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SNOW WHITE PRELUDE -白雪姫の輪舞-  作者: 二ノ宮純
第4章 「零は全ての起点なり」
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第4章 「零は全ての起点なり」 第7話

夜の摩天楼にそびえ立つ高級ホテル

サンドロックホテル。


その60階の大宴会場は、

政財界の華やかな光に満ちていた。


シャンデリアの柔らかな輝きの下、香取砂月は黄色のドレスを優雅に纏い、静かに佇んでいた。


百合々咲音楽学院のエーデルであり、

巨大企業「プリベンター」の令嬢。


ドレスは彼女の身体に完璧に馴染み、紫色の髪は美しくまとめられ、笑顔もまた隙のない“完璧”そのものだった。


「まぁ、香取家のお嬢さん……」


「こんなに美しいと将来が楽しみですな」


「ぜひうちのパーティにも顔を出していただきたい」


周囲からかけられるリップサービスに、

砂月は優雅に微笑み返した。


一つ一つの仕草も、言葉も、完璧に調律されていた。


けれど——その笑顔は、張り詰めた仮面だった。



くだらない……



言い寄ってくる人々は、

誰も香取砂月という“人間”を見ていない。


ただ「巨大企業プリベンター総帥・香取源助(かとり げんすけ)の娘」としてしか、

彼女を見ていない。


砂月は静かに会話を切り上げ、

会場の端へと移動した。


近くに控えていた執事の種島宗介の前を通り過ぎるとき、彼女は小さく言った。


「少し席を外すわ。後は適当に遇らっといて」


宗介は静かに頭を下げ、ただその背中を見送った。


会場内の誰も、香取砂月が退出したことに気づかなかった。




大宴会場の扉を抜け、静かな廊下に出た瞬間、

砂月の肩から力が抜けた。


完璧に保っていた仮面が、わずかに歪む。


廊下の窓から見える夜景は美しかったが、

彼女の瞳にはただ冷たく映るだけだった。


(また……同じ夜だわ)


