第7章 「心の火はさらに熱を増す」 第4話
学院へ向かって歩いていた。
夕暮れの風が、
八重の紫がかった長い髪を優しく揺らす。
制服の裾が軽く翻り、
足音が静かな道に響いていた。
今、SNOW WHITEの稽古をしているみんなは、
自分たちの意見を持って、挑戦している。
侑樹や瑠々たちのように、
積極的に演出やアイデアを出し合い、
失敗を恐れず前に進もうとしている。
少し、八重は羨ましく思っていた。
自分はいつも、
完璧を守ることばかりを考えていた。
型を破ることを恐れ、
言われた通りに動くことだけを学んできた。
挑戦という言葉さえ、どこか遠いものに感じる。
「おぉ、誰かと思ったら百合々咲の王子じゃないか」
顔を上げると、道の先に1人の女性が立っていた。
赤い髪を短くまとめ、
軽やかなランニングウェアを着た女性。
その佇まいは、凛として、
しかしどこか親しみやすい。
火野凛。
過ぎ去りし流星たちのひとり、
元・フラウ・フォイヤー(火の君)。
「凛さん?」
「学校帰り……にしては逆方向な気がするけど?」
「忘れ物取りに行くんです」
「あーね」
「凛さんは?」
「私はランニング中。体が鈍らないように」
「そうなんですね……」
一瞬、八重は顔を伏せた。
それを、凛は見逃さなかった。
「なんか悩んでるっしょ?」
「え?」
「見ればわかる。先輩が話聞いてあげるよ」
凛は軽く笑いながら、八重の隣に並んだ。
夕陽が2人の影を長く伸ばし、
道を優しく染めている。
八重は言葉に詰まり、ただ小さく息を吐いた。
完璧を守り続けてきた自分。
挑戦することを恐れてきた自分。
火の君と呼ばれる先輩の、自由で芯のある視線が、
八重の胸に静かに刺さっていた。
「少し……話、聞いてもらえますか?」
八重の声は小さく、しかし確かに響いた。
凛は優しく頷き、並んで歩き始めた。
夕暮れの道で、
“今の王子”と“かつての火の君”が、
静かに言葉を交わし始めた。
公園のベンチに座り、八重は静かに話し始めた。
今までのこと。
型を守り続けてきたこと。
アドリブを恐れ、演出家の言葉に縛られ、
自分の気持ちを押し殺してきた日々。
そして、勇気がないということ。
凛はただ、静かに聞いていた。
夕陽が木々の間から差し込み、
ベンチに長い影を落としている。
風が桜の葉を優しく揺らし、
淡い花びらが2人の間に舞い落ちた。
「なるほどね、だからあの時、木登れなかったんだ」
「……そんな感じです……」
凛は大きくため息をついた。
「それ、生きづらくない?」
「え?」
「演出家の言われた通りにしか動けないって、そんなの面白くないじゃん」
実際、そうかもしれない。
八重は演出家の顔色を伺う日々を送っていた。
自分の感情を乗せることすら、
許されない世界で生きてきた。
「役者は演出家にぶつかっていくもんよ」
凛は笑っていた。
その笑顔は明るく、自由で、火のように熱かった。
「凛さんはそうだったんですか?」
「私は私のやりたいようにやる。 言いたいことがあれば、言う。昔も今も変わらないよ」
羨ましい。
やっぱりこういう人になれないと思った八重。
凛の言葉は、八重の胸に静かに刺さった。
完璧を守ることだけを学んできた自分。
型を破ることを恐れ、
誰かの期待に応えることだけを正義としてきた自分。
「私……そんな風に、ぶつかっていけるでしょうか……」
声は小さく、風に溶けそうだった。
凛は優しく微笑み、八重の肩に軽く手を置いた。
「できるよ。だって、あなたは“王子様”なんだから。王子様は、ただ従うだけじゃなくて、 自分の道を切り開く存在でしょ?」
夕陽が公園を赤く染め、
2人の影を長く伸ばしていた。
八重は胸の奥で、静かに繰り返した。
「自分の道を……切り開く……」
凛の言葉は、
完璧という檻の中に閉じ込められていた八重の心に、初めて小さな隙間を作った。
夕暮れの公園で、凛がふっと微笑んだ。
「ねぇ、ちょっと立って」
八重は不思議に思いながらも、
素直に立ち上がった。
凛は少し距離を取り、軽く構えた。
「身体表現技法B2 教本48ページ。素手による殺陣の型、習ってるよね?」
「……はい」
「よろしい、構え!」
八重は教本通りに拳を構えた。
次の瞬間、凛が一気に間合いを詰め、
八重に向かって鋭く殴りかかった。
八重は教本をすべて暗記していた。
見たことのある動き。
反射的に体が反応し、凛の攻撃をいなしていく。
「流石、やるね」
凛は満足げに笑い、再び距離を取った。
「なら、これはどうかな?」
また凛が一気に間合いを詰め、
八重に殴りかかる。
さっきと同じ動き……
なのに、どこか違う気がする。
教本通りなら、次の動きは——
しかし凛の動きは、
教本通りの型にはならなかった。
——凛の動きは、それを“超えていた”。
(避けられない……!)
体が、本能的に反応した。
習っていない、自分だけのやり方で。
瞬間、八重は凛の攻撃をすり抜けていた。
「……!」
凛が、嬉しそうに笑った。
「何か、見えた?」
八重は息を整えながら、静かに頷いた。
「……はい。なんかよく分からないけど、ようやく……」
「そう? なら、行きなさい」
八重は背筋を伸ばして深く一礼した。
「……はい!」
その背中が、夕陽の中を走り去っていく。
凛はベンチに腰を下ろし、
去っていく八重の後ろ姿を優しく見つめながら、
小さく微笑んだ。
「舞台で待ってるよ、フラウ・フォイヤー」
風が、公園の桜の木を優しく揺らした。
完璧という檻の中に閉じ込められていた少女は、
今、初めて自分の“型”を超える一歩を踏み出した。
その足音は、夕暮れの公園に軽やかに響き、
やがて遠ざかっていった。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
夢を叶える物語である。
第7章 「心の火はさらに熱を増す」 完




