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君のいない金曜日  作者: 風戸輝斗
「Friday without -Ito Kitahara-」

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42/46

2024/10/31(木曜日)2/2

「ほどく」

「なあに?」


 名前を呼ばれるだけでうれしくなる。わたしに犬みたいな尻尾があったなら、今頃喜びを隠し切れずにぶんぶん振っているのだろう。


「ペトリコールから既に聞いてると思うけど、あたしが現実に留まれるのはあと五分間だけなんだ」


 幸福から一転、絶望の沼に突き落とされる。


「……まだ決まったわけじゃないよ」

「いいや、決まってる」


 きっぱりと伊都は言い切った。


「仮に今の状態が続くとしても、ほどくの金曜日を奪って生きるなんてあたしはごめんだ。ずっと絶交したままっていうのも嫌だ。幸いにも未練はなにもないしね。ほどくが一か月間、あたしにボーナスタイムをくれたおかげだ。ありがとう」

「いらないよ金曜日なんて。伊都のためなら、わたしは金曜日を何度だって犠牲にするよ」


 そういう話じゃないことはわかっている。

 だけど、どんな屁理屈をこねてでも、五分後に伊都がいなくなるという未来を変えたかった。その確約された未来を認めたくなかった。


 わがままなわたしの頭を撫でて伊都は優しく言う。


「話したいことはたくさんあるけど、五分ですべてを伝えるのはちょっと無理そうだなって思ったんだ。だから、あたしが伝えたいことを歌に込めることにした。歌にすれば、あたしがいなくなっても何度も聴けるしね。ごめん、ギリギリまで時間がかかったのはこの曲を作ってたからなんだ」


 ダッフルコートを余すことなくわたしに掛け、伊都は岩に立てかけたギターを取りに向かう。

 バッグから取り出されたパールホワイトのアコースティックギターを見て、あぁやっぱりわたしがクリスマスにプレゼントしたギターを捨てたっていうのは嘘だったんだなぁとほっとする。


