第6章 「水の様に澄んだ心で」 第4話
夕焼けの茜色が空を静かに染める中、
張哪吒は寮への帰り道を歩いていた。
足音が、夕暮れの道に小さく響く。
風が冷たく頰を撫で、制服の裾を軽く揺らした。
「みんなで作るから楽しい……」
華に言われた言葉が、
ずっと頭の中に残っていた。
私は一体……。
自分の強さとは、一体……。
これまで、ただ一人で頂点を目指してきた。
完璧を追い求め、
誰にも負けない強さを手に入れるために、
すべてを犠牲にしてきたはずだった。
なのに、今、その強さがどこか空虚に感じる。
ふと顔を上げると、信号待ちをしている一人の女性が目に入った。
黒のショートヘアに、
白いチャイナドレスを纏った女性。
その佇まいは、静かでありながら、
圧倒的な存在感を放っていた。
始妹蘭。
過ぎ去りし流星たちの一人、
元・フラウ・ヴァッサー(水の君)。
妹蘭が哪吒に気づき、柔らかく微笑んだ。
「また会いましたね。フラウ・ヴァッサー」
「……妹蘭さん」
妹蘭の手元を見ると、美しい花束を抱えていた。
「何か焦ってるようですね」
哪吒は目を伏せた。
歩行者信号が青に変わった。
「少し時間ある? ちょっと付き合っていただけます?」
妹蘭と哪吒は、無言のまま歩いていた。
どこへ向かっているのか、
哪吒には分からなかった。
ただ、妹蘭の背中を静かに追うしかなかった。
やがて、妹蘭はある場所に入っていった。
そこは墓地だった。
「墓?」
誰かの墓参りなのか?
墓石が静かに並ぶ中、
妹蘭はひとつの墓石の前で足を止めた。
その墓石は、他のものに比べて少し立派に見えた。
古びてはいるが、丁寧に手入れされている。
「誰のお墓なんですか?」
「大帝都歌劇団 初代花組トップスタァの方です」
もう100年も前の人物のお墓だった。
妹蘭にとっては、大先輩にあたる存在。
でも、なぜ今、墓参りを?
妹蘭は花を墓前にそっと供え、
線香に火を灯した。
そして、静かに手を合わせた。
哪吒はその光景を、
後ろからただ見つめることしかできなかった。
夕暮れの墓地に、
線香の煙がゆっくりと昇っていく。
「初代花組の人たちは最初から完璧だったって聞いてます」
妹蘭が静かに口を開いた。
「でも、私は思います。完璧な人などどこにもいないと」
哪吒は黙って聞いていた。
「私も完璧に憧れていましたが、やはり不得意なものは不得意なままでした」
「過ぎ去りし流星たちなのにですか?」
「過ぎ去りし流星なんて、天才と持て囃されてるだけです」
妹蘭の声は穏やかだったが、
そこに確かな重みがあった。
「歌は李梨奈さんには勝てませんし、ダンスのスキルもひなたさんの方が上です」
「では。何故あなたたちは伝説の存在へと……なれたのですか?」
妹蘭は哪吒の目をまっすぐに見つめ、
静かに答えた。
「それは、皆を信じていたから。
各々の弱さを皆で補い合う。それこそが過ぎ去りし流星たちの強さです」
哪吒の肩が、わずかに揺れた。
「周りにいる仲間たちと共に、支え合いながら、
ぶつかり合いながら創っていく。それが舞台です」
「けれど、舞台の上では実力が全てです」
「その考えが、あなたを孤独にしてるのです」
「…………」
「独りよがりの舞台なんて、誰も観たくない。
それに、あなた……“仲間”の顔、ちゃんと見てますか?」
哪吒は、返せなかった。
「何があったかは存じませんが、あなたたちは同じ学院で共に学び、競い合ってきた“仲間”でしょ?」
「…………」
「水は一滴では、ただのしずく。でも、集まれば——やがて大河となります」
「私に……できるとは思えません」
妹蘭は、優しく微笑んだ。
「剣が導く未来のために。 心のままに進みなさい。あなたの“心”は……どうしたいの?」
哪吒は、目を伏せていた瞳を、ゆっくりと上げた。
「私は……舞台に立ってみたいです。1人じゃなく、みんなで……舞台を作ってみたいです」
「それが、あなたの“正直な気持ち”?」
「はい……」
妹蘭は、微笑みながら背を向けた。
「あなたの、水のように澄んだ心に——幸あらんことを。舞台で、待ってます」
その言葉と共に、静かに去っていった。
残された哪吒は、手を胸に当て、目を閉じた。
その目にはもう、焦りも孤独もなかった。
ただ、澄みきった水のような、
静かな決意があった。
風が墓地の木々を優しく揺らし、
線香の煙がゆるやかに空へ昇っていく。
哪吒は深く息を吸い、
ゆっくりと歩き出した。
これまで一人で強さを追い求めてきた道。
しかし今、彼女の胸には、
「みんなで創る」という新たな光が灯り始めていた。
夕暮れの墓地を後にする哪吒の背中は、
これまでより少しだけ、軽やかに見えた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
夢を叶える物語である。
第6章 「水の様に澄んだ心で」 完




