2024/10/8(火曜日)2/2
その夜、あたしはヘッドフォンを装着してPCの前にあぐらをかいて座っていた。入浴は済ませたけど制服を着ている。
ぴこん、と画面が音を立てた。
『あ、あ、聞こえていますか』
「はい、聞こえていますよ。こちらの声は届いていますか」
少し時差を置いて応じる声。
『はい、届いております。お待たせしてしまい申し訳ありませんでした』
「いえ、あたしが予定よりも早く行動しただけですから」
お気遣い感謝いたします、と画面に映る男性は微笑んだ。
「詩ノ葉プロダクションの今別府と申します。北原伊都さん、本日は貴重なお時間を割いていただき誠にありがとうございます」
いまべっぷ、というそうだ。やっぱり珍しい名字だ。
今別府さんとの面談は、早速今日の二十時に組まれた。この先はしばらく予定がびっしりのようで、今日あたしと面談できることを今別府さんは喜んでいた。
ZOOMを使うのは中学二年生の頃、コロナがピークでオンライン授業を受けていたとき以来だけど、問題なくアプリを操作することができた。
わざわざ足を伸ばさずとも画面を隔ててコミュニケーションを取ることができるのはありがたい。ひと昔前にあたりまえの日常を一変させたコロナウイルスはたくさんの不便を運んできたけど、ちょっとだけ便利も運んできた。
しっかりした受け応えから壮年の男性を想起していたけど、意に反して今別府さんは涙ぼくろが印象的な若い男性だった。
『高校生?』
「はい。高校二年生です」
『高校二年生! すごいな最近の若い子は』
高級感あふれる革シーツの椅子の背もたれにどっしりと体重を預ける。
一挙手一投足が過剰に大きく、コミュニケーション巧者だなと思った。さすがは代表取締役だ。
それから最近ハマっているアーティストは誰かとか、今月末はハロウィンだとか、なんでもない話をいくつか重ねて互いの緊張が緩和したところで、今別府さんは本題を切り出した。
『それじゃあ弊社について軽く説明するね』
詩ノ葉プロダクションは、三年前に設立されたばかりのベンチャー企業とのこと。あたしでも知ってる某有名出版社の社長が、横読みマンガ以外の分野にまで活動の裾野を広げないと直に後悔する、と数年後の自分たちの身を案じたことが事のはじまりだったそうだ。
社長が目をつけたのは、WEBTOON・VTuber・素性不明アーティストの計三つ。
これだけ聞けば、あたしがそのどれに該当するのかは聞かずとわかる。
『いずれの分野も徐々に地盤が固まりつつある。ここ三年、年を重ねるごとに収益は伸びていて、昨年は前年度の四倍の収益を叩き出した。とはいえ活動の主軸がクリエイティブである以上、この先、必ずしも停滞することなく成長できるとは言えないけれど、僕は詩ノ葉プロダクションが誰もが知る会社になるのは時間の問題だと思っている。その中心メンバーのひとりに伊都さんが欲しいんだ』
告白でもしてるのかってくらいに本気の眼をしていた。
悪くないな、と思っている。
活躍しているアーティストの何人かはたまたまだけど知っていたし、収入もしっかり入りそうだし、なにより代表取締役がこの人ならあたしは自分でも想像がつかない世界に羽ばたいていける気がする。
けど。
「ひとつ、いいですか」
『もちろん。ひとつと言わず、少しでも疑問に思ったことは遠慮なく伝えてほしい。ミスマッチはどちらにとっても良くないからね』
その通り。だからしっかり伝えておかなくちゃいけない。
「今別府さんは、方位磁石についてどこまで知っていますか」
『二年前にYouTubeに一本のオリジナル曲を投稿し、その後も定期的にオリジナル曲や流行りの曲のカバー動画を投稿する素性不明のアーティスト。しばらく鳴かず飛ばずの期間が続くけど、「深青の宝石と浅い僕ら」がバズり知名度が急上昇。しかしその後、去年の十二月に発表した十曲目のオリジナル曲、「メリー喰らいます」を最後にオリジナル曲は発表されていない』
「めちゃくちゃ知ってますね……」
自分で聞いておきながらちょっと引いてしまった。ま、スカウトする立場にいるんだから相手のことはそれくらい調べるのが当然っちゃ当然なのかもしれないけど。
これまであたしに声を掛けてきたやつらは、そこまで方位磁石を理解していなかった。
そして、これからあたしが伝える事実を聞いてスカウトをなかったことにした。
「結論を言ってしまうと、作詞してたのと歌を歌っていたのは、あたしじゃないんです」
『え?』
「方位磁石はあたしとあいつ。……絶交した幼馴染みと組んではじめて完成するアーティストなんです。あいつは訳あって音楽を辞めてしまったんです」
方位磁石はソロアーティストだとネット業界で認知されている。そうなるよう仕向けたのはあたしたちで、デビューしてから実はふたりでした、と明かして世間を面食らわせてやろう、なんて魂胆があったけど、その思惑は未来永劫世に露呈することはないのだろう。