 岩場に腰掛けると、伊都はギターを構えて深呼吸した。


「それでは聴いてください。方位磁石で――君のいない金曜日」


 タイトルを聞いただけなのに、わたしの感情は既に決壊寸前だった。

 頬をやわらげ、伊都は柔らかな旋律に繊細な歌声を添える。



  土曜日 君は訳もなく僕の家にやってくる

  ふたりで映画を観たり、マンガを読んだり

  嫌いなふりをする、そんな時間が好きだった


  日曜日 君は塾がある日は僕にかまってこない

  ひとりで映画を観たり、マンガを読んだり

  好いているふりをする、そんな時間が嫌いだった


  月曜日 授業中に君が楽しそうに手を振ってくる

  君の屈託のない笑顔はいつも僕を喜ばせる

  君の繕った笑顔はいつも僕を悲しませる

  うれしく思いつつも、僕は不快になったふりをしてそっぽを向いた


  やがて君のいない金曜日がやってくる

  君がいなくなって清々しいと思うけど、強がりの魔法はすぐに解ける


  金曜日が嫌いだ

  大嫌いだ

  けど、君がいる金曜日は好きだ

  金曜日じゃなくても大好きだ

  君だけが、僕の金曜日だった


  君のいない金曜日は、君を愛しく想う気持ちが解けてしまわないよう下手くそな歌を歌う

  僕は今日も君を好いている

  ここにいない君に寄り添っている



 ふぅと息をつき、伊都は照れ半分不安半分といった表情で訊ねてくる。


「どうかな?」

「……そんなのずっと前からわかってるよ」


 土曜日、伊都がわたしを邪魔者みたいに扱いつつも、その時間を心地良く思っていたことも。

 日曜日、伊都が深い意味もなくLINEしてくるのは寂しさを紛らわすためだということも。

 月曜日、授業中手を振ったらぷいって視線を切るけど、横顔には喜色をたたえていたことも。


 ぜんぶぜんぶ、わかっていたことだ。

 だけど、わかっていたことだけど。


 言葉にされたその気持ちが届くと、うれしくて、切なくて……。

 ダッフルコートを脱ぎ捨て、わたしは伊都の胸に飛び込んだ。


「いやだ! いやだぉ! いなくならないでっ!」

「無茶言わないでよ。……あたしだって嫌だよ。ずっとほどくの側にいたいよ……」


 潤み声だった。わたしの背中にまわされた伊都の腕は震えていた。


「ごめんねほどく。これまで嫌いって言ったのは全部嘘だから。好きだよほどく。大好き」

「わたしも大好きだよ。ずっとずっと好き。嫌いになったことなんて一瞬だってないよ」

「大好き。大好きだよほどく」

「うん、好き。好きだよ伊都。ぜんぶぜんぶ好き」


 好き。大好き。

 それ以外の言葉がこの世界から消えてしまったかのように、わたしたちは抱き合って想いをぶつけ合う。どれだけ好きを重ねても、心が満たされることはなかった。


「どこにもいかないでよぉ。伊都がいなきゃ生きていけないよぉ……!」

「……そう言われてもどうしようもないんだよぉ」


 伊都は困ったように泣き笑い、わたしの右頬に口づけしてくる。突然の出来事で面食らった。


「もう時間がないんだ。あたしの話を聞いて」


 わたしの肩に両手を置いてそう言う伊都は、焦っているように見えた。

 ずびっと鼻をすすって頷く。直後、ざぶんざぶんと穏やかな音色が鼓膜を揺らした。どうやらわたしたちは、ふたりぼっちの世界から現実に戻ってきたようだ。戻ってきたくなかった。


「まず頼みたいことがひとつあるんだけどさ」

「いいよ」

「まだ何も言ってないって」


 伊都は笑う。

 仮に伊都が入水していっしょに天国に行こうと誘いかけてきたのなら、わたしは一も二もなく首肯して海に飛び込むだろう。伊都に頼まれたのならなんだってする。


「未完の曲がいっぱいあるんだ」


 伊都がわたしになにを望んでいるのかわかったから、先読みして言った。


「ぜったい完成させる。完成させて、方位磁石のチャンネルに投稿する」


 わたしが意欲的であることに驚いたのか、伊都はぱちぱちと瞳をしばたたかせている。


 伊都が作曲で、わたしが作詞。それが方位磁石の制作スタイルだった。

 わたしが歌いたいと言えば、今のお母さんは許してくれる。伊都の努力を結実させるため、わたしには曲に歌詞を添えて、歌って、たくさんの人に届ける責任があった。義務だと思った。


「ありがとう。無茶だけはしないでね。五線ノートとPCは、ほどくの部屋にあるから」

「え、わたしの部屋にあるの?」

「うん、ずっとほどくの部屋で作業してたからね」


 さらっと告白してくる伊都だった。

 ……そっか。ずっとそばにいてくれたんだ。


「最後にもうひとつ。これからはもっと自分を大切にするんだ。つらかったら、作り笑いで誤魔化さず誰かに相談する。美優みゆうさんでも、田村でもいい。ひとりで抱え込んじゃだめだよ?」


 そのふたりが真っ先に候補にあがるのは、伊都がわたしのそばにいたという証明にほかならないだろう。

 伊都がお母さんを幼い頃のように美優さんと呼んでいる。それがすごくうれしかった。


「もう、ほどくは自由だ。どこへだって飛べる。あとは勇気をもって一歩踏み出すだけだ」

「……けど、その自由と引き換えに伊都はいなくなっちゃった」


 伊都がお父さんの殺人を企てたことが、わたしの幸福の連鎖のはじまりだった。

あの出来事なくして、お母さんはあの頃のお母さんに戻っていないし、里奈ちゃんとも仲良くなっていないだろう。


 もしも過去をやり直せるのなら――。


 わたしはあの惨劇が繰り返されないように立ちまわる。

 お母さんはおかしくなったままで、お父さんには虐待されて、里奈ちゃんとはただのクラスメイトのままで。


 それでも伊都が生きていれば、わたしはそれだけで充分だった。

 隣に伊都さえ居れば、それだけで幸せだった。それ以外がなくても平気だった。

 

