2024/10/7(月曜日)
今日も授業には三限から参加した。
南野に三限からは出席するよう口酸っぱく言われているので、面倒だけど授業には顔だけ出している。気持ちは常に欠席している。
あたしがサボると、南野が担任教師にがみがみ言われる。知ったことかとは思うものの、あたしの放縦な振る舞いのせいであいつが傷つくのはおもしろくなかった。
四限が終わり、椅子が床を引っかくディストーションが教室を飛び交う。ここから五十分の昼休憩だ。
ランチバッグを片手に屋上に向かう。
途中、すれ違った生徒が「文化祭なにやるの?」と口にしていて、今月末に文化祭が控えていることを思い出した。ま、あたしには関係ない話だけど。
昨夜、突発的な豪雨に見舞われたこともあり、屋上にはいくつか水溜まりができている。
「よっ、よっ」
あえて水溜まりを飛び越えて給水塔の脇へ。
授業中地蔵みたくじっとしていたから、身体を動かすのが気持ちいい。最後の水溜まりを飛び越える際、危うく転げそうになりひやっとした。
段差の下にある空洞からタオルを取り出し、臀部が濡れてしまわないようタオルを敷いて段差に腰掛ければ、雨上がりの街を一望することができる。
雨粒に照り映える梢の葉。
雨樋を伝い地面に滴り落ちる雨水。
水滴が陽射しを照り返し、町中に輝きが満ちていた。
ランチバッグのチャックを開けると同時、屋上の扉が開く音が風に乗って運ばれてきた。
ため息をつく。闖入者は確認せずともわかった。
「おまたせ~」
「待ってねぇよ」
睨み据えても糠に釘。南野は顔をほころばせたままあたしの隣にやってくる。
「ちょっと待て」
座ろうとした南野に待ったをかける。
こいつがあたしひとりの時間を邪魔しにくることは想定の範疇だ。タオルは段差の下に二枚常備してある。
屈んでタオルを引っこ抜いて隣に敷くと、南野はうれしそうに笑って腰掛けた。
「いっただきま~す」
南野の陽気な声。
ちらと横目に弁当箱の様子をうかがう。……またか。
自分の弁当箱に視線を戻す。鮭の切り身が二枚。卵焼きが三切れ。きのことほうれん草の炒め。オクラの和え物。そして、しそふりかけのかかった白米。
鮭の切り身を箸でつまみ、「おい」と粗暴な声を掛ける。リスみたく頬を膨らませた南野が「ん?」とこちらに首を巡らす。
あたしは南野の日の丸弁当の上に鮭の切り身をのっけた。
「やる」
続けて、卵焼きをふた切れ、オクラの和え物をつまめたぶんだけ載せる。
ぱちぱち瞬きして言葉なくあたしに行動の意図を問うてくる南野に、視線を外して応じる。
「そんなに腹減ってないんだ。だからあたしのぶんまで食べろ」
ごくんと、喉を鳴らした気配。
「……優しいね、伊都は」
「勘違いも大概にしろ。そういうところが嫌いなんだよ」
嘘偽りなしにお腹はすいていなかった。食べようと思えば食べられる、といった風である。ここ数日、あたしから食欲は消失していた。
「土曜日から急に嫌い嫌い言うようになったけど、なにかわたしに嫌われなくちゃいけない理由でもできたの?」
待て、あまりにも的確な指摘すぎやしないだろうか。
動揺して勢いよく視線を投げてしまう。南野は驚いた顔をする。その顔を見て、今の不自然な行動が言外に真相を物語ってしまうことに気づいた。
が、幸いにも南野はそこまで観察眼が効かないようだ。驚愕の表情がしてやったりといった顔つきに移ろうことはなかった。
不意にペトリコールという共通の不可思議がいるのだから、あたしの願いが筒抜けになっていてもおかしくないことに気づいた。
が、今の反応を見るに懸念した通りにはなっていなさそうだ。
「その通り。お前の干渉が煩わしいからそろそろ本格的に突き放そうと思ってる」
「離れないよ」
逡巡なく南野は答えた。
「どれだけ伊都が暴言を吐いても、わたしはどこにもいかないよ」
まっすぐな視線。
……先ほどまでのふにゃけ顔とギャップのある表情がペトリコールを想起させる。気のせいじゃないのかもしれない。やはりふたりはどこか似ている。
