第1章 「始まりの鐘は三度鳴る」 第6話
住宅街の静かな一角に、ひっそりと佇む小さな喫茶店があった。
店名は「ゼロタイム」。
2階建てのこぢんまりとした建物で、1階が喫茶店、
2階が飛彩家の居住スペースになっている。
この家で翼は兄と2人暮らしをしていた。
百合々咲音楽学院のすぐ近くにあるため、客層のほとんどは学院の生徒たちだった。
放課後になると、制服姿の少女たちが何組も訪れ、甘い紅茶や手作りのケーキを味わいながら、今日のレッスンの話や明日の試験の不安を語り合う。
店内には、柔らかなジャズのBGMがゆったりと流れていた。
木の温もりを感じるカウンター席や、窓際の小さなテーブルでは、それぞれが自分の時間を大切に過ごしている。
カウンターの中では、エプロン姿の青年
飛彩怜人が、慣れた手つきでグラスを丁寧に拭いていた。
黒髪を短く整え、穏やかな笑顔が印象的な青年だ。
数年前に両親が交通事故で他界し、その後様々な人の手を借りながら両親の遺したこの店と妹である翼のために尽力してきた。
「怜人さん、聞いてよ〜。今日、先生がさ……」
カウンターに座った百合々咲の生徒が、紅茶のカップを傾けながら楽しげに話し始めた。
怜人は手を動かしながらも、優しく微笑んで聞き役に徹している。
客たちの目当ては、美味しい飲み物や食事だけではなかった。
この店のもう一つの魅力は、怜人という青年そのものだった。
穏やかで聞き上手な彼に、少女たちは自然と心を開き、学院の小さな出来事から悩みまでを話していく。
そのとき、店の奥の裏口から、もう一人の青年がエプロン姿で出てきた。
「怜人、裏の掃除終わったぞー」
金髪にピアスという、いかにもヤンキー然とした外見の青年
小津理央。
見た目とは裏腹に、真面目で几帳面な性格の持ち主。大学をしっかり卒業した後、幼馴染の怜人と共にこの「ゼロタイム」を切り盛りしている。
「ありがと、理央」
怜人はグラスを棚に戻しながら、軽く微笑んだ。
理央はカウンターに寄りかかり、店内を見回して小さく呟いた。
「にしても今日も多いな、百合々咲の生徒ちゃんたち」
「まぁ、学校が近いし。この辺に飲食店はここくらいしかないからな。駅前まで行くのも面倒だしな」
怜人が淡々と答えると、理央はふと首を傾げた。
「そういえば翼ちゃん、今日は帰ってくるの遅くない?」
「今日は大事なエーデルの最終選考だって言ってた」
怜人は手を止めずに、静かに答えた。
「おぉ……エーデルの……」
理央は感心したように目を丸くした。
「あれ、超エリート集団のやつじゃん。すげぇな、翼ちゃん」
理央はふと思い出したように、遠い目をして話し始めた。
「エーデルって言えば、昔話題になってたよな……
なんだっけ、名前」
「過ぎ去りし流星たち、だろ」
「ああ、そうそう、それそれ」
「お前、舞台見に行ったことあるんだろ?」
「あるある。元カノが出ててさ。翼ちゃんと一緒に観に行ったよな、確か」
怜人は無言で頷いた。
理央は少し声を落として、ぽつりと呟いた。
「……ひなた、元気かなぁ」
その言葉に、怜人は静かに言った。
「連絡してみれば?」
「無理無理。元カノに連絡とか、絶対気まずくなるって」
すると、カウンターに座っていた女子生徒たちが一斉に身を乗り出してきた。
「え、理央さん!過ぎ去りし流星の人と付き合ってたんですか!?」
「まぁ……振られちまったけどな」
理央が苦笑い気味に肩をすくめると、店内に小さな笑い声が広がった。
ふと理央が壁の時計に目をやると、
もうすぐ18時30分になろうとしていた
「あ、やば。そろそろデート行かなきゃ」
彼は急いでエプロンを脱ぎ始め、乱暴に畳んでカウンターに置いた。
「何人目だよ」
「えーと……13人目?」
「またフラれるぞ」
「いやいや、今回は大丈夫なはずだって……多分」
理央は軽快に笑いながら、店のドアに向かった。
「じゃ、行ってくるわ。明日またな!」
「お疲れさん」
怜人は軽く手を挙げて見送った。
理央の背中がドアの向こうに消えると、店内は再び穏やかな雰囲気に戻った。
怜人はカウンターの奥にある小さな写真立てに、ふと視線を落とした。
そこには、幼い日の怜人と翼が笑顔で写った写真があった。
そしてその隣には、小学校の入学式で一緒に写った、金髪の少女の姿。
怜人は小さく息を吐き、独り言のように呟いた。
「過ぎ去りし流星か……いったい、どこにいるんだよ。リリィ……」
その瞬間、カウンター席から明るい声が飛んできた。
「怜人さん〜!注文お願いしま〜す!」
「あ、はーい」
怜人はすぐに表情を切り替え、いつもの穏やかな笑顔を浮かべて動き出した。
店内に流れる柔らかなBGMが、今日も変わらず優しく響いている。
外はもう夕暮れに近づきつつあった。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。そして……
夢を叶える物語である。
第6話 完