 それだけが、欲しかった。


 身体が抱き寄せられた。


「ほどく、幸せになってね」

「……無理だよ。伊都が居ない世界じゃ幸せになれないよ」

「あたしは曲の中でずっと生きてる。だから、寂しくなったらいつでも逢いにおいで。そのときはあたしがほどくを慰めるよ」


 そっと頭を撫でてくる。

 最期が近いことはわかっていた。だから笑顔で締めくくろうって、泣いちゃだめだって我慢してたけど……だめだった。


「伊都ぉ、伊都ぉ……」


 絶えず想いがあふれる。

 底なしのコップのように。


「まだ泣くか」


 わたしを抱き寄せる力が強まった。


「こんなに想ってくれる親友に恵まれてあたしは幸せものだね。大丈夫大丈夫、ほどくはこの先も大丈夫だよ。あたしが保証する」

「うぇぐ……」

「あたしはさ、ほどくの笑った顔を見るたびに幸せを感じていたんだ。だから、これからは今まで以上に笑って生きて。これまでもこれからも大好きだよ、ほどく」

「ひっぐ……うぅ」

「それじゃあほどく、仲直りしよう?」


 伊都といつまでもいっしょにいたい。けど、その願いはどう足掻いても叶わないものなのだろう。

 毎週木曜日が終わる直前にわたしの元にやってくる強い睡魔が今日はやってこない。伊都がいなくなってしまうから、わたしが金曜日に消失する必要はなくなったのだろう。


 顔をあげれば、雲った視界の中で伊都が微笑んでいる。この笑顔もまもなく見納めになる。

 涙を拭い、大好きな親友のその顔を生涯忘れないように、まぶたに強く焼きつけた。


「うん、仲直りしよう」


 覚悟はできた。

 わたしは背伸びして、伊都のほっぺに唇を当てようとしたけど、爪先を伸ばしただけでは伊都のほっぺまで届かなかった。

 なら仕方ないか。……と諦める気はなかった。

 首を傾げる伊都を手招きすると、特になにも警戒することなく顔を近づけくれた。


「ずっと大好きだよ」


 そうつぶやき、わたしは今度こそ伊都の右のほっぺに唇を当てた。

 驚いた顔をする伊都に、わたしはいたずらっぽく人差し指を立てて言った。


「さっきのお返し」

「……お返しなんて求めてなかったんだけどな」


 なんて強がる伊都だけど、満更でもなさそうな顔をしていた。

 わたしは伊都にぎゅ~っと抱きつく。伊都もぎゅ~っと抱き締め返してくる。


「今日まであたしの親友でいてくれてありがとう」

「こちらこそ。わたしの親友でいてくれてありがとう。これからもずっとずっと親友だよ」

「……うん。ありがとうほどく」


 伊都とはいくらでも話せる。このままだらだらと話を続けたら予想外のタイミングでお別れすることになってしまいそうなので、ここらでしまいにすることにする。


 大好きな温もりをひときわ強く求め――わたしは言った。


「絶交、おしまい」


 その直後、両腕が空を切った。

 伊都は消滅し、海岸には伊都のギターだけが残されていた。


「……じゃあね伊都」


 つぶやいてから気づいた。わたしと伊都が仲直りしたことで、ペトリコールも消失してしまったのだろう。せっかく素敵な名前を考えていたのに伝えることなく終わってしまった。

 わたしは心のなかで彼女に新しい名前を送った。彼女とは深い部分でつながっている。きっと届いているだろう。


 海に背を向け、伊都のギターを背負って、帰路をたどる。


 強い悲しみがある。

 けど、伊都がこれからは今まで以上に笑って生きてほしいと言っていたから、その顔を見るのが幸せなんだと言っていたから、泣くわけにはいかなかった。


 十一月一日。

 わたしは親友とちゃんと仲直りをして、二度目のお別れをした。

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