第7章 「心の火はさらに熱を増す」 第3話
八重はベッドに腰を下ろし、
ゆっくりと息を吐いた。
完璧に整えられた部屋の中で、
彼女は自分の手をじっと見つめた。
指先が、わずかに震えていた。
「怖い……」
型を破ること。
枠から外れること。
誰かの期待を裏切ること。
すべてが、八重を静かに縛り続けていた。
百合々咲に行きたくても行けなかった友人を、
裏切ることになりそうで怖い。
あの頃、一緒にSNOW WHITEを観て、
「一緒に行こう」と笑い合った日々が、胸に蘇る。
自分だけが夢を叶えようとしている。
それが、友人を置き去りにするような気がして、
胸が締めつけられた。
本を読んで、落ち着こう……
鞄から本を取り出そうとした。
しかし、鞄の中に本はなかった。
教室に忘れてきたのかもしれない。
どうしても読みたいというわけではなかったが、
今はただ、何かやる事が必要だった。
「……取りに戻るか……」
八重は小さく呟き、立ち上がった。
部屋の明かりを落とし、
静かにドアを開ける。
廊下の冷たい空気が、彼女の頰を撫でた。
完璧を守り続けてきた自分。
「王子様」と呼ばれるようになった自分。
でも、心の奥底では、
あの幼い日の岩場で立ち尽くしていた自分が、
まだ震え続けている。
百合々咲という選択は、
自分にとって本当に正しいのだろうか。
寮のエントランスに降りると、
柔らかな照明が静かに灯っていた。
舞台創造科の赤尾侑樹が、
PCの画面に向かって真剣に作業をしていた。
「赤尾さん?」
「あ、こんばんは!」
侑樹は画面から顔を上げ、明るく笑顔を向けた。
「何してるの?」
「SNOW WHITEの演出プラン考えてて、部屋じゃちょっと集中できそうになくて」
侑樹が少し照れくさそうに笑いながら答えた。
演出プラン?
今回、侑樹は演出助手のはず。
プランを考える仕事ではないはずだった。
「演出って、あの演出家がやるんじゃ……」
「大体はそうですけど、毎回『自分ならどう演出するか考えて持ってこい』って言われるの」
「何で?」
「正直分からない。けど、挑戦する機会を与えてくれてるって思うようにしてる」
挑戦……。
八重には程遠い言葉だった。
演出家の言う事が絶対の舞台で生きてきた八重にとって、「挑戦」という行為は、反逆行為に等しかった。
「ロゼさん、私たちがこうやってみたいって言うと、意外とやらせてくれるんだよ」
「意見言うの怖くないの?」
侑樹は少し考え込むように首を傾げたが、
すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「確かに顔は怖いよね。でも、勇気出して話しかけると意外とあの人優しかったりするんだよ。最初はビビってたけど、ちゃんと聞いてくれる。
『お前たちの視点も必要だ』って」
八重は言葉を失った。
完璧に型を守り、
言われた通りに動くことだけを学んできた自分。
アドリブを入れることすら許されなかった過去。
侑樹の言葉は、そんな八重の心に、
静かに波紋を広げていた。
「みんなは……自分の意見を言えるんだね…」
八重の声は小さく、どこか遠かった。
侑樹はPCの画面を軽く閉じ、優しく言った。
「八重ちゃんも、いつか言ってみたら?
きっとロゼさん、聞いてくれるよ」
八重は静かに微笑んだが、その瞳の奥には、
まだ消えない「怖さ」が影を落としていた。
エントランスの柔らかな照明が、
二人の姿を優しく照らしていた。
八重の胸に、
「挑戦」という言葉が、
静かに根を張り始めていた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
夢を叶える物語である。
第3話 完




