、チルカ」
「承知いたしました」
僕たちが近づくと、透明な少女はふわりと飛び上がり、どこかへ消えてしまった。
石碑には白いペンキのようなもので乱雑な文字が記されており、その下には碑文と、向かい合った二人の兵士の絵が刻まれている。一人は手にした剣で、もう一人を刺し貫いていた。貫かれぐったりとした兵士の背後には、笑みを浮かべる髪の長い顔の落書きが付け加えられている。
「な、なんか落書きされてる……」
「『捕まえてみなさい、クラトス!』と。碑文には……『平和へ至る道は、贖罪無くして完成しない。過ちを犯した同族を、切り捨てる覚悟を見せよ』とあります」
「あの女の子を捕まえればいいってこと?……でも、贖罪とか切り捨てるとか、なんか物騒だね……」
「少々お待ちください。捕まえて参ります」
「え?でもあの子どこかに行って……」
稲妻のように駆けだしたチルカは、地平線の彼方に消えた後、一瞬で戻ってきた。
「早!あれ、でもあの子はどこ……?」
「が、が……」
「チルカ……?」
「がおーーーーっ!!!」
「うわあっ!?」
チルカが両手を上げて僕に飛び掛かり、押し倒す。
「チルカ!?……うひゃ!やめ、わきの下くすぐるの……はははははっ、ふひひひひひひ!だめ、脇腹はっ……ひきゃはははははははははっ!!く、苦しっ……!」
チルカは存分に僕の全身をくすぐりまくったあと、突然動きを止めた。彼女の身体からぬうっと透明な少女が抜け出し、僕の鼻をつねる。
「いちっ!……ひーっ、ひーっ……」
「きゃははははは……」
無邪気な笑い声を残して、彼女は溶けるように消えてしまった。
「ハッ。私は、今まで何を……。ま、マスター?なぜ、私の下に敷かれていらっしゃるのですか」
「……僕、チルカに押し倒されてくすぐりの刑を受けてたんだけど」
「……っ。た、確かにメモリーにはそのような記録があります。申し訳ございません、遠方にいたあの少女と接触した瞬間、意識が途切れてしまいました」
「むーん……それじゃあの子は、触った人の意識を乗っ取っちゃうってこと?」
「恐らくは、そうではないかと思われます」
「困ったなー……触れないんじゃ、どうやって捕まえたらいいんだろーか……」
「あの碑文......そして刻まれていた絵……」
「チルカ?何か思いついたの?」
「ねい。何も思いついておりません」
「そっか。……とりあえず、僕も捕まえられるか試してみていい?実は人間は乗っ取れない……とかないかな?」
「やってみましょう」
・・・・・・
「………………」
「ち、チルカ……その、ごめん......」
「ねい。マスターに落ち度はございません。逃げることの出来なかった、当機に非があるのです」
僕の下に敷かれたチルカは墨で落書きされた顔をこちらへ向けながらそう言った。僕の手には見覚えのない墨壺と、たっぷり墨を吸った筆が握られている。
彼女の上から移動し、筆を放り投げて言う。
「僕も普通に乗っ取られてしまった......。ていうかチルカ、なんで逃げなかったの?」
「そ、それは……」
「あ、憑依解除の瞬間を狙ってたとか?」
「……あい、その通りです。決して、マスターに飛び掛かられた瞬間、あんなことやそんなことを期待してしまった訳ではありません」
「期待しちゃったんだ……」
「ありませんのです」
「じゃ、次は憑依が解ける瞬間を狙ってみようか……」
チルカに少女を憑依させ、くすぐりに耐える。長い苦痛の後、チルカの動きが止まった。
「ぶひゃははははははあは……っ、今だっ!」
透明な彼女に腕を伸ばした瞬間、意識が途絶える。
「……あれ?」
「作戦失敗です、マスター」
気付くと僕の手にはむしられた花が握られており、体の下のチルカは、花びらまみれになっていた。
「うわ、めっちゃ手が青臭くなってる……。
これは無理やり捕まえるのは無理だね……」
「…………マスター、あの」「よし!じゃあ向こうから来てもらおう!北風と太陽作戦!」
「………………」
「あ、チルカ、何か言おうとした?」
「ねい。北風と太陽作戦、実行します」
荷物の中にあったダガーや鍋、干し肉や水筒をチルカに渡し、チルカにお手玉してもらう。
「さあさあ、世にも珍しいお手玉するオートマタだよー!すごいよー見て行ってー!」
「お手玉オートマタのチルカです。よろしくお願いします」
遠くから僕たちの様子を見ていた少女が、そろそろと近づいてくる。
「よし……!」
彼女はチルカの鮮やかな手さばきに興味を惹かれたようで、宙に舞う雑貨をじっと見つめている。近くまで来た少女に、僕は声をかけてみた。
「……ねえ、君」「○○!?○○○○○○っ!」
「あ……行っちゃった」
「……今の言葉は……」
「チルカ、何かわかるの?」
「あい、彼女は古代メルクニス語で『きゃ!?なによバカっ!』と喋ったように聞こえました」
「メルクニス語?それって前の神殿でもあったやつだよね?
