2024/10/29(火曜日)
文化祭が今週末に迫り、学校は日に日にお祭り色に染まっていた。
卵焼き以外は冷凍食品で彩られたおかずと白米でお腹を満たせば演劇の時間だ。
準備はほぼ万全と言っていい状態にある。役者はみんな台詞を覚えていて、衣装の準備もできていて、音楽もばっちりで。あとは小道具がちょっとできていないくらい。
稽古時間があっという間に過ぎる。
今日も放課後は一時間延長して練習かなと思ったけど、本番前は体調第一、という窪安さんの鶴の一声で、きっぱり解散することとなった。
その指示を聞き入れずに練習しようとしているわるい子はわたしだけだった。
トイレの個室にこもること五分。そろそろ誰もいなくなった頃合いだろうと思い教室に戻ると、喧騒の去った静かな教室にひとりだけ生徒が残っていた。
「田村さん」
伊都の代わりに音楽担当を押しつけられるも満了できず、昨日まで欠席していたクラスメイトだ。色白の肌にストレートの黒髪だから、茅野さんは「雪女」と呼んでいる。
「……お疲れ様」
座ったまま首だけこちらに向けて、ぺこりと頭を下げてくる。
「ほかの子は?」
田村さんの机の上には、裁縫道具と膨大な未完成の小道具が置かれていた。
「……私、休んで作業遅れちゃったから」
ぼそっとつぶやく。
誰かが休んで遅れたのなら、まわりがその穴を埋めるものではないだろうか。ましてや田村さんは、急遽割り振られた役割をまっとうしようと無理した結果、体調を崩す羽目になったのだ。なのに放課後を削って作業している。たったひとりで。
「手伝うよ」
え? と頓狂な声をあげる田村さんに構わず、わたしは隣の席に腰掛ける。
「これが完成品だよね」
「うん」
「なるほど。単純だけど時間はかかるやつだね。この針借りていい?」
「うん」
「ありがと。じゃあ早く終わらせちゃお」
無言でソーイングする。わたしがひとつ仕上げても田村さんは半分も進んでいなかった。
三つ目の小道具づくりに着手した折、ぐ~とお腹の鳴る音がした。ちらと隣を見やる。
「……ごめん」
肌が白いから、頬の火照りがよく目立つ。
わたしはくすっと笑って言った。
「作業が終わったらコロッケ食べにいこうよ。コロッケがすっごくおいしいお店が近くにあるんだ。おすすめはしらすコロッケ!」
想像したら早く食べたくなってきた。
すいすい手を動かしてひとつ、またひとつと小道具を仕上げる。田村さんはいまだひとつ目の小道具に苦戦しており、なんとなく裁縫が得意じゃないのに流れでやることになっちゃったんだろうなと、事情を察した。
ちなみにわたしは裁縫が得意だ。何度も嶋中のジャージを修繕しているから。
二十分後、小道具がすべて仕上がった。
「おしまい! じゃあコロッケ食べにいこっ」
いい時間だし、劇の練習は諦めることにする。
リュックを背負いつつ揚々と誘いかけるも、田村さんのテンションは変わらずだ。「うん」と平坦な声で応じ、手提げバッグを肩に掛ける。
「もしかしていやだったりする?」
「ううん、楽しみ」
「ほんとに?」
顔がぜんぜん楽しそうじゃないんだけど。
「うん。しらすコロッケ食べるのはじめて」
この街に住んでいてさすがにそれは嘘だろうと思ったけど、フラットな顔から冗談の気配は感じられなかった。
「嘘だよ」
「あ、うん。……そうだよね。この街の名物だもんね」
フラットな顔で平然と嘘をつける子のようだ。
つかみどころのない子だと思った。
※
幼い頃から通い慣れたコロッケ屋に足を踏み入れれば、幼い頃よりちょっとだけ白髪を増やしたおばちゃんが、「ひさしぶりだねほどくちゃん」とわたしをにこにこ顔で歓迎する。
「う~ん……じゃしらすコロッケとカレーコロッケをひとつずつテイクアウトで!」
「はい。お嬢ちゃんは?」
「……しらすコロッケひとつ」
