第15話 氷の精霊、グラシエラ
「だれがおばあちゃんじゃい!グラシエラ......ここは禁足地じゃぞ!急々に去ね!」
「ごめんね、おばあちゃん。でも、彼は強くボクを求めてる。感じるんだ……ボクの中に残った、記憶の欠片がざわめくのを……」
「ぐ、グラシエラ、お主......」
「こんにちは、キリハラくん」「ひえええっ!!」
「ああごめん、驚かせちゃったかな?」
突然目の前に現れた青い肌の少女は、屈託なく笑いながら僕を見つめている。その瞳は暮れ始めた太陽のように明るい橙色で、艶めく短い髪は、新雪のような純白だ。彼女の身にまとっている衣は透き通っており、すらりとした身体の輪郭が見える。
「初めまして、ボクはグラシエラ、氷の精霊さ」
「……...........」
僕は何も言えず、ただ彼女の神秘的な美しさに見とれていた。
「フジワラさんに似てるかな、ボクは?」
「っ……!いいえ……でも、どこか懐かしい気がします。初めて会った気がしないって言うか……」
「フフフ……生まれてからずっと、キミのことを見ていたからかな」
「え……」
「お主ら……わちきを差し置いて、何を話しておるのじゃ!」
「おばあちゃん、悪いけれど、少しの間二人きりで話させてくれるかい?大事なことなんだ」
僕達の周囲が氷のドームに囲まれる。風の音が遠くなり、のけ者にされたオネイロックスが腕を振り回し飛び跳ねながら怒っているのが見えた。
「ああ、怒らせてしまったな……。けれど、これで落ち着いて話せるね」
「あ、あの……ええと……なに話せばいいんだろ……」
「会いに来たんだろう、フジワラさんに。ボクは彼女ではないけれど、彼女の記憶を受け継いでいる。聞きたいことがあれば、答えるよ」
「……先輩は……先輩は、死ぬ瞬間に何を考えていましたか」
「安堵していた。冥華に蝕まれる苦しみから、ついに開放されたことに……そして何より、これ以上誰も傷つけずに済むことに。あと、キミの成長に満足していたよ。キミなら必ず、獅童善一郎を倒してくれるだろうと確信していた」
「先輩は……先輩は、後悔してませんでしたか?僕に殺されるようなことになって」
「いや。むしろ、自分の罪を精算してくれたのが、キミでよかったと思っていた。最愛の人に与えられた死は甘く、安らかなものだったよ」
「そうですか……よかった、僕の独りよがりじゃなくて……」
「あ、最期に一つだけ心残りはよぎったけど……」
「な、なんですか、それは!?」
「うーん、秘密にしておこうかな。彼女の名誉のために、その方がいいと思うんだ」
「そ、そうっすか……」
「他に聞きたいことはある?なければ、実はボクもキミに聞きたいことがあるんだけど」
「……あと二つだけ、いいですか?」「もちろん」
「あなたは……自分が空っぽだと思いますか」
「いいや。ボクには優れた魔法の才能と、高い知性、尽きぬ好奇心、そして……フフ、この美貌がある。ボクという器は、満たされているよ」
「世界は……自分を愛していると思いますか」
「ああ。ボクが世界を愛しているようにね」
「そっか。先輩は……なりたかったものになれたんだ……」
「……とても、悲しい心の持ち主だったね、彼女は。心の中の虚空に、いつも押しつぶされそうになっていた」
「………………」
「愛を伝えることも、受け取ることも苦手で……キミだけが、心を開ける相手だった」
「っ……!」
「キミは、彼女にとって世界との繋がりそのものだったんだ。彼女は……キミを通じて世界を少しでもいい場所にしたいと、強く祈っていた……」
「はい……先輩は破天荒で、不器用で……でも本当は誰よりも優しくて、僕達のことをっ、愛、して……」
涙が僕の頬をつたい、流れていく。グラシエラは何も言わず、冷たい体で僕を抱きしめた。
「……羨ましいな、彼女が。こんなに真っすぐに強く、愛し合える人と出会えただなんて」
「ぐすっ……ふー……。す、すんません、もう大丈夫です」
グラシエラは僕から離れると、いたずらっぽく笑った。
「もういいのかい?ボクはもっと触れ合っていてもよかったのだけれど」
「え……い、いやそんな、照れるっす……。あそうだ、グラシエラさんの質問ってなんですか?」
「ああ、ええと……ボクは、ずっとキミのことを見ていたって言っただろう?ボク達精霊には、繁殖という概念がなくてね。それでどうしても気になったことがあって、いやこれは純粋な知的好奇心からくる疑問だから、誤解しないで欲しいんだけど……」
