2024/10/21(月曜日)2/5
記憶の泡が弾ける。
あの日から、わたしたちはこっそり音楽活動をはじめた。
バンドを結成した翌日にお年玉を使って中古のギターを買って、本屋さんでギター入門書を買って、ワクワクしながらギターを弾いてみたけどぜんぜん思ったような音は出なくて。
一週間が経った頃、わたしはこれっぽっちもギターが弾けるようにならなくて、早速挫折しかけていた。
一方で、伊都は少しずつだけど着実に上達していた。登下校中は指をくいくい動かし、学校の休み時間中はひとり黙々とギター入門書を読んでいた。
その姿を見て、わたしは「やっぱりバンドやめよ」と簡単には言い出せないことを悟った。
二週間も経てば、自分にはギターは向いていないのだと気づくことができた。
わたしは指針を変えて、歌唱力と作詞力を向上させることにした。ギターを挫折したと言うのはなんだか情けなくて、わたしは作詞と作曲は別々に担当したほうがいいんじゃないかな、と、ギターから逃げたい気持ちを隠して伊都に提案した。伊都は快く受け入れてくれた。
気温がぐんぐん上がり、ようやく落ち着いたかと思えば今度はぐんぐん下がりはじめ、雪がぱらつくことも珍しくなくなった中学二年生の冬。
わたしたちの処女作が完成した。
曲名は、「糸、解けず。」
ひとつのイヤホンを伊都と半分こして完成したばかりの曲を聴いたとき、わたしは感動のあまり涙を流してしまった。
世間的に見てうまいのか下手なのかはわからない。けど、伊都といっしょに曲を生み出したという喜びが湧き上がって、わたしは涙を抑えられずにいた。
それは伊都も同じようだった。
曲が終わると同時に涙ぐんだ互いの顔を見合って、ぷっと吹き出した。
「ほどく、あたしたちプロになれるよ」
やけに確信を持った声で伊都が言うものだから、わたしはその調子にほだされて「うん、余裕でなれちゃうね」と調子に乗ってしまった。
……まさかこのあと、ほんとうにチャンスが転がり込んでくるとは思わなかったけど。
三曲目が仕上がった頃、伊都が「せっかくだからYouTubeに動画をあげようよ」と提案してきた。中学三年生の春だった。
わたしが「でもやり方わかんないよ」と応えると、伊都は得意げに「あたしにまかせて」と胸を叩いた。伊都はいつの間にかPCマスターになっていた。
動画をアップするにあたって、チャンネル名を決める必要があった。
チャンネル名は、わたしたちのバンド名にしようということになった。
「糸ほどく、はどう?」
「縁起悪いから却下。あたしはほどくと解けたくない」
「えへへ、伊都ちゃんはかわいいなぁ」
「うるさい。……けど、名前をもじるっていうアイデアは悪くないと思う。北原、南野。伊都、ほどく。……北と南。方位磁石、なんてどう?」
「おぉ! いいねぇ!」
「本当にそう思ってる?」
「うん、ほんとにほんと。すっごくいいと思う」
「そっか。じゃ方位磁石に決定で」
そこから方位磁石の快進撃がはじまり、わたしたちの人生は色づいていった。
わたしは依然として虐待教育を受けたままで、伊都は育児放棄されたままで。
そんな凄惨な境遇にあることも忘れてしまうくらいに、わたしたちの毎日は充実していた。
伊都が音楽づくりに傾倒するあまり、不登校気味になったことだけは良くないことだったけど。
クラス委員という立場上、伊都の非模範的な行動を肯定できなかったけど、わたしは伊都がなにかに必死に打ち込んでいることがうれしかった。
たとえ世界中のみんなが伊都の行動はまちがっていると非難したとしても、わたしだけは彼女の味方であろうと決めていた。
中学生から高校生になっても、わたしたちは変わらず隣合っていた。
わたしたちの通う進学校はそこそこにレベルが高くて、中三の夏までの伊都の成績ではどう足掻いても合格できないラインにあったけど、秋から伊都は死にもの狂いで勉強して合格に漕ぎつけた。
教師やまわりは驚いていたけど、わたしは驚かなかった。だって、伊都は元からやればできる子だから。
伊都が本気になれば、わたしなんてあっさり追い抜いてしまうだろう。伊都を凡庸な娘と認識している伊都の両親は見る目がないなぁと前々から思っている。
世界でただひとり、わたしだけが伊都がすごいんだってことを知っていることに優越感があった。
受験という嵐が去ったことでわたしたちは再び音楽活動に精を出し、動画の再生回数やコメントは、動画を投稿することで着実に増えていった。
転機が訪れたのは今年の一月。
「君のいない〇曜日」を作曲している最中のことだった。
薄れていく自我に比例して、これから意識を浸すあの頃が鮮明になる。
……あぁ嫌な記憶だ。
順番をつけるなら、二番目に嫌な記憶。
意識がまどろんでいく……。




