第8章 「地上は全て誰かの舞台」 第2話
中学生になった砂月は、舞台に多く出演し、名を知らぬ者はいないほど有名になっていた。
しかし、そこには常に「プリベンターの総帥の娘」という肩書きが付随していた。
この肩書きを、砂月は心の底から嫌っていた。
好きでプリベンターの総帥の娘に生まれたわけではない。
ただ生まれただけで、
すべてが決まってしまうような気がした。
巷では、プリベンターは演劇界や芸能界とも太い繋がりがあると囁かれていた。
だからなのか、「プリベンター総帥の娘だから……」と贔屓や親の七光と揶揄されることも少なくなかった。
しかし、これまでの役、これまで受賞してきた賞は、すべて砂月自身の実力で掴み取ってきたものだった。
多くのアンチの声を、
砂月は舞台の上での演技と努力で黙らせてきた。
舞台関係者や芸能関係者との社交会に砂月が招待されたとき大物女優や大物俳優、著名人たちと優雅に会話を交わす彼女の姿は、完璧に見えた。
しかし、その本心は笑っていなかった。
(この人たちが私と仲良くしたいのは、プリベンターの総帥の娘だから。)
学校で仲良くしてくる友達の両親のほとんどは、
プリベンター傘下の企業の従業員だった。
言い寄ってくる男たちも、みな「プリベンターの総帥の娘」という地位だけを見ている。
誰も、「香取砂月」という一人の人間を見ていない。
何度か、舞台を辞めたいと思ったこともあった。
しかし、舞台を降りても「プリベンターの総帥の娘」という肩書きは消えるものではない。
仮面を外した先に待っているのは、
ただの孤独と、虚しい視線だけのように感じられた。
中学生の砂月は、
鏡の前で完璧な笑顔を練習しながら、
心の中で静かに問い続けていた。
——私は、いつになったら「香取砂月」として
見てもらえるのだろう。
高校進学……。
砂月にとっては、どうでもよかった。
どうせ高校に行っても言われることは同じなのだから。
月に数回かかってくる両親からの電話。
最初の頃は嬉しかった。
けれど今は、まるで企業間の定時連絡のような、
簡素で事務的なものになっていた。
「お嬢様、最近元気ないな……」
「無理もないです。お嬢様はプリベンターの総帥の娘ですから」
使用人の待機部屋で、
若手の執事とメイドがぼやいていた。
「お嬢様の舞台、俺好きなんだけどな」
「種島くんは、観た事あるんでしたっけ?」
話を振られた宗介は、静かに頷いた。
「あぁ、昔から専属だったからな……」
砂月の笑顔が少なくなってきているのは、
宗介もはっきりと感じていた。
両親がパリへ行ったあの日から、
彼女は平気を装って無理に笑っていた。
演技をしているときの、
あの無邪気で輝いていた笑顔が、
いつの間にか見えなくなっていた。
今の砂月は、ただ「完璧な令嬢」として、
仮面を被り続けている。
「あなた達、いつまで休憩してるつもり?」
入り口に、強面のメイド長が仁王立ちになっていた。
「やっべ」
若手の執事とメイドが慌てて控え室から出ていった。
宗介は最後まで残り、静かにメイド長に一礼した。
メイド長は小さく息を吐き、
宗介にだけ聞こえる声で言った。
「……お嬢様のことは、頼んだわよ」
宗介は再び深く頭を下げ、控え室を出た。
廊下を歩きながら、彼は静かに胸の内で呟いた。
(お嬢様……あの頃の笑顔を、もう一度見たい)
幼い砂月が台本を広げ、
「そうすけ、この役やりなさい!」と無邪気に笑っていた日々が、今も宗介の心に鮮やかに残っていた。
あの頃の輝きは、
今、どこへ行ってしまったのだろう。
使用人たちの間で交わされる小さな会話と、
香取家の広い屋敷に満ちる静けさの中で、
砂月は1人、完璧な仮面を被り続けていた。
高校進学という新しいステージが始まろうとしていたが、 彼女の心は、まだあの幼い日の「舞台」の輝きを、静かに求め続けていた。
屋敷の長い廊下を、砂月はゆっくりと歩いていた。
別にどこかの部屋に行く用事などない。
ただ、夜の静けさに包まれた廊下を、
目的もなく歩くことが多かった。
月夜の光が窓から差し込み、
床を淡く照らしている。
廊下の先に、人影が立っていた。
宗介だった。
彼の視線の先には、これまで砂月が獲得してきた賞のトロフィーや盾が、静かに並べられていた。
「何を見てるの?」
「……いえ」
「主人の取った賞を見る顔じゃないですわ。もっと誇らしくしたらどうなの」
「そうですよね……」
砂月もその場に立ち止まり、
今まで自分が獲得してきた賞の数々を見つめた。
「お嬢様はどうして舞台を続けるのですか?」
宗介が、静かに口を開いた。
「正直、昔ほどお嬢様は舞台を楽しんでいるとは思えなくて……」
昔から自分の側に居続けていた人は、
容易に騙せない。
砂月は小さく息を吐いた。
「そうですね……」
遠い記憶が蘇る。
大帝都劇場で観たあの輝き。
あの日見た煌めきに、砂月は心から憧れていた。
幼い頃は、あのように輝いてみたいと夢見ていた。
私は今、あの様になれているのだろうか……。
それを確かめたい。
「宗介、私は百合々咲へ行きます」
「え?」
演劇界の著名人たちが口々に進学先を尋ねてきた中にあった学校。
かつて砂月が見た舞台の学校。
「あの学校はプリベンターの娘という肩書きでどうにかなる学校じゃない事は、素人でもわかる事ですわ」
砂月は静かに、しかしはっきりと言った。
「私は、香取砂月としてあの煌めきを勝ち取ります」
その言葉は、月明かりに照らされた廊下に、
静かに響いた。
宗介は一瞬言葉を失い、
ただお嬢様の横顔を見つめていた。
幼い頃の無邪気な笑顔が、ふと脳裏をよぎる。
あの頃の砂月は、
ただ演じることが楽しくて仕方なかった。
今、彼女はもう一度、
あの輝きを取り戻そうとしている。
屋敷の廊下に、静かな決意が満ちていた。
砂月はゆっくりと歩き出し、
自分の未来を照らすはずの「煌めき」に向かって、
一歩を踏み出そうとしていた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
夢を叶える物語である。
第2話 完