それじゃ、あの子は精霊ってこと?」
「それは分かりかねます。ですが、こちらから対話を試みることで、何か情報が引き出せるかもしれません」
「わかった。それじゃ、また近づいてきてくれるまで待とう」
「あい。引き続きパフォーマンスを続行します」
「ぼくもなんかやろ......」
・・・・・・
「世にも珍しい空飛ぶコートだよー!種も仕掛けもちょっとしかありませーん!」
コートを脱ぎ、風魔法で浮かせる。
「お手玉2個増量中です。いかがでしょうか」
チルカも気合が入っているようだ。
僕たちの間の抜けた騒ぎに興味を惹かれたのか、また透明な少女が近づいてきた。それを見たチルカが、静かに声を掛ける。
「○○○○○○○○」
「……!○○○○、○○○○○○!?」
「あい。○○○○○○○○○○○○○○?」
「○○○○!○○○○○○○○○○!○○○○○○○○○○○○○○○○!!」
「なんかめっちゃ喜んでる……」
透明な少女はチルカに向かって興奮したようにまくし立て、チルカは淡々とそれに答えていた。会話は長く続いたが、やがて少女はかんしゃくを起こし、地団駄を踏むとチルカに向かって飛び掛かった。
「あ」
「が、がが……」
「や、やだ……もう笑いたくない……」
「がおーーーーっ!!!」「ひえええええっ!!!」
しばらく後、僕は引きつった腹筋の痛みに耐えながらチルカに聞く。
「あの子と何を話してたの?」
「彼女はムーンスターに協力してこの神殿に残った、風の精霊だそうです。名はアウラと。現在の精霊界と人間界の様子について尋ねられたので、答えていました」
「なんか、怒っちゃったみたいだけど……」
「……彼女はこの神殿ができる直前、ある人間と約束をしていたようです。祈りの魔石を手に入れるため、いつか必ず彼女に会いに来ると。精霊界との繋がりが回復した時には、共に暮らそうと」
「……ムーンスターのベッドに、魔石は一つもはまってなかったよね」
「あい。彼女自身、もう何百年も誰もこの場所を訪れていないと言っていました。その人間は既に死亡している可能性が非常に高いと説明したところ、そんなはずはない、彼は私の恋人だったのだからと憤慨し、私に憑依してきたという次第です」
「……この神殿にたどり着くまでの道のり、結構険しかったよね。神殿の中にいる魔物だって、普通の人には手に余る強さだろうし……その人、どこかで亡くなっちゃったのかな……」
「戦争の余波に巻き込まれ死亡してしまった、所帯を持ち若い頃の約束を忘れた、等の理由も考えられます」
「千年も……待ち続けてるんだ、あの子は。
なんかちょっと、僕を待ってた先輩と似てるな……」
精霊の少女はへそを曲げてしまったらしく、僕たちのところへ戻ってくることはなかった。いつの間にか日が暮れ、辺りが暗くなってくる。
「野営の準備をしましょう、マスター」
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