2024/11/1(金曜日)2/3
「続きまして、二年C組による演劇です。演目は『歌よ、届け』です」
舞台進行の生徒がタイトルコールした後、唐紅の緞帳が持ち上がり、二年C組の劇の幕が開ける。
緊張は当然あった。だけど、今日まで何時間も練習に打ち込んだからか身体は無自覚に動き、台詞も前もって録音したものを再生するみたいにするすると紡ぎ出すことができた。
二幕を終えて、このぶんなら全校最優秀賞も夢じゃないな、とたしかな手ごたえを感じた。
三幕もつつがなく進み、残すはクライマックスの四幕を残すのみとなる。
はじめこそ違和感があったものの、今となってはこの舞台にこの上なくマッチしているように感じる既存の劇伴をぼんやりと聴いていると、ほんとは伊都の曲が聴けるはずだったんだよね、と雑念がもたげた。
いけない、他ごとを考えてたらミスしちゃう。
そう思っているのに、焦燥に反して雑念は大きくなる。
『わたしたち、いつか大きなステージで歌うことになるのかな』
わたしは、自分の背中を伊都の背中にくっつけて問いかけた。
ちりりんと鳴る風鈴の音がいっとき暑さを忘れさせるけど、すぐに蝉の鳴き声が暑さを思い出させる高校一年生の初夏だった。
『不安なの?』
『うん、失敗したらどうしようってたぶんずっと怖がってる』
『ならあたしに寄りかかればいいよ』
キーボードを打つ手を止め、伊都は背中を強く密着させた。
『ほどくが歌うとき、隣には必ずあたしがいる。ひとりじゃないよ』
伊都の優しい声が、わたしの不安を解いてくれる。
伊都が寄り添ってくれるだけで、わたしはひとりのときよりもずっと強くなれる。
胸のあたたかさに頬をやわらげてわたしは言った。
『けど、伊都も怖がりじゃん』
『ほどくよりは強い』
『うっそだ~』
わたしが笑うと、伊都も笑った。
笑い声だけが部屋を満たしていた。
時折危うい状況になりつつも、致命的な失敗をすることなく劇終盤を迎える。
あとはわたしが歌うだけだ。伊都がつくった曲じゃなく、今大人気のバンドがつくったメジャーな曲を。
ステージにいるのはわたしだけだ。ほかの生徒はみんな、舞台袖に控えている。
おかしな話だ。クラスで人気者どころか嫌われ者のくくりにいるわたしが、文化祭のクラスの出しものの主役をまかせられている。
それをおもしろく思っていないクラスメイトが大勢いることに気づいていたから、何度も役を降りようと考えた。そのたびに、でも伊都の期待を裏切るのは嫌だと思って、わたしは主役を続けてきた。伊都のためだと思えば、悪口も陰口もへっちゃらだった。
けど、その選択が運んできたのはわるいことだけじゃなかった。
里奈ちゃんと友だちになれたし、役者を演じている子たちとも仲良くなれた。文化祭が終わったら打ち上げにいこうって誘ってくれた。
やっぱり伊都はわたしのヒーローだ。伊都はいつだって、わたしの世界に優しさを添えてくれる。
スピーカーから音が流れる。
そのメロディを聴き、わたしは息を呑んだ。
「……どうして」
それは、これから歌う予定の大人気の曲よりもよく知っている曲だった。
タイトルは「深青の宝石と浅い僕ら」。
方位磁石のいちばん人気の曲だ。
「舞台は私が整えた! 今こそ君たちの存在をこの世界に刻みつけるときだ!」
客席の最前列で、真夜中の海で輝くクラゲのような光が揺らいでいる。ペトリコールだった。
……どうしてペトリコールがいるんだろう。伊都とわたしが仲直りしたら消失する。そのはずだったのに。
観客がどよめいている。どこかから「方位磁石じゃん」とつぶやく声が聞こえて、わたしたちは自分たちが思っている以上に有名になっていたのだと気づかされた。
大きなライブができるくらい有名になったら素性を明かそうと計画していた。それまでは誰にも音楽をしていることを明かさず、元クラスメイトにあのときどうして仲良くしなかったんだって後悔させてやろうと、伊都が悪戯を企てる顔で提案してきたことをよく覚えている。
マイクを持つ手が震えている。
痙攣するくちびるをきゅっと結び、わたしはつぶやいた。
「わたしたちの初ライブだね」
ステージで歌う未来をわたしたちは夢見ていた。望んでいた形とは少し違うけど、その夢があとはわたしが勇気を出して一歩踏み出すだけで届く場所にある。
一歩、踏み出す。
隣にギターを弾く伊都はいない。だけど、伊都が魂を込めてつくった曲はわたしに寄り添っている。今も隣に伊都はいる。
息を吸い込んだ。
深い深い青を僕は夢見る
タンザナイトのような深青になろうと足掻いてみる
手を伸ばして。潜って潜って。
その先にいるのは、浅瀬で立ち尽くすあの頃のままの僕だった
「え、本人じゃね?」と声がする。
そうだ。わたしは方位磁石の作詞兼ボーカル担当、南野ほどくだ。
不完全な僕らは、生まれ育った街を出ることさえも許されない
忘れたい過去からも、消えちゃいたい過去からも、逃げることは許されない
僕らは歩く。ただただ歩く。
歩いて歩いて歩いて歩いていく
ここからテンポが急加速してサビになる。
気持ち多めに、肺に酸素を取り込む。
わたしの未来を私が奪った
――これからの私になるために
驚いて息継ぎを忘れた。わたしの歌声に、伊都の歌声が続いたからだ。
わたしは、わたしの歌声に前もって録音したわたしの歌声が続くタイプしか知らなかった。というより、この曲自体、どんな原理で流れているのだろう。
不思議なことばかりだけど、それはぜんぶペトリコールの祝福によるものだという説明で片が付くだろう。歌に集中する。
私の未来をわたしが否定した
――今までのわたしであるために
すぐ隣で、ギターを弾きながら歌う伊都のまぼろしが見えた。
伊都がわたしに目を配る。わたしは頷き、身体の向きを九十度変えて伊都と向かい合う。
額を汗の粒で輝かせる伊都は、充足感に満ちた顔をしていた。わたしたちはふっと笑んだのち、すぐにきゅっと頬を引き締め、胸を掴み上げて叫ぶように歌う。
わたしが僕だ
――私が僕だ
これまでの大切と引き換えに新しい大切が手に入るのなら
――僕は今を捨てることを厭わない
青と青の狭間で
僕らは今日も息をしている。
伊都と声を重ねて曲を締めくくる。
はぁはぁ息を切らしていると、伊都がふっと笑って拳を伸ばしてきた。わたしはニッと笑って、こつんと拳をぶつける。伊都のまぼろしは見えなくなった。
水を打ったように静まり返っていた会場は、やがて突然降り出した夕立みたいな万雷の拍手の音に包み込まれた。
「方位磁石で……いや、作曲北原伊都、作詞南野ほどくで、『深青の宝石と浅い僕ら』でした!」
わたしがはっきり方位磁石と口にしたことで、方位磁石は覆面アーティストではなくなってしまった。
けど、後悔はなかった。方位磁石はふたりなんだって、伊都がいたんだって、みんなの記憶に刻みつけることができたから。




