2024/10/12(土曜日)1/2
日付が変わったタイミングで南野のLINEアカウントが出現する、という摩訶不思議な光景を目の当たりにして胸を撫で下ろし、現実にいないあいだあいつはどこにいるんだろうと思っているうちに眠りに落ちた。
再びあたしを現実に連れ戻したのは、けたたましい着信音だった。
相手は南野。
「なんだよ朝早くから」
『全然早くないよ! もう七時だよ!』
矢継ぎ早に言う声が、起き抜けの脳に響いてウザいのなんの。
「まだの間違いだろ。で、朝早くから何の用?」
『誘ったのは伊都のほうなのにその言い草はあんまりじゃないかな』
不満げな声だ。
誘ったって、あたしから南野を誘うだなんて天地がひっくり返っても……あ。
『八時に迎えに行くから、それまでに準備もろもろを済ませておくように。朝ごはんは食べちゃってもへーき? それとも向こうで食べる?』
「あー……向こうで食べる方向で」
『りょーかい。じゃまたあとで』
電話が切れる。
前髪を掻きあげ、あたしはげんなりと息をついた。
「午後からって時間指定しておくんだったな」
遡ること二日前。
定食屋でコロッケを平らげたのちにいつもよりゆったりした歩調で帰路を辿っていると、南野が「土曜日はなにをしようか」と訊ねてきた。
今にして思えば正気の沙汰じゃないけれど、あのときの正気の沙汰じゃなかったあたしは服を買いに行きたいと答えたのだった。
時間を指定しなければ朝一に行くと南野が解釈するとこれまでの付き合いでわかっているのに、あの時のあたしは鼻歌交じりにスキップする南野に、集合時間に関する話題を切り出すことができなかった。あの日のあたしはほんとうにどうかしていた。
軽率で注意力の欠けた過去のあたしに業を煮やしたところで、今が変わるわけじゃない。あたしは、約束は特別な事情がない限り守る人間だ。
億劫だけど、身体を起こして支度に取りかかる。
「あれ、ICカードどこ置いたっけ?」
机の上、机の中、ベッドの下、どこを探しても見当たらなくて、また買い直せばいいかと諦めていたら、たった今、穿いたばかりのチノパンツのポケットに入っていた。ラッキー。
※
八時ちょうど、インターフォンの音が玄関から聞こえてきた。
作業を中断してPCを閉じ、たすき掛けのポシェット、そして右肩にギターを背負って玄関に向かう。階段を降りている最中であたしを急かす二度目のインターフォンの音がした。はいはい、聞こえてる聞こえてる。
鍵をまわして扉を開くと、予測に違わず南野がいた。
「おはよ伊都」
「ん、おはよ」
今日はいつもの嶋中ジャージコーデではなく、秋らしいコーデに身を包んでいる。頭にはベレー帽。だぼだぼしたスウェットにロングスカート。靴はオーソドックスなスニーカー。
背中の小さなリュックがなんとも衣装に不釣り合いだけど、その完璧じゃない背伸びした感じが南野らしいなと笑みがこぼれる。
「ギターはいらないでしょ」
南野が生ぬるい目をする。
「……必要だろ」
ギターを失ったあたしなんて、四次元ポケットを剥ぎ取られたネコ型ロボットみたいなもんだぞ。
……などと抗議のまなざしを向けるも、あたしの言い分は論旨がずれていて南野の言い分が正しいのは火を見るより明らかなので、あたしは部屋にギターを置いて出直したのだった。習慣、恐るべしだ。
※
早朝ということもあり、電車では腰を下ろすことができた。
南野と他愛無い話をしつつ、車窓の田園風景が徐々に都会に染まっていくのをぼんやりと眺めること三十分。ぎりぎり県内にある、近隣ではもっとも栄えている繁華街に到着する。
「まずは朝ごはん食べにいこ。サンドイッチか、ハンバーガーか、トーストか。お好きなものをどうぞ」
「米」
「捻くれてるなぁ。じゃライスバーガーにしよっか」
「ならサンドイッチで」
「最初からそう言えやい」
ジト目で言ってくる。
南野は、一瞬不機嫌になったかと思いきや鼻歌混じりに両手を伸ばし、平均台の上を歩くかのようなゆったりした歩調を街に刻む。あたしはその三歩後ろを牛歩の歩みでつける。あたしとこいつは他人です。
お目当ての衣料店の開店時刻は十時のようだ。現在の時刻は九時をまわったところである。休日の早い時間帯ということもあり、朝食を摂るために入った店では閑古鳥が鳴いていた。
アボカドとスモークサーモンサンドイッチにぱくつき、「う~ん!」と頬に片手を当てて足をぱたぱたしながら唸る南野に、あたしはモッツァレラチ―ズのサンドイッチを咀嚼する手を止めて訊ねた。
「どこか行きたい場所でもあるのか」
ごくんと喉を鳴らし、南野はふるふるとかぶりを振る。頬にマヨネーズがついているけど、本人は気づいていないようだ。
「ちょっとじっとしてろ」
ぱくつく手を止め、南野はきょとんとあたしを見つめる。
紙ナプキンを三枚抜き取り、南野の頬についたマヨネーズをそっと拭き取る。汚れたナプキンを机の端にどけて質問を続ける。
「ならどうしてこんな早くに来たんだ」
「ありがと」
「連れの口許が汚れてても放っておくような薄情者だと思われたくなかっただけだよ。で、なんで?」
「一秒でも長く、伊都と今日を満喫したかったからだよ」
柔らかく言うと、紙ナプキンをしゅっしゅと引っ張り、あたしの右頬に近づけてくる。
「じっとしててね?」
紙の感触を感じないほどの繊細さであたしの頬を拭き、「これでよし」と南野は満足げに頷いた。
「……誰も頼んでないっての」
かっと顔が熱くなり、堪らずあたしは目を逸らす。
いったい、いつから頬が汚れていたのだろう。くそ、注意してたつもりなのに。
「わたしといっしょに遠出するの、楽しみじゃなかった?」
さみしそうな声だった。
声色に違わず眉をしならせた微笑に、あたしは迷った末にこう言った。
「嫌なら来てない」
再び視線を外し、モッツァレラチーズのサンドイッチをひと口。チーズの甘すぎない穏やかな風味が心地良い。これくらいの甘さがあたしの好みだ。
正面からふっと笑みのこぼれる音がした。あたしの意識はサンドイッチに集中していたので、その笑顔はおぼろげにしか見えなかった。
南野が笑っていることさえわかれば、それだけで充分だった。




