第2章 「流星たちの残光は尚残り」 第9話
夜に差し掛かった時間帯だった。
それでも、ゼロタイムの店内には百合々咲音楽学院の生徒たちが多く残っていた。
柔らかな照明と、カウンターから漂うコーヒーの香りが、疲れた少女たちを優しく包み込んでいる。
カラン、という小さなベルの音が響き、
店のドアが静かに開いた。
賑わう店内に、飛彩翼が帰宅してきた。
淡い金色のポニーテールに結ばれた赤いリボンが、いつものように軽やかに揺れているはずだった。
しかし、今日はその歩みが重く、
肩もわずかに落ちている。
ふとカウンターを見ると、怜人の姿はなかった。
代わりに、コーヒーを淹れているのは小津理央だった。
「おっ、おかえり翼ちゃん……って、どうしたの?」
理央は一目で翼の様子がおかしいことに気づき、
眉を寄せて心配そうに声をかけた。
いつも明るい金髪の青年の顔にも、
素直な心配の色が浮かんでいる。
「コーヒーでも飲む?それともココアにする?甘いものの方がいいかな?」
翼は小さく首を横に振り、力のない声で答えた。
「大丈夫です……」
軽く会釈だけして、
何も言わずに階段の方へ向かう。
その後ろ姿は、
まるで重い荷物を背負っているように見えた。
理央は言葉を失い、ただその背中を見送った。
「……」
カウンターに残された沈黙を、
理央が小さく破った。
「ねぇ、何かあったか知らない?」
理央が、カウンター席に座っていた2人の女子生徒にそっと尋ねた。
生徒たちは顔を見合わせ、声をひそめて答えた。
「SNOW WHITEの舞台の練習、結構厳しいらしいよ」
「アンサンブルの子たちも音を上げてるくらいだって。
外部から来た演出家さんが、めちゃくちゃスパルタなんだって」
「そりゃ、あんな顔にもなるわな……」
理央は小さく息を吐き、
カウンターを軽く拭きながら呟いた。
階段を上る翼の足音が、静かに遠ざかっていく。
2階の自宅へと続く階段は、
今日だけやけに長く感じられた
2階に上がると、
リビングの明かりが柔らかく灯っていた。
テーブルにノートPCを広げ、
怜人が何かを真剣に見つめている姿が見えた。
事務作業をしているのかと思った翼は、
軽く声をかけようとした。
しかし、怜人の正面には、
見知らぬ男性が座っていた。
金髪にピアスという派手な外見の理央とは対照的に、
革ジャンを羽織った大柄で鋭い雰囲気の男
九条高虎だった。
怜人が翼の気配に気づき、顔を上げた。
「お、おかえり」
「……うん」
声が小さく、力がない。
怜人はすぐに察したように、優しく尋ねた。
「疲れている?」
「……ちょっとだけ」
それ以上、何も言わなかった。
怜人はただ、静かに妹の顔を見つめ、
胸の奥で言葉を飲み込んだ。
翼の視線が、自然と高虎の方へ向いた。
怜人が慌てて口を開いた。
「あ、あぁ、お客さんだよ」
高虎は無言で軽く会釈した。
その鋭い視線が一瞬、翼を捉える。
翼も小さく頭を下げ、
それ以上は何も聞かずに自分の部屋へと向かった。
翼の背中が完全にリビングから消えたのを確認してから、高虎が低く尋ねた。
「あれが……雪叢李梨奈の?」
「あぁ……」
怜人は静かに、短く答えた。
「話を戻そう。軽く調べた程度だが、雪叢李梨奈の両親の方はもう……」
「……だろうな」
怜人の声は淡々としていたが、
その奥には重い響きがあった。
高虎は淡々と続けた。
「昔の伝手を辿って、もう少し詳しく調べてみるつもりだ」
「さすが、探偵だな」
怜人は小さく苦笑した。
李梨奈に、確かに近づいてはいる。
しかし、この事実を知った上で、
翼に伝えていいものかどうか――
怜人は未だに答えが出せないままだった。
このまま李梨奈を探して、
翼に本当のこと言えるのだろうか…。
翼の憧れの人は翼を捨てた家族であると伝えて良いのか……。
翼は自分の部屋のドアを開けると、
中に入るなりベットに倒れ込んだ。
ロゼの冷たい言葉が、まだ胸の奥で反響している。
「お前の白雪姫は、存在していなかった」
「ただ、白雪姫に酔いしれている自分自身しかない」
翼はぎゅっと目を閉じ、唇を噛んだ。
大好きな物語。
ずっと憧れていた白雪姫。
それなのに、今はただ、胸が苦しい。
鞄から飛び出した鞄から飛び出したSNOW WHITEの台本。
その表紙に、ふっと手を伸ばす。
けれど、触れない。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
夢を叶える物語である。
第2章
「流星たちの残光は尚残り
」 完




