第3章 「空が崩れ、影が生まれ」 第3話
稽古の時間
物語のクライマックスへと繋がる、
剣を使った“立ち回り”のシーン。
白雪姫が突然の襲撃を受け、森の仲間たちが必死に守る中、運命の歯車が大きく動き出す。
そう、あの幻想的で激しい一幕。
だがその日、そこには“幻想”とは程遠い、現実の重い影が落ちていた。
「白雪姫、立ち位置。すれ違うタイミング、剣の軌道に注意しろよ?」
ロゼ・アディンが冷静に、しかし鋭く指示を飛ばす。
「音!」
音楽が鳴り響き、照明が一瞬落ちた。
キャストたちが一斉に動き出す。
剣が交差し、火花のように激しい動きが展開される。
完璧に構成された立ち回り。
息の合ったステップと、緊張感のある間合い。
……だが、その中にいた翼の動きだけが明らかに“遅れていた”。
「——っ!」
一拍、二拍。
本来あるべき位置より遅れたタイミングで振り上げた木刀が、後方の大道具に引っかかった。
ギシッ——バキン!
次の瞬間、巨大な“城の壁”を模したセットが音を立てて崩れ落ちた。
そのすぐそばにいたアンサンブルの少女が、
悲鳴を上げて飛び退いた。
「ストップ!!!!」
ロゼの怒声が、稽古場全体に響き渡った。
音楽がぴたりと止まり、場が凍りついた。
壊れたセット。
割れた柱。
床に散らばる木材の破片。
間一髪で怪我人こそ出なかったもののそれは紛れもない“大事故”だった。
誰の目にも明らかな、取り返しのつかないミス。
静寂の中、誰かがぽつりと呟いた。
「……ほんとに、エーデル?」
その一言が、稽古場の空気を決定的に変えた。
「エーデルって、そんなレベルなの?」
「なんであんな子が“白雪姫”なんだろ」
アンサンブル、サブキャスト、裏方
多くの生徒たちの視線が、冷ややかに、
容赦なく翼に突き刺さった。
翼は、何も言えなかった。
謝ることも、弁解することも、
頭が真っ白になってできなかった。
ただ、震える指先で床の破片を見つめていた。
「……っ」
視界が、じわりと歪んだ。
でも、涙を流すわけにはいかない。
エーデルなのだから。
“フラウ・ヒンメル”なのだから。
そう、思っていた。
でも
そんな“肩書き”が、
今の彼女を何一つ守ってはくれなかった。
翼は唇を強く噛み、震える膝を必死に支えた。
周囲の冷たい視線と、崩れたセットの残骸。
そして、自分の未熟さが、容赦なく胸に突き刺さる。
稽古の合間の短い休憩時間。
控え室にはエーデルの五人が集まっていたが、
空気は重く沈んでいた。
翼は肩を落とし、黙ってパイプ椅子に座っていた。
汗で湿った練習着の裾を、指先で無意識に握りしめている。
二乃はそんな翼をちらりと見たものの、
声をかけることができなかった。
いつも明るい彼女の言葉さえ、
今は控え室の空気に飲み込まれてしまいそうだった。
八重はタオルで首元の汗を丁寧に拭きながら、
水をゆっくり飲んでいる。
砂月は壁にもたれ、爪の先を眺めていた。
そんな中、哪吒が静かに、
しかしはっきりとした声で口を開いた。
「……正直、今の“白雪姫”は足手まといだ」
静寂が、部屋に落ちた。
翼の肩が、びくりと震えた。
しかし、顔は上げない。
ただ俯いたまま、膝の上で拳を強く握りしめた。
八重が少し眉をひそめ、
静かにたしなめるように言った。
「哪吒……」
哪吒は表情を変えず、淡々と続けた。
「舞台は感情で成立するものじゃない。
実力がなければ立つべきじゃない。それが、私の意見だ」
その言葉に、翼は俯いたまま唇を強く噛んだ。
砂月が小さくため息をつきながら、
爪の先を見つめたままぼやくように言った。
「……厳しいこと言うけど、わたくしも同感ですわ。
“白雪姫”のステップ、三日連続でズレていたし、鏡とのセリフもまだ覚えていなかった。
このままじゃ、エンドレスワルツが“記念公演”じゃなく“公開処刑”になるわ」
「…………」
「正直、“やりたいからやる”って子供の発想だと思いすわ。
過ぎ去りし流星たちが完成させられなかったっていうのに。私たちが超えられるはずないじゃない」
翼の顔が、苦しげに歪んだ。
だけど、何も言えなかった。
言葉にすれば、きっと崩れてしまう。
涙が溢れて、声が震えて、
すべてが壊れてしまう気がした。
だから、ただ黙るしかなかった。
そんな重い沈黙の中で、八重が静かに口を開いた。
「でも……翼は、少なくとも“逃げてない”よ」
哪吒は冷ややかに、即座に返した。
「逃げてないから何んだ?
舞台の上で“頑張ってる”なんて、観客に伝わらない。 伝えるべきは“物語”であって、“努力”じゃない」
再び、部屋を満たす静寂。
その中で、二乃はただ、
翼の小さな背中を見つめていた。
言葉にすることも、庇うこともできなかった。
けれど、胸の奥で小さく、けれど確かに――
(それでも……翼の白雪姫が見てみたい)
控え室の空気は重く淀み、
五人のエーデルたちの間に、
目に見えない亀裂が静かに広がり始めていた。
翼は膝の上で拳を握りしめたまま、
ただ耐えるように目を閉じていた。
夢だったはずの舞台が、
今、彼女にとって一番重い試練になろうとしていた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
夢を叶える物語である。
第3話 完




