2024/10/12(土曜日)2/2
おしゃれをする、という言葉も意味合いも当然知っているけど、それは自分とは無縁の概念だと思っていた。
物心ついた頃から、衣服はユニクロかGUで購入してきた。理由は単純。近くにあってかつ安いから。今着ている服だって、先月ユニクロで新調したものだ。
そんなファッションに無頓着なあたしが、英語の横文字が軽快に躍る読み方がよくわからない衣料店の前にいるのだから、人生なにが起きるかわからないものだ。
デパートの七階。アパレルショップで統一されたフロア。ショーウィンドウの中でポーズを決めるマネキンを見れば、ここが高級衣料店であることは一目瞭然だ。
ファッションに造詣のないあたしとはいえ、一目みればその服のおおよその査定はできる。たぶん、あの無地の白Tシャツは二万円くらいだ。根拠はいつか南野の服の新調に付き添ったとき、似たような服が同じ値段だったから。
「おまたせ~」
南野がお手洗いを済ませて戻ってくる。
あたしはひとつ大きく呼吸し、心を研ぎ澄ませる。
大丈夫、たかが洋服店だ。入った瞬間、ユニクロを愛用しているお客様の入店はお断りしています、と突き返されるわけじゃない。
「じゃあいこっ」
笑顔を弾けさせて南野はあたしを先導する。
こいつの無神経さというか、人目を臆さず自分を貫く姿勢には、尊敬を超えて軽い恐怖さえ覚えてしまう。
成長すれば変わるものだと思っていた。
けど、変わらなかった。
こいつはいつまで経っても間違っていることは間違っていると言える人間で。
間違っているとわかっていながらも気づいていないふりをすることが世渡りをうまくするコツだと深浅はともかく成長の中で理解しているだろうに、その老獪さには決して頼ろうとしない愚直で直向きな大馬鹿野郎で。
「あぁ」
イラついていたら緊張が吹っ切れた。
南野を追い越し、あたしから店に足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ!」
「あ、はい……」
その威勢は、たちどころに委縮した。
なにも店員のお姉さんに苦手意識を覚えているわけじゃない。金髪のサイドテール。胸元が大きく開けたレゲェなシャツ。脚線美を際立たせるタイトなパンツ。そして、店の外まで漏れていそうな大きな挨拶。
……前言撤回。こういう眩しいのは苦手だ。
「さ~て、伊都はわたしにどんな衣装を着せたがるのかな~」
早速物色に興じつつ南野がつぶやき、そういえばそんな建前からはじまったのがこのイベントだったことを思い出した。
どうしよう。あたしの服はどのタイミングで買おうか。
……まぁ最悪、いつも通りのファッションでも問題ないか。
幸いだったのは、時間が経つに連れて客足が増えたことだ。どの客も「いぇーい!」が口癖のような光のオーラを放っているけど、その光であたしという影を隠してくれるのなら願ったり叶ったりだ。先入観が強すぎるという意見は否定しない。
衣服は想定したよりも安く、おかげでおっかなびっくりすることなく触れることができる。
身から出た錆のような状況ではあるけど、南野には当初の約束通り服を買うつもりでいる。というのも、YouTubeの収益が入ったからだ。
収益の内訳は、三分の一ほどがまだふたりで方位磁石として活動していた頃の動画から生まれたものだ。手柄を独占するのは癇に障るし、嫌っているとはいえ、こいつにはそれなりに世話になっている。なにかしら送るのがお義理というものだろう。
三十分ほど悩み、南野に似合いそうな服を三着ほど選んだ。
歩けないというほどではないけど、客足がますます増えて歩きにくくなってきたロッジ風の店内で栗色のショートウェーブを探す。
すぐに見つかった。首根っこを引っ張る。
「ちょっとこい」
「わっ! ……びっくりしたぁ。名前呼んでよ」
「……ごめん」
飛び上がる勢いで驚いていたので、申し訳なく思って謝罪する。
と、遅れながらに南野が腕に洋服を掛けていることに気づいた。デニムジャケットにショートパンツ。率直に言って、そのユニセックスなコーデは南野には似合わないなと思った。
「気に入ったのがあったか」
わかりきった質問を投げる。
まったく骨折り損だ。センスはともかく、こいつが気に入った衣装があるのなら、あたしが選んだものよりもそっちを選んだほうがいい。
戻すのが面倒だなとため息をつくと、南野がまったく予期していなかったことを口にした。