「はい。揚がるまでちょっと待っててね」
一分ほどでコロッケが手渡された。
店の外のベンチに座り、夕焼け空を眺めながらまずはしらすコロッケをひと口。
「ん~美味!」
思わず足をパタパタしてしまう。
「熱くないの?」
田村さんが相変わらず表情の読めない顔で訊ねてくる。
「うん、へーき。熱いの得意なんだ」
「そうなんだ。私は苦手」
言って、ふ~ふ~と息を吹きかける。その横顔に伊都が重なり、わたしは少しうるっとしてしまった。
……そっか。伊都とこの店のコロッケを食べることはもうできないんだ。
「ほどく」
と、隣から囁くように呼ばれたものだから、驚いて勢いよく顔をあげてしまう。
田村さんはちょっとだけ目を見開いていた。
「名前、違った?」
「ううん、合ってるけど……」
「けど?」
首を捻る。まるでおかしいのはわたしだとでも言うように。
「名前で呼ばれることは滅多にないから驚いちゃった」
わたしのことをほどくと呼ぶのは、伊都と、ペトリコールと、お母さんだけだ。わたしの大切な人だけが、わたしを名前で呼んでくれる。それはそれでいいなと思っている。
「南野さんって呼んだほうがいい?」
「ううん、ほどくでいいよ。わたしも里奈ちゃんって呼んでいい?」
田村里奈ちゃん。
クラスメイトだから、当然名前は知っている。
田村さんは頻りにまばたきをしていた。
「同級生に里奈ちゃんって呼ばれたのはじめて」
「っていう冗談でしょ?」
「ううん、これはほんと」
言って、田村さん改め里奈ちゃんはしらすコロッケに小さくぱくつく。
「……ほどくってすごく綺麗な名前だと思う」
出し抜けに言われたものだから、危うく釜揚げしらすを喉に詰まらせそうになった。
「私、ほどくのこと好きだよ」
「けほけほっ! 急にどうしたの?」
コロッケの衣が肺の変なところに入ってむせ返る。
里奈ちゃんは薄っすらと笑って言った。
「友だちにしてほしい。いいかな?」
友だちにしてほしい、なんて大抵の人は言わないだろう。友だちというのは気づいたら勝手になっているもので、そこに定義や線引きなんてものは存在しない。
……と、小中くらいまでなら誰しもにこの理屈が通用するけど、高校生あたりから友だちに恵まれる人と恵まれない人にわかれて、恵まれない側の人たちは、どこからどこまでが友だちなのかわからなくなる。
わたしもそうだ。たとえば窪安さんなんかも、友だちと呼べるのかとわからなくて、迷いなく友だちだと言えるのは伊都くらいだ。
いや、伊都の場合は親友か。
「うん、こちらこそよろしくね」
だからきっと、里奈ちゃんは伊都を除けば高校生活ではじめてできた友だちだった。
若干微笑みを濃くし、拳ひとつぶん距離を縮めて里奈ちゃんが訊ねてくる。
「ほどくはなにが好きなの?」
歌うこと。格闘技を観ること。コロッケを食べること。
答えはすぐに浮かぶ。けど、いっときは歌うことを諦めたわたしに好きと言う資格はないだろうし、格闘技に里奈ちゃんは興味がないだろうし、コロッケを食べることが趣味だといったら食いしん坊キャラが定着してしまいそうだし……。
悩んだ末、相手に合わせて偽りの趣味を選んだ。
「TIKTOKかな」
「え、意外。てっきりそういうのは見ない子だと思ってた」
うん、わたしは見ない子だよ。
すぐに選択を誤ったと悟る。わたしは、里奈ちゃんはTIKTOKとか好きそうだなと思って話題にあげたけど、今の反応を見るにそうでもないのだろう。
その後、里奈ちゃんはバードウォッチングが趣味だと教えてくれた。今度いっしょに行こう、と声を弾ませながら誘ってくる彼女にわたしは頷いた。里奈ちゃんは満足げに笑っていた。それからLINEも交換し、途中までいっしょに帰って別れた。
たった二時間で、クラスメイトの田村さんから友だちの里奈ちゃんになっていた。




