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SNOW WHITE PRELUDE -白雪姫の輪舞-  作者: 二ノ宮純
第2章「流星たちの残光は尚残り」
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第2章 「流星たちの残光は尚残り」 第7話

夕暮れの柔らかな光が、百合々咲音楽学院の古い道場に優しく射し込んでいた。


木の床板に、裸足の足音が鋭く、しかし美しく響く。


演劇科の生徒たちが息を呑んで、その中心にいる少女の動きを見守っていた。


そこにいたのは、八重・バートン。


彼女は今、殺陣の型を一人で披露していた。

練習着姿でありながらも、凛とした佇まい。

木刀を振るうその動きは、まるで完璧にプログラムされた機械のようだった。


一振りの剣、一歩の間合い、呼吸のリズム、

視線の置き方――


すべてが「教本通り」の正確さと美しさで整えられていた。


無駄がなく、乱れがなく、洗練されきった動き。


やがて型が終わり、木刀を静かに納めると、道場内に小さな拍手が自然と広がった。


「さすが、“百合々咲の王子様”……!」


「完璧すぎる……」


八重は静かに深く一礼をした。その仕草さえも、絵になるほど優雅だった。


その様子を最後まで見届けていた殺陣の指導講師が、ゆっくりと前に歩み出てきた。


「バートン。よく出来ていた。基本はすでに、完全に身についている。

……だが、そろそろ“自分だけの型”に発展させても良いのではないか?」


その言葉が落ちた瞬間、八重のまなざしが、ふと揺らいだ。


その揺らぎとともに、彼女の心の奥に封じ込めていた記憶の海が、静かに開いた。





強い日差しが照りつける真夏の午後。


子どもたちが次々と崖の上から海へと飛び込んでいく。

楽しげな笑い声と水しぶきが、遠くから聞こえてくる。


「早くおいでー!」


無邪気な声が飛ぶ中、幼少期の八重は崖の端でただ立ち尽くしていた。

小さな足が、震えていた。

怖くて、一歩も前に出られなかった。



――そして、もう一つの記憶。




狭い稽古場。

まだ幼い八重が、意を決して台本にないアドリブを入れた瞬間。


「勝手なことするな!」


演出家の鋭い声が、冷たく飛んできた。


「台本どおりやれ。役者が脚本を越えようなんて、2万年早いんだよ」


その言葉は、幼い八重の心に深く刻み込まれた。

以来、彼女は何かを静かに、心の奥深くに封じ込めた。



指導講師が、心配そうに八重の顔を覗き込んだ。


「……バートン?」


八重はゆっくりと顔を上げた。


その瞳は澄んでいて、いつものように凛々しい。

けれど、どこか遠くを見ているような、寂しげな光が宿っていた。


「……私は、このままでいいです。

基本に忠実。

決められたことを、正しく、正確に。それが私ですから」


指導講師は一瞬、言葉を飲み込んだ。

やがて、静かに、しかし少し残念そうに頷いた。


周囲の生徒たちは「さすがだ」と小さく囁き合い、称賛の目を八重に向けていた。


しかし、その背中――

「百合々咲の王子様」と讃えられる凛とした後ろ姿には、

どこか静かな、孤独が滲み出ていた。


それは、かつて「型を破ることを怖れた少女」が、

今もなお、ひとり完璧という名の檻の中に立ち尽くしていることを、

静かに示していた。


夕暮れの光が、道場に長く伸びる影を落とす。




車は静かに、滑るように夕暮れの街を走っていた。


夕暮れの柔らかな光が、窓の端を黄金色に染め、流れる街並みを優しく照らしていく。


高層ビルのガラスが夕焼けを反射し、まるで遠い夢のように輝いていた。


後部座席に腰を下ろした香取砂月は、その美しい光景に目を向けることなく、ただぼんやりと窓の外を見つめていた。


切れ長の瞳には、いつもの気怠げな表情が張りついたままだった。


運転席では、香取家の忠実な青年執事

種島宗介(たねしま そうすけ)が、

白い手袋をはめた両手でハンドルを握っている。

ミラー越しに、砂月の様子をそっと一瞥した。


「……お嬢様、いかがですか。SNOW WHITEの方は?」


数秒の沈黙が落ちた。


砂月は、吐き捨てるように短く答えた。


「どうもないわ。……面白みのない舞台よ」


宗介は、穏やかに、しかしどこか寂しげに微笑んだ。


「……昔は、舞台に立たれていたお嬢様の笑顔が、とても素敵でした。

ご自分が輝いているときは、誰よりも“楽しそう”に——」


「昔の話をしないでちょうだい」


その声は冷たく、淡く響いた言葉は、壊れやすいガラスのような硬質さを帯びていた。


「……あんなの、大人のご機嫌取りみたいなものよ。

“社交界のお人形さん”が、褒められるために演じてただけ……。

前を見てしっかり運転しなさい」


「……失礼いたしました」


宗介の声音は、いつものように丁寧だった。

しかし、そこに僅かに滲む痛みを、砂月は聞き逃さなかった。


それでも、彼女はそれ以上何も言葉を返さなかった。


窓の外では、街がゆっくりと過ぎ去っていく。

人々の笑顔、店の柔らかな灯り、信号の点滅。

そこには「演技」も「賞賛」もなく、ただの平凡で温かな「日常」が流れていた。


「……いつからだっけ」


その呟きは、誰に向けたものでもなかった。

砂月は自分の膝の上で、指をそっと絡めながら続けた。


「舞台が“つまらない”って思うようになったのは……」


その瞳には、ほんのわずかに――

かつて、砂月が本当に舞台を楽しんでいた頃の残響が、静かに灯っていた。


まだ完全には消えていない、小さな揺らぎ。

仮面の奥に隠された、本当の心の欠片。


「宗介、今週の予定は何かありましたっけ?」


「はい。金曜18時より、サンドロックホテルにて立食パーティーの予定がございます」


「お父様は来られるの?」


「いえ、ご主人様はパリの本社の方に……」


(あきれた……やっぱり私は、

あの人のアクセサリーでしかないのか)


砂月は心の中で小さく嘲笑った。


大人たちのご機嫌取り。

ほんとうに、つまらない。


誰も、香取砂月という人間を見てくれていない。

ただ「大企業プリベンター総帥の娘」としてしか、彼女を見ていない。


車は黄昏の街を、静かに走り続けていた。



これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。

そして……



夢を叶える物語である。


第7話 完

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