エーデルとしての重圧。


学院での冷たい視線。


そして、この社交の場で繰り返される、

虚しいやり取り。


すべてが、砂月の心を静かに蝕んでいた。


彼女は壁に軽く背を預け、目を閉じた。


完璧な笑顔の裏で、

香取砂月という少女は、

今もなお、孤独な仮面を被り続けていた。


誰かが静かな足音を立てて近づいてくる。


「お嬢さん、ごめんね」


不意に声をかけられ、

砂月はゆっくりと振り返った。


「お手洗いって、どっちか分かる?」


そこに立っていたのは、ピンクのパンツスーツに身を包んだ長身の女性だった。


落ち着いた物腰と、

どこか演者らしい鋭い目が印象的だ。


目が合った瞬間、砂月は一瞬、呼吸を忘れた。


その眼差しは、

舞台の上から人を見下ろす者のそれだった。


「……あちらですわ」


砂月が指を差すと、

女性は軽く会釈して歩き出した。


——すれ違いざま。


女性がふと、足を止めた。


「……その笑顔、少し引きつってるわよ」


「……え?」


「会場のおじさんたちには通じてもね、“演技”をかじった人間には分かるの。

“笑顔のフリ”するなら、もっと練習したほうがいい」


砂月は一瞬、息を呑んだ。


「……なんで、それが“フリ”だと?」


「“元エーデル”の目は伊達じゃないってことよ」


「……元……エーデル……?」


女性はゆっくりと振り返り、

穏やかでありながらも芯のある微笑みを浮かべた。


「元フラウ・ボーデン(地の君)——フィーア・ウィナー。

まさか“知らない”なんて言わせないわよ、後輩ちゃん」


砂月の瞳が見開かれた。


「……過ぎ去りし流星の……フラウ・ボーデン(地の君)……」


その瞬間、砂月の仮面が、音もなく、

ひとつひとつ崩れていくようだった。


完璧に保ってきた笑顔の裏側で、

彼女の心に長く張りつめていた緊張の糸が、

静かにほどけ始めた。


廊下の窓から差し込む夜の光が、

2人の影を長く、静かに床に落としていた。





ホテルのパウダールームは、

静かで上品な空気に満ちていた。


フィーアが手を洗い終えると、

その隣に砂月が静かに立っていた。


「あなた、本当に……あの“フラウ・ボーデン(地の君)”だったのですか?」


砂月の声には、隠しきれない驚きと疑念が混じっていた。


「疑っちゃう?」


フィーアは鏡に映る自分の姿を軽く整えながら、くすっと笑った。


「……こんな偶然、信じられません」


「世間って、案外狭いのよね」


あの伝説がすぐ隣にいる。


砂月にはどうしても信じられなかった。


今、自分が越えようとしている存在の本人が、

目の前に立っているなんて。


「私の経営する会社もこの会食に呼ばれたんだけど、ほんとつまんないわね。

何?あの叔父さんたち、セクハラ一歩手前よ」


「その件に関しては同感ですわ」


砂月が苦笑いで返すと、

フィーアは肩を軽くすくめた。


2人は並んでパウダールームを出て、

静かな廊下を歩き始めた。


しばらくは無言の時間だった。


けれど、フィーアの言葉がふいに、

空気を切り裂いた。


「……初めて? あなたの“笑顔”を見透かされたの」


「ええ。初めてですわ」


「“笑顔”ってのは、心が笑ってないと自然に出てこないの。

あなたのは、“見せる笑顔”。作られたもの」


「…………」


「心に正直になってみたら?それはいつか、確実に疲れるわよ」


「……心に、正直……」


フィーアが踵を返そうとする。


「あら、会場はあちらですわよ?」


「ん? 私はもう帰るわ。

あの会場でおじさんたちのご機嫌取るより、1人でワイン飲んでる方が好きなの」


そう言ってくるりとターンした瞬間——


「——きゃっ!」


ヒールを引っかけ、

足をくじいて転びかけるフィーア。


「……本当に過ぎ去りし流星ですの?」


「どうもバランス感覚鈍っちゃったかな」


「見ていられませんわ。少しお待ちになって」


砂月はため息をつきながらスマホを取り出し、

電話をかけた。


「宗介、今すぐ廊下に来て」


ものの数秒で、宗介が現れた。


「いかがなされましたか?」


「車を出して、この人送りながら私も帰ります」


「かしこまりました」


宗介が静かに頭を下げたその時——


「ん? 宗ちゃん??」


フィーアが不意に声を上げた。


勢いよく顔を上げる宗介。


フィーアの顔を見つめ——


「……先輩??」


普段冷静沈着な宗介が、大きく目を瞠った。


「やっぱり、久しぶり宗ちゃん!!」


「はぁぁぁ!!??」


砂月には、状況が全く理解できなかった。


2人の驚きの表情と、

突然飛び出した「先輩」という呼び方。


予想外の再会が訪れていた。





車内に、重い沈黙が流れていた。


砂月は窓に肘をつき、

流れる夜の街並みをぼんやりと眺めていた。


ネオンや街灯の光が、

ガラスに映っては消えていく。


フィーア・ウィナーは近くのホテルに滞在しているらしく、

車はそのホテルの正面エントランスで彼女を降ろした。


フィーアがいなくなった後、

車内は再び静寂に包まれた。


エンジンの低い音と、

タイヤがアスファルトを走る音だけが響く。


やがて、砂月が静かに口を開いた。


「先ほどの方、どういう関係なの?」


宗介はハンドルを握ったまま、

落ち着いた声で答えた。


「フィーア先輩とは、学生の頃にアルバイトをしていた飲食店のバイト仲間と言いますか……僕の教育担当の方でした」


砂月はわずかに眉を寄せた。


宗介がアルバイトをしていたなど、

聞いたことがなかった。


宗介は両親ともに香取家に執事として仕え、

砂月が生まれてからずっと彼女専属の執事として側にいたはずだ。


「……あなた、アルバイトをしていたの?」


「はい。両親から、社会を経験するように言われておりまして」


そうだったのね……


砂月は窓の外に視線を戻しながら、

心の中で呟いた。


そこで偶然であろうとも、過ぎ去りし流星たちの1人と出会っていたなんて……。


「世間って、本当に狭いのね」


その言葉は、独り言のように小さく落ちた。


宗介はミラー越しに砂月の横顔を一瞬だけ見たが、何も言わなかった。


車は夜の街を滑るように進む。


砂月は窓ガラスに額を軽く押しつけ、

流れる光の帯を見つめ続けた。


フィーアの言葉が、まだ胸の奥に残っている。


「心に正直になってみたら?」


「笑顔のフリをするなら、もっと練習したほうがいい」


完璧に作り上げてきた仮面が、

今夜、初めて外側から指摘された。


砂月は小さく息を吐いた。


宗介は静かにハンドルを切りながら、

お嬢様の沈黙を、ただ優しく受け止めていた。


夜の車内は、

2人の間に流れる言葉にならない想いで、

静かに満たされていた。






これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。

そして……





夢を叶える物語である。


第7話 完

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