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第1章 「始まりの鐘は三度鳴る」 第2話

百合々咲音楽学院の中央棟にあるカフェテリアは、いつも穏やかな喧騒に満ちていた。


高い天井と大きなアーチ状の窓から差し込む自然光が、白いテーブルクロスを柔らかく照らす。


専属のシェフが腕を振るう料理はどれも絶品で、学院生たちの間で「ここで食べられるだけで入学した価値がある」と言われるほどだった。


今日のランチは、季節の野菜をふんだんに使ったキッシュと、澄んだスープ、そしてふんわり焼かれたパンが並んでいる。


翼は窓際の席に座り、小さなフォークでキッシュを一口ずつ丁寧に口に運んでいた。


淡い金色のポニーテールが、肩の上で軽く揺れる。


まだエーデル選考の緊張が残る胸の内を、美味しさで少しでも紛らわせようとしているようだった。


「つ~ば~さ!」


明るく伸びやかな声が、カフェテリアの喧騒を軽やかに切り裂いた。


翼が顔を上げると、そこに立っていたのは、笑顔が眩しい一人の少女だった。


オレンジのような明るい赤みがかった髪を高めのポニーテールにまとめた姿が、どこか活発で親しみやすい印象を与える。


鎌田二乃かまた にの


エーデルの称号の一つ、『フラウ・ヴィンド(風の君)』を現在持つ、学院の顔とも言える存在。


彼女の周囲にはいつも自然と風が吹いているような、軽やかさと明るさが満ちていた。


二乃はトレイを片手に、翼の向かいの席に腰を下ろした。


「どう?フラウ・ヒンメルのオーディションの方は?」


翼はフォークを置いて、少し困ったように微笑んだ。


「去年も経験してるけど……やっぱり一筋縄じゃいかないよね。1年の子たちも、レベルがすごく高くて……」


「確かにね~。今年は特に、歌もダンスも尖った子が多いって噂だもん」


二乃は軽く肩をすくめながら、しかしどこか楽しげに言った。


翼はスープを一口飲んでから、静かに目を伏せた。


でも、彼女にはエーデルにならなければならない、はっきりとした理由があった。


「……絶対に、エーデルになる」


小さな声で、けれど芯の強い響きで翼は言った。


「エーデルになれたら、できるかもしれないんだよ。あの『SNOW WHITE』が!」


SNOW WHITE。


百合々咲音楽学院の伝統とも呼べる、特別な舞台。


全3章からなる壮大な物語は、数え切れないほどの観客と卒業生たちを魅了し続けてきた伝説の公演だった。


しかし、この舞台の主役、そして主役 主演を演じられるのは――


「エーデル(気高き君)」の称号を持つものだけと決められていた。


二乃は優しく微笑みながら頷いた。


「……できるといいね、SNOW WHITE」


その言葉の後、翼の顔にふと影が落ちた。


「でも……この学院、SNOW WHITEはもう何十年も上演されてないんだよね。


流星たちの公演を最後に……」


12年前。


当時のエーデル、第93代目エーデル


通称「過ぎ去りし流星たち」と呼ばれた5人の天才たちが、最後にSNOW WHITEを上演した。


それ以来、この学院では一度もその幕が開かれることはなかった。


翼は幼い頃、その輝きを直に見ていた。


あの煌めきにここあの光景に心を奪われ、いつか自分もあの舞台に立ちたいと願うようになった。


白雪姫のように、強く、美しく、観る者の心を震わせる存在になりたいと……。


二乃は軽く頷きながら、明るく励ますように言った。


「まぁ、まずはエーデルにならなきゃね。話はそこからだよ」


「自分がエーデルだからって……」


「私だって去年、『フラウ・ヴィンド』の称号を得たんだよ?翼だっていけるよ。


去年の最終選考、ほんとに惜しかったんだから」


「……でも、結局落ちちゃったから……」


翼の声が、少し小さくなった。


そのとき、近くのテーブルに座っていた1年生たちのひそひそとした声が、2人の耳に届いた。


「ねえ、前のフラウ・ヒンメルって知ってる?」


「白羽先輩でしょ?なんで急に学院辞めちゃったんだろうね……」


「今のエーデルって、『過ぎ去りし流星たち』の再来って騒がれてたから、プレッシャーがすごかったんじゃない?」


「でも、あんなに才能あったのに……勿体ないよね」


二乃はその声を聞いて、ふと表情を曇らせた。


彼女の瞳に、遠い記憶がよぎる。




雨が降る中、白羽結依しらは ゆいは傘も差さずに学院の正門へと歩いていた。


可愛らしい茶髪のショートボブが、雨に濡れてボサボサになっていた。


しかし、そんなことなどどうでもいいとでも言うように、結依の表情には生気がなく、ただ虚ろに前を見つめているだけだった。


まるで魂を抜かれた人形のように。


「結依ちゃん!」


二乃は傘も差さずに走り、必死に追いかけた。


「なんで?なんで学校を辞めちゃうの!?」


結依はゆっくりと足を止めた。


しかし、振り返ることはなかった。


「……私、空から堕ちちゃった……」


その言葉だけを残して、結依は再び歩き出した。


二乃は雨の中で立ち尽くし、何も言えなかった。




あのとき、全力で引き留めていれば、何かが変わっていたのかもしれない。


今でも、二乃はそう思う。


「……私、今でも思うんだ。結依ちゃん、どうして辞める前に一言も相談してくれなかったんだろうって」


二乃は静かにそう呟き、遠い目をした。


翼は何も言わず、ただその横顔を見つめていた。


直接話したことはないけれど、二乃から何度も聞いている。


白羽結依――現在空席となっている『フラウ・ヒンメル(空の君)』の前任者。


天才と呼ばれながら、突然学院を去った。


そのとき、二乃のスマホが小さく振動した。


画面を確認した彼女は、すぐに表情を切り替えて立ち上がった。


「あ、ごめん!エーデルの呼び出しだわ。私、行ってくるね!」


二乃はトレイを片付け、翼に向かって明るく手を振った。


「頑張ってね、翼!絶対いけるから!」


翼は小さく頷きながら、去っていく二乃の背中を見送った。



これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。

そして……





夢を叶える物語である。


第2話 完

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