2024/10/5(土曜日)2/2
人間不思議なもので、近くに誰かがいると途端に泣くことができなくなるらしい。
「ひっく、ひぐっ、うぅ……」
「はい、ティッシュ」
「ありがと。ずびーん!」
ラスト十分。主題歌が五分だから本編を五分しか観ていないにもかかわらず、南野は滂沱の涙を流している。というのも、既に視聴済みでこれが二周目とのこと。
一周目よりも二周目のほうが泣ける理論はまぁわかるけど、だとしても涙腺が緩みすぎではないだろうか。
「あーようやく落ち着いてきた。次はどんな感動映画観よっか?」
「脱水して死にたいのか。ま、南野がそうしたいなら構わないけどさ」
結局、映画を垂れ流しながらマンガを読むことになった。家だからできる贅沢な鑑賞方法だ。
――こんな感じで。
土曜日は南野とだらっと過ごして終わる。
この習慣が確立しているのは、南野のしつこさが功を奏したからだ。
半年前、あたしは南野との関係の一切を断った。あたしとしては絶縁したつもりでいたし、実際に絶交だと言い切った。
しかし、その後も南野はあたしにしつこく構いつづけた。どれだけ冷たくあしらっても、鋭い言葉で傷つけても、南野はあたしから離れようとしなかった。
その結果生まれたのが、絶交しているけど同じ時間を共有している、という奇妙な関係。
その関係性が、気づけばもう半年間続いている。
「ねー伊都」
「なんだ」
ちらと目をやれば、南野はベッドの上で体操座りし、クッションを抱き締めて映画のエンドロールを眺めている。ぬいぐるみのようだ。こんな喧しいぬいぐるみ、部屋にあったら即刻処分したくなるだろうな。
「スーパーマリオゲームしようよ」
南野は身体を前に倒して寝そべり、ベッドを背もたれにしてマンガを読んでいるあたしにスマホの画面を見せてくる。
概要はこうだ。
「スー」「パー」「マリ」「オ」「スーパー」「マリオ」「コイン」で一周。
周を重ねるごとに「コイン」の数が増えていく。
――以上。若者のあいだで流行っているパーティゲームらしい。
この瞬間まで、若者であるはずのあたしはこのゲームを知らなかった。
ひとつ、疑問に思ったことを口にする。
「ふたりしかいないぞ」
「へーき。さ、やろやろ」
なにがへーきなんだよ。こいつ、平気って言葉の意味を一度調べたほうがいいんじゃないか。
ぽんぽんベッドを叩く南野。ここに座れ、ということだろう。
面倒くさいなぁと思いつつ、マンガを閉じてベッドに座る。
「伊都ちゃんは素直だねぇ」
からかうように言われて押し倒してやろうかと思った。
「ただゲームするってだけじゃつまんないから勝利者賞をつけよっか」
勝利者賞って格闘技じゃあるまいし……。
そう、こいつは格闘技が好きなんだ。女のくせに。
「負けたほうは、勝ったほうの言うことをなんでも聞くこと」
「嫌だ。お前、絶対変な要求してくるだろ」
「あ、負けるのこわいんだ?」
そっかそっかぁ~とウザったい顔をして煽ってくる。挑発自体はされてもなんとも思わないけど、所有物に小馬鹿にされているというこの状況は癇に障る。
「上等だ。やってやろうじゃないか」
「そうこなくっちゃ!」
満足げに笑って、南野は手拍子を打ちはじめた。ややあって、あたしも同じリズムで両手を叩く。
傍から見たらさも滑稽な光景なのだろう。意識しないように努める。
「じゃあわたしからいくよ。1、2、3、はい、スー」
「パー」「マリ」「オ」「スーパー」「マリオ」「コイン」
まずは一周。
二周目はあたしから。
「スー」「パー」「マリ」「オ」「スーパー」「マリオ」「コイン」「コイン」
壊滅的につまらない。とはいえ、負けたほうは勝ったほうの言うことをなんでも聞く、という条件がある以上、このクソゲーを終わらせるためにわざとミスすることもできない。苦行だった。
「コイン」「コイン」「コイン」「コイン」「コイン」
こうも馬鹿のひとつ覚えみたいにコインコイン言っていると、少しずつリズムが狂ってくる。
その点、南野のリズムは開始時点とまるで変わらない。
綺麗な発声。優れた音感。
……なぁ、ほんとうに今のままでいいのか?
その才能を埋没させちゃっていいのか?