「あまりしつこいと手が出るかもしれないぞ」
「しないよ。伊都はぜったいわたしに暴力を振るわない」
力強く言い切り、南野はぱんと手を合わせた。
「はい、暗い話お~しまい! 今週末は快晴らしいよ。どこ行こっか?」
「家でだらだらしたい」
「相変わらず出不精だなぁ」
「誰がデブだ」
「デブとは言ってないよ。出不精っていうのは、外出を面倒くさがる人のことだよ。やったね! ひとつ知識が増えました!」
「馬鹿にしてるのか」
「してないよ。わたしの知識がなにかしらの形で伊都の役に立ったらいいなぁって思ってる。知識も感情も、ぜんぶふたりでシェアできたらいいのにね」
「死んでもごめんだ。お前のくだらない知識は、あたしのクリエイティブの妨げになる」
「寂しいこと言わないでよ~。ほら、歌詞を書くときくらいは役に立つかもよ?」
「……よく冗談めかしてその話題を切り出せるな」
頭に来た。
視線を切って白米を掻きこむ。
「っ! けほけほっ!」
「大丈夫!? お水、お水……」
「いいっ! ごほごほっ、これくらい自分で」
「はい、どーぞ」
キャップを外したペットボトルを渡してくる。くそ、これじゃ振り払えないじゃないか。
乱雑につかみ、水を喉に流し込む。
「……ふぅ。ありがとう、助かった」
「どういたしまして。伊都のそういうところ、すっごくいいと思うな」
「……そうかよ」
知識も感情もぜんぶシェアできたら、か。
……やっぱり嫌だな。
けど、ちょっぴりいいかもしれないと思う自分もいた。
一長一短。人生ってやつはいつもままならない。
※
「これでよしっと」
時刻は二十一時三十分。少しだけ開いた窓の隙間を潜り抜ける風はひんやりと冷たく、夏と言うにはもう無理のある季節だなぁと感じる。
エンターキーをクリックする。YouTubeに一本の動画がアップされた。昨日撮影した、あたしの弾いてみた動画だ。
実はあたしはYouTuberだったりする。チャンネル登録者数は三・八万人。開設から二年ほどでこれだけの人に支持されているのはなかなかではないだろうか。
ここ半年はもっぱら有名曲のカバーだけど、それ以前はオリジナル曲も定期的にアップしていた。一番再生数を稼いでいるのは、「深青の宝石と浅い僕ら」というオリジナル曲だ。九曲目のオリジナル曲。投稿したのは昨年の十一月である。
「さて」
ベッドにあぐらをかいて座り、ギターを構える。
チューニング。……異常なし。
ふぅと息をつき、脳内に楽譜を描いて腕を緩やかにストロークする。
奏でるのは、チャンネルに投稿された五曲目のオリジナル曲。
曲名は、「潮風の鼓動」。
『せっかく海のある街に住んでるんだからこれを使わない手はないよ!』
そう言って、あいつはあたしの手を引いて駆け出した。
高校一年生の夏だった。
音楽を奏でていると、図らずもあの頃の記憶が蘇る。この時間だけは、あたしはあの頃に戻ることができる。
去来する喜びと寂しさに複雑な気持ちになりながらも、あたしは弦を鳴らす。
潮風が笑い、波がはしゃぐ
潮風が泣き、波がはしゃぐ
メロディに声が乗る。
あたしが発したものじゃない、隣の家から運ばれてくる玲瓏な歌声が。
僕らはきっと心の底から理解し合うことはできない
だけど理解した「ふり」をして明日も明後日も笑い合う
暗い歌詞だなぁと笑みがこぼれた。
曲が終わる。
後ろを振り返る。十メートルほど隔てた先にある窓の向こう側はカーテンで閉ざされていて、隙間から漏れ出た照明の明かりくらいしか見えない。窓は少しだけ開いていた。
「じゃ二曲目」
弦を鳴らす。
すれば、聞き惚れてしまうほどの美声があたしの奏でる音色をコーティングする。
安堵と疑問に包まれながら、あたしは何度も皮が剥けてあの頃よりも逞しくなった運指を躍らせる。満足するまで躍らせつづける。
『方位磁石』のオリジナル曲は、昨年の十二月以降発表されていない。




