2024/10/5(土曜日)1/2
早朝から小雨がぱらついている。
時刻は九時。七時を少し過ぎた頃に朝食のバタートーストにぱくついてから、あたしは部屋でひとり映画を観ていた。
気づけばあと二十分で映画が終わろうとしている。
ずびっと水気を帯びた音が、役者の感極まった台詞にノイズとなって被さった。
「……ぐすっ」
なるほど、主題歌の歌詞ってこの映画でテーマになってる言葉だったんだな、などと冷静に分析できていたのは序盤だけで、気づけば映画の世界に没入していた。
小雨という悪天候の醸すノスタルジックな雰囲気が映画に絶妙にマッチしている。近くに誰もいないためか、涙はとめどなくこぼれ落ちる。
残り十分というところで、インターフォンの音が響いた。
「……」
今、家にはあたししかいない。
両親は出勤中。姉は大学に付属した寮暮らし。
立ち上がって足を進めると同時、再びインターフォンが鳴る。
宅急便です、という声は耳を澄ませても聞こえてこなかった。
……さて、ここからどんなクライマックスを迎えるのかな。
踵を返して床にベタ座りし、クッションを片手で抱き締め、リモコンのボタンを押そうとしたところでスマホがけたたましい音を立てた。通常の着信音とは異なるポップな着信音。画面には「ほどく」と表示されていた。
「……帰ってこなくていいのに」
昨日ペトリコールが言っていたことに嘘はないようだ。
あいつは金曜日に限り世界からいなくなる。……いったいなにを願ってそうなったのだろうか。聞くつもりはさらさらないけど。
着信拒否。
さて続きを……とリモコンに指を乗せたところでインターフォンが再度鳴った。続けざまにLINEの通知音が響きわたる。
【ほどく】起きろ~!
「起きてるよ」
くそ、なんで今日に限っていつもより早い時間に来るんだよ。
毎週土曜日、基本的には十時頃に南野はあたしの家にやってくる。約束していないのにやってくる。稀に予定よりも早く押しかけてくる日があるが、今日がその日に該当するようだ。
インターフォンが鳴る。
スタンプ連打されてスマホが絶えず震える。
「あぁ鬱陶しい!」
部屋を飛び出し、階段を急ぎ足で下りて玄関の鍵をまわす。
扉を勢いよく開くと、「んぎゃっ」と小さな悲鳴が聞こえた。
眼下を見やる。
栗色のショートウェーブが唸りながらうずくまっていた。
「……」
南野がいる。
その現実を目の当たりにし、目頭がじんわりと熱くなる。
……いや違う、今まで見ていた映画の感動的な場面が脳裏をよぎったからこうなったのだ。眉間を揉んで鋭く言い放つ。
「帰れ」
南野が顔をあげる。
小動物めいたどんぐりのような瞳。中学一年生の頃からほとんど変わらないあどけなさに縁どられた顔立ち。今日も普段と変わらず嶋中指定の薄水色のジャージを羽織っている。中学一年生の頃、後の成長を見越して注文したやや大きめのそのジャージは今もだぼだぼのままだ。
南野は潤んだ瞳を何度も開閉する。額は扉がぶつかり赤くなっていた。
しばしの間を経て、彼女の片目からつーとしずくが滴り落ちた。
ぎょっとするあたしを余所に、南野は朗らかに笑って言う。
「おはよっ、伊都」
伊都。あたしをそう呼ぶのはこいつくらいだ。
それでも名前を忘れずにいられるのは、ウザったい明るいあいさつからはじまる、こいつとの望んでいない関わりがあるからだろう。
「ん。おはよう」
礼儀としてあいさつに応じる。嫌いだからといって礼節を欠くのはちょっと違うと思う。
「で?」
「遊びにきた!」
挙手して声高々に応じる。そんな大声出さなくても聞こえてるっての。
「悪い。あと三十分だけ待ってくれ。映画がいいところなんだ」
「え、なんの映画なんの映画!? わたしも観たいわたしも観たい!」
「途中から見てもわかんないだろ」
「いいよ、わかんなくても。伊都と同じ時間を共有できるなら、わかんなくてもへーきなんだ」
にっこりと笑う。なにがへーきなんだか。
「……わかったよ」
こいつを説得して一時帰宅させるのは至難の業だ。朝から無駄な労力を使いたくないので、頼みを聞き入れることにした。
お邪魔しまーす、と元気いっぱいなあいさつと共に南野は玄関をくぐる。玄関段差に腰掛ける彼女に待ったをかけ、洗面所から持ってきたタオルを放り投げる。
「ありがと」
「ん」
部屋を濡らされたらイラつくからな。
家が隣にあるとはいえ、小雨が降っているとわかっているのなら傘をさしてやって来てほしいものだ。




