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第1章 「始まりの鐘は三度鳴る」 第1話

百合々咲音楽学院ゆりがさきおんがくがくいんは、都心から少し離れた、緑に囲まれた静かな丘の上に佇んでいた。


創設から100年を超えるこの名門女子校は、まるで時が止まったかのような優雅さと、しかし確かな伝統の重みを湛えている。


ここは、演劇の未来を担う若き才能たちが、血と汗と情熱を注ぎ込んで育まれる聖域だった。


歌、芝居、ダンス、そして日本舞踊


あらゆる表現の技を、日々磨き続ける場所。


特に注目されるのが、俳優育成科である。


厳しいオーディションを勝ち抜いた選ばれた少女たちだけが、この科で学ぶことを許される。


彼女たちは朝から夜まで、鏡の前で声を出し、身体を動かし、心を削るように表現を磨き続けた。


この学院には、特別な称号があった。


5人の最優秀生徒にのみ与えられる、栄誉の証。


世界を構成するが五大元素を冠した称号。


『フラウ・ヴィンド(風の君)』


『フラウ・フォイヤー(火の君)』


『フラウ・ボーデン(地の君)』


『フラウ・ヴァッサー(水の君)』


そして、現在、空席となっている――


『フラウ・ヒンメル(空の君)』


これら五つの称号を持つ者たちは、学院内で「エーデル(気高き君)」と称され、


その名と功績は、卒業後も、未来永劫、百合々咲の歴史に刻まれ語り継がれることになる。


まさに、学院の頂点に立つ者たちだった。


午後の柔らかな陽光が差し込む、校舎内の廊下。


そこに、1人の少女が静かに立っていた。


淡い金色に近い、柔らかな髪。


後頭部で赤いリボンを使って結ばれたポニーテールが、彼女の動きに合わせて軽やかに揺れる。


やや童顔で、大きな瞳が印象的な、可愛らしさと透明感を併せ持った容姿。


飛彩翼ひいろ つばさ


百合々咲音楽学院、俳優育成科2年生。


まだ17歳の彼女は、今、この瞬間、夢への最初の一歩を踏み出そうとしていた。


翼は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。胸の奥で高鳴る鼓動を必死に抑えようとする。


手のひらが、わずかに汗ばんでいるのが自分でもわかった。


「ここから……始まるんだ」


小さな声で、自分に言い聞かせるように呟いた。


彼女の視線の先には、廊下の壁にかけられた数多の額縁があった。


それぞれに、金色のプレートが輝いている。


そこには歴代の「エーデル」たちの名前と、彼女たちが獲得した称号が刻まれていた。


特に、翼の瞳が長く留まったのは、現在のエーデル達の額縁。


その真ん中にある、空の枠。


『フラウ・ヒンメル(空の君)』


現在、その席は空席のまま。


誰かがその称号を掴むまで、ずっと。


翼はそっと右手を胸に当てた。


まだ小さく、頼りない胸の鼓動が、熱を帯びて伝わってくる。


「私……あの空の君になりたい」


その言葉は、誰にも聞こえないほどの小さな声だった。


けれど、彼女の瞳には、はっきりとした光が宿っていた。


大帝都劇場で李梨奈に手を差し伸べられたあの日から、翼の中で燃え始めた炎は、


もう誰にも消せないほどに大きくなっていた。


窓から差し込む午後の光が、翼の淡い髪を優しく照らす。


赤いリボンが、まるで彼女の決意の証のように鮮やかに映えた。


ここは、まだ序章に過ぎない。


これから彼女が歩む道は、輝きと苦難と、幾つもの出会いに満ちているだろう。


そして、いつか――


飛彩翼という名の少女が、百合々咲の歴史に、新たな「エーデル」として刻まれる日が来るのかもしれない。


翼はもう一度、深く息を吸い込んだ。


「よし……」


小さな拳を、ぎゅっと握りしめる。


夢への一歩は、今、確かに踏み出された。


百合々咲音楽学院の、静かな午後が、


彼女の物語の新しいページを、そっと開こうとしていた。




数日前。


百合々咲音楽学院の広大な講堂に、全校生徒が集められていた。


