2024/10/31(木曜日)1/2
ざぶんざぶんと、近づいては離れてを繰り返す波の音に耳を澄ませていた。
夜の砂浜は静かで寒くて暗い。夜空ではビーズみたいな星々がまたたき水面を輝かせている。
強い潮のにおいが鼻をつく。少し遅れて、強い風が海岸を駆け抜けた。
「へっくしょん!」
ずずっと鼻をすすり、膝を抱き寄せて二の腕をさする。
まもなく気温は十度を下まわるというのに、わたしはフリルのついたトップスにチェックのロングスカートという薄手の装いでいる。
「ねぇ伊都、この服を伊都が買ってくれた日のこと覚えてる?」
波の音がする。
波の音だけしか、聞こえない。
「わたしがこの服を試着したらさ、伊都は『かわいい』ってつぶやいてくれたんだよ。だからあの後、伊都は似合ってないって言ってたけど、それが嘘だってバレバレだったよ。……いつもそうだった。伊都がつく嘘は、ぜんぶぜんぶ、優しい気持ちが見え透いてた」
伊都は優しい子だから、嘘をつくのが下手くそなのだ。本人は無自覚みたいだけど。
「……ねぇ伊都、もうすぐ今日が終わっちゃうよ?」
時刻は二十三時をまわっている。
明日が――十月の終わりが、もうすぐそこまで迫っている。
「……まだ仲直りしてないよ」
じわっと景色が歪んだ。
それでも星明かりにきらめく海はきれいだった。
「ありがとうって言いたいことがたくさんあるんだよ。ごめんねって言いたいこともたくさんあるんだよ。……返事してよ伊都。こんなふうにお別れするのはいやだよぉ……」
ひくひくとしゃくり上げながら、わたしはと何度も何度も愛しい名前を呼ぶ。伊都が慰めてくれることに期待して、目尻からぽろぽろこぼれる大粒の涙は無視する。
けど、その瞬間はいつまで経っても訪れず、気づけば涙は潮風に攫われてしまっていた。
伊都はわたし専属のヒーローだ。わたしがつらいときは隣に寄り添ってくれる。
これまでは、残り五分しか逢えない、という枷が伊都の動きを封じていたのだろうけど、今は最終日で消滅一時間前、出し惜しみすることなく動いてもいい頃合いだ。
だというのに伊都の声がしないということは……そういうことなのだろう。
わたしはごしごしと目をこすり、夜の海に微笑みかけた。
「いままでありがと。伊都のこと、これまでもこれからも、ずっとずっと大好きだよ」
身を翻す。
ひとつ、またひとつと砂浜に足跡を刻み、今日から明日に進む。
「……ひぐっ」
けど、十歩と経たずしてわたしの足は今に縫いつけられてしまった。
「伊都ぉ……」
もう何度もその名前を呼んだはずだ。悲しみを吐き出し切って、伊都からもらった未来を生きなきゃって、たった今、決意を固めたばかりのはずだ。
「伊都……伊都、伊都ぉ……!」
やがて立つことすらできなくなり、わたしは砂浜にぺたんと座りこんで駄々をこねる赤子のように泣きじゃくる。
「うあぁああ、ああああぁあああ……!」
抑えなきゃ抑えなきゃ。
そう思うけど涙は止まらず、わたしはそんな弱い自分が嫌になる。
伊都のいない未来を歩ける気がしなかった。
伊都はきっと、わたしの金曜日だった。
金曜日で、一週間で、一か月で、一年だった。
お母さんでも、里奈ちゃんでも、伊都の代わりになることはできない。
絶交したこともあったけど、絶好はまだ解消されていないけど。
それでもわたしのいちばんの宝物は昔からずっと変わらず、北原伊都という愛しい親友だった。
「風邪引いちゃうよ」
耳元で懐かしい声がした、気がした。
顔をあげる。
「トリックオアトリート。お菓子をくれなきゃいたずらしちゃうぞ。……なんてな」
ポケットに両手を突っ込んだ伊都が優しく微笑んでいた。
「……伊都?」
夢じゃないかと思いつつ手を伸ばす。
指先が頬に触れる。あったかかった。
「ごめんギリギリになって。けど間に合ったから許してほしいな」
わたしの涙を指先で拭うと、伊都は背負っていたギターを砂浜から飛び出た石に立てかけた。
伊都はわたしのすぐ隣に腰を下ろし、ダッフルコートを脱いで半分を自分に、もう半分をわたしの背中にかける。身を寄せて伊都が微笑みかけてくる。
「こうしてるとあの頃を思い出すね」
伊都が交通事故に遭い、病室でいっしょに眠ったときのことだろう。頷いてわたしは言った。
「うん。ふたりだけの世界にいるみたい」
伊都に体重を預ける。それに気づいたのか、伊都がふっと笑い、わたしの肩を抱き寄せる。
夢みたいに幸せな時間だった。
この時間がいつまでも続くことを願った。