「前置きが長い……。それに、繫殖......?なんか嫌な予感が……」
「た、単刀直入に聞くよ。キミは、チルカとも肉体関係を持つつもりなの?」
「…………あのー、まさかとは思うんですけど、『見てた』っていうのは、僕がベッドの上でリィやアイネスとしてたことも含めてですか?」
「……だ、だってこちらの世界は本当に何もないんだ!ボクだって一抹の罪悪感はあったけれど……それでも刺激に満ちたキミたちの世界を覗く誘惑に勝てなくて……!」
「なんで僕なんっすか!もっといい人いたでしょ、いくらでも!」
「……キミじゃなきゃ、駄目だったんだ。普通の精霊は、キミたちの世界を知覚できない。ボクのように人の魔力から生まれた精霊だけが、その記憶を辿ってそちら側を覗き見ることができる。フジワラさんの記憶を辿って見えたのは……キミだけだった」
「まあ……先輩は、僕のことしか見えてなかったっすからね」
「それで、その、チルカとは……いや、ごめん。やっぱり答えなくていいよ。ずっと見ていた君と実際に出会えたことが嬉しくて……つい、個人的過ぎることを聞いてしまった」
「……したいと思ってますよ、チルカとも。チルカさえ良ければ、ですけど」
「…………!ほ、本当かい?チルカはオートマタだけれど……それでも?」
「チルカとは、長い時間を一緒に過ごしてきました。旅をして、助け合って、お互いの悩みを打ち明け合った仲なんです。僕はもうチルカと離れたくないし……出来るなら、もっと深い仲になりたい」
「……キミにとって、種族の差なんて小さな問題なんだね」
「あいや……寿命はどうしよっかなって思ってます。チルカを独りにしちゃうのは、嫌だなって……」
「キミは……本当に優しい心の持ち主だね。いつだって誰かの心配をして、自分が何をできるか考えている」
「嫌なだけです。好きな人が、悲しい思いをするのが。そんなの全然、楽しくないじゃないっすか」
僕達を囲うドームめがけ、オネイロックスが巨大な火球を吐き出す。衝撃と共に、ドームの壁にひびが入った。
「ああ……もっと話していたいけれど、もうボクの力がもたないみたいだ。……最後に一つ、お願いをしてもいいかい?」
「なんですか?」
「友達に……なってはくれないだろうか。キミにとってボクは覗き魔のようなものだから、嫌かもしれないけれど……」
おずおずとそう言ったグラシエラの手を握って、僕は言う。
「もちろん、いいですよ。なりましょう、友達」
「あ、ありがとう……!やった、人間の友達ができた……!」
「ただし。……今後はプライバシーの尊重を要求するっす」
「も、もちろんだよ!約束する!」
「ホントっすね?こっそり見てたら頬っぺた伸ばすっすよ」
「ほ、ほっぺたを!?なんて恐ろしい……」
「それはいいとしても……会うたびにこれじゃ大変っすね。ノイシュタットまで行くのも時間かかるし……」
「それなら、いい方法があるよ。キミが眠りに就いた、ムーンスターのベッドだけれど……四隅の柱の先に、台座のようなものがあったことに気が付いたかな?」
「あ……はい。あれなんなんっすか?」
「あれは、ムーンスターの目覚めを祈って、精霊たちが残した魔石を置く場所なんだ。全ての魔石を揃えれば、ムーンスターは目覚め......精霊は再び、自由に君たちの世界へと行くことができるようになると言われているんだよ」
「精霊たちの祈り......それってヴルカーン山にあるっていう、火の神殿にあったりしますか?」
「よく知っているね、その通りだよ。ノイシュタットの周りには、ムーンスターを慕っていた精霊たちが集まって作った神殿が、他にも二つある。そのそれぞれの最奥に、祈りの魔石が安置されているはずだよ」
「神殿は三つ......最後の魔石は、どこにあるんですか?」
「それは……うわっ!?」
凄まじい衝撃と轟音と共に氷の壁が砕け散り、怒り心頭といった様子のオネイロックスが歩いてくる。
「……こりゃーっ!!お主ら、この夢の番人であるわちきをコケにしくさって……覚悟はできておるのじゃろうな!?」
「またね……ハルト」「え!?ちょっと待って!置いてかないで!」
「ぼん……丸焼き、水責め、氷漬け、電気しょっく、毒まみれ……好きな死に方を選べ」
「死に方......!?ふ、腹上死!」
「……たわけがッ!ちぇすとおおおっ!!!」