朝の柔らかな陽光がステンドグラスの窓から差し込み、床に色鮮やかな光の模様を描いている。


普段は静かな講堂も、今日はざわめきと緊張した空気に包まれていた。


生徒たちは皆、制服のスカートの裾をそっと握りしめたり、隣の友人と小さく言葉を交わしたりしながら、舞台上の壇を見つめていた。


やがて、マイクを通した落ち着いた女性の声が、講堂全体に響き渡った。


理事長――ミリー・マーキス。


銀色の髪を優雅にまとめ、深紅のスーツを完璧に着こなした彼女は、百合々咲の象徴とも言える存在だった。まさに貴婦人の様な立たずまい。


その瞳は穏やかでありながら、学院の未来を鋭く見据える強さを持っている。


ミリーはゆっくりと口を開いた。


「皆さん、静粛に」


一瞬で、講堂のざわめきが引いていく。


「本日、お集まりいただいたのは、他でもありません。現在、空席となっている『フラウ・ヒンメル(空の君)』を、埋めようと思います。」


その言葉が落ちた瞬間、講堂全体が息を呑んだような静寂に包まれた。


理事長は続けた。声は静かだが、確かな重みがあった。


「新しいエーデル。第105代目エーデルを、新たに発足させます。」


次の瞬間、講堂は爆発したようなざわめきに包まれた。


「え……本気?」「エーデル……あの空席を?」


生徒たちの声が、あちこちから飛び交う。


エーデル――それはこの学院における最大の称号であり、頂点の証。


百合々咲に入学した理由が「エーデルになるため」だという生徒も、決して少なくなかった。


3年生も、2年生も、1年生も、皆が一様に目を輝かせ、あるいは不安げに息を詰めていた。


翼も、その1人だった。


翼の小さな手が、膝の上でぎゅっと制服のスカートを握りしめていた。


心臓の音が、耳の奥でうるさいほどに鳴り響いている。


淡い金色のポニーテールが、緊張でわずかに震えていた。


彼女は過去に、一度だけエーデルの試験を受けていた。


去年まだ1年生の頃のことだ。


予選を勝ち上がり、2次選考、3次選考と駒を進め、

最終選考の舞台にまで立った。


しかし、最後の最後で、称号を掴むことはできなかった。


あの日の悔しさは、今でも胸の奥に鮮やかに焼きついている。


自室のベッドで、枕を濡らしながら何度も自分を責めた夜を、翼は忘れていない。


けれど、あの失敗があったからこそ、翼は変わった。


それから1年。


彼女は誰よりも早くレッスン室に入り、誰よりも遅くまで残った。


歌の呼吸、芝居の間合い、ダンスのステップ、日本舞踊の所作――すべてを、血が出るほど磨き続けた。


エーデルに選ばれる条件は、極めて厳しい。


学院において、常に優秀な成績を収めていること。


そして、舞台やコンクールでの実績が伴っていること。


学院の顔となる者なのだから、その資質は絶対条件とされていた。


翼の成績は、常に上位をキープしていた。


日本でも屈指の厳しさを誇る百合々咲で、それだけでも並大抵のことではない。


何より、過去に最終選考まで残ったという実績が、彼女の背中を強く押していた。


理事長の次の言葉が、翼の鼓動をさらに速めた。


「フラウ・ヒンメル(空の君)の選考オーディションを、近日中に実施します。 参加を希望する者は、明後日までに所定の書類を提出してください。」


講堂のざわめきが、再び大きくなった。


翼はゆっくりと目を閉じ、深く息を吸い込んだ。


(今度こそ……)


胸の内で、静かに、しかし燃えるように誓う。


(今度こそ、あの舞台で……空の君になる)


淡い金色の髪に結ばれた赤いリボンが、朝の光を受けて優しく輝いていた。


翼の大きな瞳には、悔しさと希望と、強い決意が混じり合って、静かに灯っていた。




これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。

そして……





夢を叶える物語である。


第1話 完

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