「コインコイン」
「あっ、今コインって二回言った!」
「あ……」
やらかした。
南野は両手を万歳して「大勝利~!」とぴょこぴょこ小躍りしている。そんな喜ぶことか。
「じゃ勝利者賞をもらっちゃおうかな~」
唾を飲み込む。
約束は約束だ。一度条件を呑んだ以上、負けた今となってやっぱりなしと反故することはできない。それはダサいから嫌だ。
「ねぇ伊都」
南野が四つん這いになり真顔で近づいてくる。
「……おい、なにする気だよ」
無意識に後ずさるも、すぐに背中が壁にぶつかった。退路が経たれても南野の進行は止まらず――気づけばあたしはきつく目をつぶっていた。
不意に頬に熱を感じた。
おもむろに目を開くと、南野の指先があたしの頬に触れていた。繊細なガラス玉を撫でるかのようにそっとあたしの頬を撫で、南野はどこか寂しげに笑った。
「あの頃に戻ろう」
あの頃。
その抽象的な言葉が示す正確な過去の地点を知りつつも、いつだよ、とすっとぼけることもできた。
けど、できなかった。
南野の声音が、あまりに切実だったから。
「仲直りするのは今月末。それまで『伊都と南野』じゃなくて、『伊都とほどく』に戻ろう?」
どうして仲直りするのは今月末なのだろうか。
今月末に仲直りしたいのなら、その時に切り出せばいい。それに、仲直りせずともあたしたちは同じ時間を過ごせている。
「断る」
ダサいと思いつつも、あたしは約束を破ることを選んだ。否、破らなければならなかった。
「どうして?」
「お前が嫌いだからだ」
南野の瞳が潤んでいる。
その瞳があたしは大嫌いだ。駄々をこねる幼児を甘やかしてしまうように、しょうがないなぁとワガママを許容してしまいそうになる。
「どうしてもだめなの?」
……しつこいなぁ。
爪を皮膚に突き立てて睨みつける。
「ああ。あたしがお前をほどくと呼ぶことは金輪際ないよ」
「……そっか」
えへへと南野は笑った。
こいつは空気が読めず、他人の領域にお構いなく土足で踏み込む不躾なやつだけど、壁があると自覚してなお突進してくる自分本位なやつじゃない。
ペトリコールとの約束がなければ、あたしは一時の気の迷いで南野の懇願を聞き入れていたかもしれない。なんだかんだあたしは甘い自覚がある。
しかし、今のあたしの最優先はこの世界をぶっ壊すことだ。そのために、こいつを嫌い、嫌われ、嫌い合わなくちゃいけない。……なにを犠牲にしてでも。
もう一度、突き放すように言う。
「あたしはお前が嫌いなんだよ」
「知ってる。それでもわたしは構い続けるけどね」
さっきからあたしが「嫌い」と口にしても、南野の視線はあたしを捉えたままだ。仮に口癖のように「嫌い」と言っていたのなら南野が平然としていることにも納得がいくが、心の中では常にそう思いつつも声に出したのは今日がはじめてだった。
胸がちくちくと絶えず痛んでいた。
くそ、あたしが嫌悪感を露わにすれば相応に傷つくと思っていたのに……。
思い通りに事が進まない歯がゆさに下唇を噛んでいると、窓から白い光が差し込んだ。雨が上がっていた。
南野が窓を開ける。雨のにおいが滑り込み鼻をくすぐってくる。
このにおいをなんていうのか、南野が昔教えてくれたからあたしは知っている。
ペトリコールだ。
「ようやく晴れたね。ねーねー、お腹すいたしコロッケ食べにいこーよ」
時刻はまもなく正午をまわろうとしている。朝食が質素だった割に空腹感はないけど、訴えてくるのは時間の問題だろう。
「あたしはパスタがいい」
「えー、コロッケにしよーよ」
「気分じゃない」
「わたしもパスタな気分じゃない」
「じゃ別行動で。というかもう帰れば? 午後からは作曲したいし」
一日三十分、南野と話す。
願いを叶えるための課題その一はとっくにクリアしている。
「え、作曲するの!? やったやった!」
「お前のための曲じゃないっつーの」
頭お花畑かこいつ。
……つくってもどうせ歌ってくれないんだろ?
あたしの蔑みの視線を意に介すことなく、南野は両手を合わせて切り出す。
「じゃあお開きにはできないね。仕方ないから今日のところはパスタで手を打ってあげよう」
なにが楽しいのか、こいつはずっとニコニコだ。
……いつもそうだ。ずっとへらへら。だからみんなに嫌われている。薄気味悪い、舐めてるって。
それにはあたしも同感だ。けど、ただ罵詈雑言を並べてるやつらとは違って、南野がどうしてそうしているのかあたしは知っている。
「何様だよ。……じゃあ行くか」
「うんっ」
それが防衛機制の一環であることを、遺憾ながら彼女の幼馴染みを長年務めるあたしは知っている。
あたしだけが、知っている。




