第5章 「自由への風は再び吹く」 第4話
二乃はベッドで目を覚ました。
もう真っ暗になっていた。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
昔の夢を見ていた気がする。
中学の受験の時、まだ百合々咲に入る前の日々。
翼と一緒に帰り道を歩きながら、
将来の話をしていた頃。
今の自分は、あの頃なりたかった自分になれているのだろうか?
自問自答していた。
今日も他のみんなは「SNOW WHITE」の練習をしているのかな。
行かないといけないのは分かっている。
でも、自分がエーデルとして立ってていいのか分からないまま、あそこにいてはいけない気がする。
じっとしていると、嫌なことばかり考えてしまう。
両親はまだ帰ってきていないようだった。
二乃はゆっくりと起き上がり、
私服に着替えて部屋を出た。
少し夜道を歩こうと思った。
外の空気は少し冷たく、夜風が頰を撫でる。
当てもなく歩いていた二乃に、ふと声がかかった。
「あれ? 二乃ちゃん?」
顔を上げると、
そこには1人の金髪の青年が立っていた。
「あ、えっと……」
誰だか思い出せなかった。
名前を知っているような気はするが……。
「覚えてないか、俺だよ。小津理央。翼ちゃんと一緒に舞台見に行ったよね?」
思い出した。
12年前にSNOW WHITEを見に行く時に連れていってもらった人。
不良の怖いお兄さんという印象が強すぎて、
ほとんど顔を覚えていなかった。
「……お久しぶりです」
「翼ちゃんに会いに来たの?」
「え?」
言葉の意味が一瞬分からなかったが、
顔を上げるとそこはゼロタイムの目の前だった。
理央は締め作業で看板を閉めている途中だったようだ。
「いえ、今日は散歩してて……」
「なんか飲んでく?」
「あ、今お金持ってなくて……」
「いいって、奢りだよ奢り。さ、入って入って」
理央は明るく笑いながら、二乃の背中を軽く押した。
店内に入ると、閉店後の柔らかな照明が残っていて、どこか懐かしいコーヒーの香りが漂っていた。
二乃はカウンター席に座り、
理央が淹れてくれた温かいココアを両手で包み込んだ。
「ダンス頑張ってるみたいだね」
「え?」
「いつも話は聞いてるよ」
「翼からですか?」
「それもあるけど、ここに来る生徒ちゃんたちからも」
「え?」
二乃は少し驚いて目を丸くした。
ゼロタイムに百合々咲の生徒たちが多く訪れるのは知っている。
その子たちが、自分のことを話しているなんて思ってもみなかった。
「後輩思いのいい先輩だって」
「そうですかね……」
「俺にはお世辞に言ってるようには見えなかったけどな」
理央はグラスを磨きながら、穏やかに微笑んだ。
二乃は確かに、後輩たちからダンスのコツやアドバイスをよく求められていた。
自分では「エーデルだから慕われている」と思っていた。
エーデルだから、手本にならなければならない。
そう思い込んできた。
「今の私は、後輩たちの手本になれないです……」
理央は黙って聞いていた。
「大事な舞台があるのに、私だけ身勝手に降りて。
そんな私はエーデルに相応しく無いですよね」
二乃の声は小さく、俯いたままだった。
理央はグラスを置いて、静かに言った。
「エーデルとか、舞台とかそういうのよく分からんけど、手本になるってそんなに大事なことなんかな」
二乃はさらに俯いた。
理央は少し遠い目をして続けた。
「覚えてるかわかんないけど、昔俺不良だったからさ。誰かの手本になるとか考えたことなかった。
自分らしくいる、それが俺だったからな」
その言葉は、静かに二乃の胸に響いた。
理央の声は軽やかだったが、
そこには確かな重みがあった。
「今でもそう思ってるよ。
無理に誰かの手本になろうとするより、
自分が本当にやりたいようにやる方が、
結局誰かのためになるんじゃないかな」
二乃はココアのカップを両手で包み込み、
ゆっくりと息を吐いた。
カウンターの向こうで理央は、
再びグラスを磨き始めた。
店内に流れる静かなBGMと、
夜のゼロタイムの柔らかな灯りが、
2人の会話を優しく包み込んでいた。
二乃の心に、
理央の言葉が小さな風のように入り込んでいた。
次の日、二乃は学院にいた。
屋上から、中庭で練習に励む生徒たちの姿をぼんやりと見下ろしていた。
「後輩から慕われている」
ほんとにそうなのかな……。
風が冷たく頰を撫でる。
二乃は手すりに寄りかかり、
胸の奥で静かに自問していた。
「二乃」
後ろから声をかけられ、振り返るとそこには舞台創造学科の高瀬光葉が立っていた。
「練習来てないみたいだけど。大丈夫??」
「……どうなんだろ、分からない」
冷たい風が、2人の間に吹き抜けた。
光葉は少し心配そうに近づき、
屋上のベンチに腰を下ろした。
「練習の方はどうなの?」
光葉は小さく肩をすくめながら答えた。
「大変だよ〜。あの演出家、裏方のウチらまでダメ出ししてくるからね」
裏方にまで容赦なくダメ出しをする演出家は珍しくない。
しかし、ロゼ・アディンのそれは特に厳しく、
的確だった。
「演出補佐の侑樹なんて、もう頭パンクするって毎日のように言ってるよ」
「ユッキーが?」
「うん。アンダーやアンサンブルの子達も毎日筋肉痛だってさ。 ロゼさんの指示が細かすぎて、みんな必死でついていくので精一杯」
自分がいなくなっている間に、そんな状況になっているなんて想像すらしていなかった。
「……ごめん」
「?」
「私たちがいなくなったばっかりに……」
光葉は少し驚いた顔をしたが、
すぐに柔らかく笑った。
「なんで二乃が謝るの? 別にいてもいなくても、あの演出家は変わらないよ」
光葉はベンチに座ったまま、軽く肩をすくめた。
「二乃たちがいたら、もっと練習厳しくなるかもだけど」
光葉は笑った。
「戻ってきた時びっくりしないでね。
みんなレベル、爆上がりしてるから」
二乃は小さく頷いた。
「……うん。ありがとう、光葉」
屋上の風が、2人の髪を優しく揺らした。
中庭では、生徒たちがまだ練習を続けている。
その姿は遠くから見ても、必死さと熱気が伝わってきた。
二乃は手すりを握りしめ、静かに目を細めた。
自分が抜けた穴が、
思った以上に大きかったことを、
今、改めて実感していた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
夢を叶える物語である。
第4話 完