『そうだったんだ』
今別府さんは煮え切らない反応を示す。
YouTubeのコメント欄に目を通せば一目瞭然だけど、方位磁石が評価されている要因は澄んだ歌声と、誰もがきっと経験したことがありながらも言語化することの難しい感情を的確に表現する文学性にある。
どちらも南野の担当だった。
翻って曲調はどこかで聞いたことがあるものだと非難されがちだった。
二番煎じだのパクリだのボロカスに言われて、それが正鵠を射ているものだから、あたしは忸怩たる思いで下唇を噛むことしかできなかった。
「あいつには天賦の才がある。けど、あたしは凡才なんです」
天才だって信じてた時期もあった。
具体的には中学二年生の頃。あいつの誘いでギターをはじめたあたしは、一か月もすればコードを押さえられるようになり、三か月が経つ頃には簡単な曲を弾けるようになっていた。たった三か月でここまで上達した自分にはギターの才能があるのだと胸を躍らせた。それまであたしにおおよそ才能と呼べるなにかはなかった。
そこが最盛期だった。
そこからは現実に叩きのめされてばかりだった。最前線で活躍するギタリストを見るたびに、お前は月並みなんだよと、もうひとりの自分が冷ややかに囁いた。
おもしろい物語ではあるけどエンターテイメントとして世に売り出すには今ひとつインパクトが足りないような、あたしはそんな存在だ。アマチュア以上プロ未満。その領域から抜け出すことはできないと、自分自身がよく理解している。
「すいません、せっかくお時間を頂いたのに。……この話はなかったことにしてください」
『誰が言ったの。伊都さんが凡人だって』
ここまでの軽やかさが嘘のような重たい声に顔をあげる。
今別府さんは笑っていなかった。
『作詞と歌唱を担当していた伊都さんの幼馴染みがいないと聞いて落胆したことは否めない。だけど、僕が方位磁石にオファーを送ろうと思ったのは君のギターに惹かれたからだ』
息が詰まった。
『YouTubeのコメント欄の心無い言葉にも目を通した。歌詞と歌声が評価される一方、曲調は二番煎じだのパクリだの、匿名だからって言いたい放題だ。伊都さんはさぞ傷ついただろう。けど、折れることなく歩きつづけた。僕は方位磁石のすべての動画に目を通した。曲調は徐々に独自性あふれるものに昇華されているし、流行りの曲のカバーはアレンジの効いたものばかりでまるで別物だ。それでも再生数はまわっている。この事実とこれまでの過程を目にした上で伊都さんを凡人だと評する人間がいるのなら僕が真っ向から否定してやる』
目頭がじわりと熱を帯びる。
誰かに認めてほしかったわけじゃない。
だけどこうも胸に喜びが広がると、心のどこかで自分は褒められたいと思っていたんだな、と認めざるを得なかった。
『っと、もう二十一時手前だね。ごめんね、夜分遅くまで』
あたしが眠気を催していると勘違いしたようだ。
まだまだ平気だけど、これ以上会話を重ねたらどこかのタイミングで感情が決壊してしまいそうなので、その勘違いに乗じることにする。
「こちらこそ。ご丁寧にありがとうございました」
なんだか数分前よりも瞳に映る世界の彩度が上がった気がする。それが影響してなのか、今別府さんの爽やかな印象がはじめ見た時よりも増している気がした。
『どうかした?』
「あ、いや、なんでも……」
『早速なんだけど、伊都さんの都合がよければ今週の日曜日に本社に足を運んでほしい。そこで契約金とかシビアな話をして、その上でオファーを受けるどうか答えをもらいたい。勿論、その時点で答えを出すのが難しいなら後日アンサーする形でもいいんだけどね。どうかな?』
すぐにでもこれからよろしくお願いします、と頭を下げたい気持ちだった。
その気持ちを抑えて、あたしはコクコク頷く。高揚を完全に隠すことはできなかった。
「はい、問題ありません」
『ありがとう。住所はあとで送っておくね。これで伝えたいことは全部かな。……よしっ。それじゃあ、今日はありがとうございました。おやすみ、伊都さん』
「……おやすみなさい」
マウスをクリックしてZOOMから退室する。
ヘッドフォンを外してPCを閉じ、あたしはベッドに飛び込んだ。
「……ちょろすぎんだろあたし」
――伊都さんを凡人だと評する人間がいるのなら僕が真っ向から否定してやる。
「えへへ」
あの言葉とあの表情が頭をよぎると、足をぱたぱたしてしまう。うれしいな、もっと褒めてほしいな、って承認欲求を満たしたがり屋のもうひとりの自分が小躍りする。
……それにしても、なにか大切なことを忘れている気がする。
今週の日曜日、なにか予定があっただろうか。土曜日はどうせあいつのために潰れるだろうけど……。
まぁいいか。
思い出せないならその程度のたいして重要じゃないなにかってことだ。
「……新しい服買おうかな」
その夜は週末のことで頭がいっぱいになり、ギターを弾くことができなかった。




