第4章 「零は全ての起点なり」 第6話
夕暮れが街を静かに染める頃。
都内の中心にそびえる重厚な石造りの建物
大帝都劇場。
その前に、時を超えて咲き続ける1本の桜の木があった。
季節はずれの風に乗って、
ふと数枚の花びらが舞い落ちた。
それを見上げたのは、
私服姿の少女 張哪吒だった。
本来ならSNOW WHITEの練習にいるべき時間だった。
しかし、今日の彼女の足は、
SNOW WHITEとは別の場所を彷徨っていた。
「……こんな季節なのに、桜が……」
今は11月。桜など咲いているはずがない。
不思議に思いながら視線を上げると、
そこには一人の女性が静かに立っていた。
長身で凛とした佇まい。
大人の気品と、舞台人としての芯の強さを自然と纏っている。
「あなた、もしかして……この桜を見ていましたか?」
驚いて振り向く哪吒。
「……はい」
女性は桜の木に目をやりながら、穏やかで、
しかしどこか懐かしい響きのある声で語り始めた。
「この桜の木はね、『太正桜』って呼ばれています。
100年以上前、この劇場の初代“花組”の人たちによって植えられた木です」
「太正桜……」
「春以外の季節に、この木に“桜”が見えた人には“運命の舞台”に導かれるって言われています」
その言葉に、哪吒はわずかに目を伏せた。
「運命の舞台……」
すると、女性はどこか見透かすように、
まっすぐ哪吒を見つめた。
「……あなたにとって、“運命の舞台”って何?
——フラウ・ヴァッサー」
「……っ!? どうして私のことを」
「後輩の活躍、ちゃんと見ていますよ」
女性はふっと柔らかく微笑んだ。
「始 妹蘭。
大帝都歌劇団・花組。そして……かつての“フラウ・ヴァッサー”です」
「……過ぎ去りし流星たちの……フラウ・ヴァッサー……」
夕暮れの空に、太正桜が風に揺れた。
どこか導かれるように、
哪吒は妹蘭と共に劇場の中へ足を踏み入れた。
重厚な扉が静かに開き、
二人の影が劇場の薄暗いロビーに溶け込んでいく。
天井が高く、広々とした大帝都劇場の舞台上。
そこでは、花組のキャストたちが真剣に稽古を続けていた。
照明が緻密に動き、美術と大道具が息を合わせ、
音響が空間を震わせる。
すべてが静かに、しかし極めて精密に連動している。
「……すごい……」
哪吒が、無意識に小さな声を漏らした。
妹蘭が隣で小さく、優しく笑った。
「ここが、あなたたちがSNOW WHITEを公演する舞台になる場所です」
劇場スタッフの一人が妹蘭に気づき、
歩み寄ってきた。
「妹蘭さん、その方は?」
「見学者です。気にしないで続けてください」
妹蘭は軽く手を挙げてスタッフを下がらせると、
横目で哪吒を見つめた。
「あなた、いつも“ひとりで強くあろう”としていませんか?」
「……なんで、そう思うのです?」
「なんとなく。感みたいなものです。張り詰めたまま、自分を縛ってるような……。
まるで、誰にも頼ってはいけないと決めつけているみたいです」
哪吒は言葉を返せなかった。
妹蘭の声は静かで、
しかし芯のある響きを持っていた。
「あなたがいた“あの世界”が、実力主義だったのは知っています。
でも、舞台は——たくさんの人で創り上げるものですよ」
ステージ上の演者たちの汗と笑顔。
脇で支えるスタッフたちの緻密な動き。
照明、音響、美術、大道具——どれ一つが欠けても、この空間は成立しない。
「ひとりで完璧であろうとするのは、確かに美しいです。
でも、それを越えた先にしか、本当の“舞台”はありません」
哪吒の胸に、その言葉が静かに刺さった。
妹蘭は穏やかに続けた。
「強くあろうとするのは、間違いじゃなです。
ですが、人を頼ることもまた強さですよ。フラウ・ヴァッサー」
その瞬間、哪吒の瞳がわずかに揺れた。
「……すいません、予定がありますので。今日はこれで失礼します」
静かに頭を下げ、哪吒は劇場を後にした。
背後で、妹蘭の視線が優しく、しかし確かに彼女の背中を見送っているのがわかった。
大帝都劇場の重厚な扉をくぐり、
外の夕暮れの空気の中に踏み出した哪吒は、
しばらくその場に立ち尽くした。
風が、彼女の黒髪をそっと揺らす。
「人を……頼る……」
その言葉が、胸の奥で静かに反響していた。
かつての自分は、完璧を追い求め、
勝利を重ねることでしか自分を保てなかった。
しかし今、妹蘭の言葉は、彼女の心の深い部分に、静かな波紋を広げ続けていた。
夕暮れの帝都の街に、
フラウ・ヴァッサーの影が、長く伸びていた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
夢を叶える物語である。
第6話
完