「うん。伊都に似合いそうだと思って」
「あたし?」
間抜けな鸚鵡返しをするあたしに、南野はこくりと頷く。
「この店に来てからいろいろ探してたんだけど、これがいちばん伊都に似合うかなって思って」
言われてみれば、デニムジャケットもショートパンツも、南野が着るにしては丈が長い気がする。
「待て。どうしてそうなるんだ?」
「明日は大切な日だからおめかししたいんでしょ。だいじょうぶ。わたし、ファッションセンスには自信があるから」
デフォルトが中学のジャージのやつがなに言ってるんだ。
そう反論したくなりつつも声にならなかったのは、別の気持ちが胸を満たしていたからだ。
全部見抜かれていた。
推理自体は難しいものじゃない。普段は休日家から出ることを面倒臭がるあたしが、唐突に南野を着せ替え人形にしたいと言い出した。翌日には今別府さんとの対談が控えている。
以上、二つの条件にあたしの捻くれた性格を照らし合わせれば、あたしが衣装選びを手伝ってほしいと思っていると曲解することができないわけじゃない。
けど、それは相当に北原伊都という人間を理解していなければできない芸当だ。それを南野は当然のようにやってのけた。
胸の内であたたかな感情が募ることを実感しつつ、あたしは不愛想に一言だけ口にした。
「……ありがと」
「どういたしまして」
あたしの腕にデニムジャケットとショートパンツを掛け、入れ替わるようにあたしが南野のために選んだ三着の洋服をさらっていく。
試着室に向かう最中、南野は思い出したように振り返ってポーズを決めた。
「伊都が大好きなほどくちゃんのファッションショー、まもなく開幕です!」
「……調子に乗りやがって」
柔らかく毒づく声は、すぐに店内の喧騒に揉み消された。
※
「あ~、楽しかった~」
「疲れた」
平日の三倍疲労が蓄積された気がする。まさしく精も根も尽き果てたといった体だ。あたしだけが。
件のアパレルショップで、あたしは南野が選んだデニムジャケットとショートパンツを購入し、南野はあたしの選んだフリルのついたトップスとチェックのロングスカートを購入した。
南野は三着の試着を終えたのちにどれがいちばん似合っていたかと訊ねてきて、あたしはサロペットとタイトスカートと答えたのだけど、南野が選んだのは先に挙げたガーリーとかっしり感が両立したコーデだった。意見反映されないのならはじめから聞くなよ。
衣服を購入して終わり。……とならないことは想定の範疇だったけど、まさか日没までこいつと過ごすことになるとは思わなかった。
服を買って、昼食を食べて、小物屋に行って、靴屋に行って、クレープを食べて、プリクラを撮って。
最後のほうは屍も同然だった。プリクラで加工しても隠しきれないあたしの死んだ目を見れば一目瞭然だろう。
「来週はどこ行こっか?」
「家でだらだらする。南野が続き読みたいって言ってたマンガ、このあいだ買っといたから」
「さっすが伊都。お金は今度返すね」
「いいよべつに。あたしが欲しくて買ったんだし」
今日は一日を通して好天に恵まれており、電車の窓の向こう側では燃えるように真っ赤な夕陽が街に溶け落ちている。
夕方と夜の中間にあたるこの時間の風景は幻想めいていて好きだ。ここからじゃ海が拝めないことが残念だけど、それでも充分に美しい。
首を後ろに捻り、景色に意識を凝らしていると、不意に肩に重みを感じた。
「……んむぅ」
南野があたしの肩に頭をのっけてすやすやと小さな寝息を立てていた。全然そんな気配は感じなかったけど、こいつも人間である以上、日がなはしゃいで疲れていたようだ。
「なぁ南野」
「………んぅ」
「はは、鼠みたいな返事しやがって」
意識の矛先を夕空から南野に変え、そっと栗色のショートウェーブを梳く。キューティクルばっちりな髪は、絡まることなくあたしの指の隙間をすり抜ける。つんつんと頬をつつくと、南野は「んんっ」と赤子がむずかるような声をあげた。
「もうすぐだからな、ほどく」
すべては明日にかかっている。
今別府さんは信頼できる人だ。けど、信頼できる人だから緊張しないってわけじゃない。もしかしたらうまくいかないんじゃないかって、弱腰で悲観的なあたしは悪い妄想ばかりしてしまう。
肩に乗った栗色をそっと撫ぜる。南野の小さく笑った顔を見て、あたしはほっとする。
夕陽が完全に沈み切り、車内が闇に満ちた。




