第4章 「零は全ての起点なり」 第2話
翌朝。
百合々咲音楽学院の廊下は、
いつになくざわついた空気に満ちていた。
朝の柔らかな日差しが長い廊下を照らす中、
ひそひそとした声が飛び交う。
「昨日の、見た?」
「うん……ヤバかったって」
「エーデルの飛彩先輩……過呼吸起こしたって」
「しかも大道具壊したんでしょ? 怪我人いなかったの奇跡じゃん」
「エーデルなのに……」
誰もが声をひそめながらも、
その“話題”から目を背けることはなかった。
昨日の稽古で起きた出来事は、
それだけの衝撃を学院中に与えていた。
そして、もう一つ。
「聞いた? エーデル、控室でケンカしたって」
「ビンタとか飛んだらしいよ」
「え、マジで? 二乃先輩が……?」
「信じられない……エーデルなのに」
廊下のあちこちで、
同じような会話が繰り返される。
エーデル。
学院の誇りであり、看板であり、
すべての生徒が憧れる頂点の存在。
その内側で起こった軋みと亀裂は、静かに、
しかし確かに学院全体に波紋を広げていた。
生徒たちは、まるで遠い神話が突然身近に崩れ落ちたかのように、
興奮と動揺と、わずかな好奇心を混ぜた視線を交わし合っていた。
控室での出来事も、すでに学院中に広がっていた。
二乃が哪吒をビンタしたこと。
哪吒の冷たい言葉。
翼の崩壊。
エーデルという特別な存在が、
初めて「人間らしい弱さ」を露わにした瞬間だった。
カフェテラスに、午後の柔らかな日差しが降り注いでいた。
舞台表現学科の生徒たちが、
テーブルを囲むように集まっていた。
舞台創造科2年の赤尾侑樹と、
同じく2年の高瀬光葉
そして1年の東納瑠々(とうのう るる)と
鈴本華が、コーヒーやジュースを前に少し固い表情で座っている。
「翼先輩、大丈夫ですかね……?」
瑠々が、心配そうに声を落として言った。
彼女の指先が、ストローを無意識にくるくる回している。
侑樹はため息をつきながら答えた。
「分からない……メッセージも既読すら付かないし……」
昨日、翼が倒れたところを目の当たりにした彼女の顔にも、はっきりとした心配の色が浮かんでいた。
「今日も一応、練習ありますよね」
「エーデル不在でも、やることはあるから……」
光葉が静かにカップを置いて言った。
華が、ぽつりと呟いた。
「エーデルって、なんなんですかね?」
皆の視線が、一瞬で華に集まった。
華は少し肩をすくめながら続けた。
「私たち舞台創造学科は、学科をまとめるリーダーはいますけど、エーデルみたいな特別な称号はないじゃないですか」
舞台創造科には現在、
侑樹がリーダーを務めている。
しかし、それはあくまで実務的な役割で、
エーデルのような栄誉と重圧を伴う称号とは明らかに違う。
侑樹が静かに答えた。
「舞台に立つ者と、立たない者では……背負ってるものがそれぞれ違うってことじゃないかな」
光葉が小さく頷いた。
「エーデルの皆さん、帰ってきますかね?」
瑠々が不安げに尋ねると、侑樹は少し遠い目をして言った。
「エーデルとはいえ、私たちと何も変わらない女子高生。
誰も分からないわ」
カフェテラスの風が、
テーブルの上の紙ナプキンを軽く揺らした。
昨日起きた出来事、
翼の崩壊と、控室でのエーデル同士の衝突は、
すでに学院全体に広がり、様々な憶測を生んでいた。
4人はそれぞれの想いを胸に、静かに飲み物を口に運んだ。
翼の不在が、こんなにも大きな影を落とすとは思わなかった。
エーデルという特別な存在が、初めて「人間らしい弱さ」を見せた瞬間だった。
カフェテラスに差し込む午後の光は優しかったが、
そこに座る4人の心は、どこかざわついたままだった。
SNOW WHITEの幕が上がる日は、
刻一刻と近づいているのに――
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
夢を叶える物語である。
第2話
完




