母の陰謀
28.母の陰謀
「うっ」
突然、激しい爆音と閃光、続いて白煙。
閃光手榴弾か?
「少年、こっちだ」
誰かに手を曳かれた。
立ち上がり走り出す。
アレックス?
「こら、どこへ行く」
風祭刑事の手を振り切る。
「それじゃ、私たちはこのへんで退散するわね」
母が手を振る。
退散、て、どこへ?
「こら、待て! どこにも逃げられんぞ!」
風祭刑事が叫ぶ。
「みんな、こっちよ」
母が指を差す。
非常階段?
母を先頭に彩姉、ジャンナ、涼子、僕、アレックスと続く。
非常階段で最下層へ降りる。
「急いで!」
道路の脇を海側へ。
海へ降りる階段があった。
階段を下りたところにコンクリートの突堤。
非常用の船着き場だ。
「早く、これに乗るのよ」
船着き場には大型のクルーザーが横付けしていた。
こんな船まで持ってきたのかよ。
タラップを駆け上がる。
「みんな乗ったわね。海保が来る前に出航よ!」
母が合図を送るとクルーザーは静かに岸壁を離れた。
「こらー、待て犯罪者ども!」
慌てて追いかけてきた風祭刑事が岸壁で叫んでいる。
「冬香ちゃん。またねー」
母が答える。
「冬香ちゃん言うな! 海上自衛隊に通報だ! あの船を撃沈しろー!」
風祭刑事の叫びも空しく、クルーザーは海ほたるを離れた。
すっかり夜が明け、明るくなった東京湾。
心地よい海風。
潮の香り。
船は次第に速力を上げ、海ほたるが遠ざかっていく。
どうやら横浜方面に向かっているようだ。
しかし、こんな豪華クルーザー、シチリアの連中が持ち込んだのか?
「わー、気持ちいい」
「東京ば海から見るとうつくしかばい」
彩姉とジャンナはデッキから景色を眺めてはしゃいでいる。
「皆さん、お疲れさまでした」
船室の中から現れたのは、全身黒ずくめの痩身の男性と車椅子の老人。
斎賀森とベルクート財団の総帥だった。
「急なお願いでしたのに、こんな立派な船を用意してくださって。感謝しますわ」
母が斎賀に言った。
「いえ、ちょうど横浜にメンバー所有の船が泊まっていたものですから」
斎賀が答えた。
「総帥もお元気で何より。日本は初めてですか?」
母が総帥に手を差し出した。
「いや、KGB時代から何度か。なじみの寿司屋もありますよ」
ベルクート財団の総帥は母の手を握りながら笑った。
「そうですか。築地に良い店がありますから、今度御一緒に」
「何だ、財団もシチリアの連中もみんなグルだったのかよ」
僕は母に言う。
「今回は利害関係が一致したからよ。猛さんがヨーロッパで行っている人身売買シンジケート壊滅作戦のね」
「親父もか……」
むしろ、親父からのメールの時点で気づくべきだったか……
「じゃあ、風祭刑事も?」
「いいえ、あの人は何も知らないわ。勝手にひとりで突っ走ってただけ」
母の笑い。
風祭刑事が気の毒になってきた……
「ただ、ドイツであなたとナターリャが出会ったことは想定外だったわ。まさかあなたが巻き込まれるとは思ってなかったから……」
「斎賀さん…… ケガはもいういいんですか?」
僕が尋ねる。
「ありがとう、激しく動かなければ大丈夫だ。ナターリャとユリアを助けてくれて、君にはとても感謝している」
「なりゆきですよ…… ナターリャやアレックスさんに助けてもらわなければ今頃……」
「そういえば、アレックスはどこだ? 海ほたるで合流すると報告があったのだが……」
「何?」
僕は甲板上にアレックスを探した。
アレックスは船尾付近、涼子の隣で寛いでいる。
こちらに気づくと歩み寄り言った。
「アレックスは死んだよ。メキシコでね」
え?
「君は誰だ?」
斎賀が訊く。
「アレックスは俺の戦友さ。俺たちはメキシコ政府の依頼で麻薬組織掃討作戦に参加していたんだ。奴とはそのとき、知り合った…… 財団のことは奴から聞かされていた。俺も参加しないかって誘われたんだ」
アレックス、いやアレックスになりすましていた男は手摺りに手をつき、再び海の方を向いた。
「アレックスは誰が殺した? おまえか?」
斎賀は気色ばんだ。
「おっと、勘違いするな。 ……事故だったんだ」
「事故?」
「俺たちの乗った輸送車が泥濘で横転してね、最後部に乗ってたふたりが投げ出されて…… 皮肉なもんだぜ、どんなやばい現場でも生き残り、不死身のアレックスと呼ばれるほどの男が交通事故なんかでね」
「……」
「奴の遺品を整理しているときに財団のIDを見つけてね。なんか金になることはないかと、奴になりすましたんだ」
男は悪戯っぽく笑った。
「残念だったな。骨折り損だっただろう。ま、事務局に掛け合って多少の報酬は出してやってもいいが……」
「いや、金目ならここにある」
男は銃を抜き、いきなり僕に向けた。
「う!」
「少年。君がシチリアマフィアのお宝の鍵を持ってるんだろう」
僕は一旦両手を上げ、次に左手を下げ、背中に回した。
後ろのポケットからキーホルダーを出すふりをしてベルトに鋏んであった拳銃を抜いた。
オレーグのボディガードが落とした自動拳銃だ。
「!」
上半身を左に捻り射線を外すと左手の銃で男の銃を弾く。
右手で相手の右手首を掴む。
掴んだ右手を大きく弧を描くように右に回す。
相手の右側に回り込んだら左手の銃を捨て、相手の右肘を掴む。
体重をかけ押し倒す。
「ぐっ……」
倒れる寸前に男が僕の軸足を払う。
僕がバランスを崩した隙に男は立ち上がり、体制を整えた。
前屈みになった僕に下から蹴りが入る。呼吸が止まる。目の前に銃口。
咄嗟に右手で銃の遊底を上から掴む。
「やるな、少年」
男が笑う。
僕の右手には遊底と銃身が一体となったパーツがあった。
男の手には残された銃の下半分があった。
銃を掴んだとき、素早く中指で銃体のロックボタンを押し、親指でレバーを回した。
ベレッタの92シリーズはこの操作で簡単に分解ができる。
「しかし、もう少し観察力が必要だな。インジケーターを見てみろ」
「何?」
手にした遊底を見る。
ベレッタ92シリーズの場合、薬室に弾丸が装填されていると、インジケーターを兼ねたエキストラクターが僅かにせり出すことによって装填の有無が判別できる。
「装填されてない?」
男の手に握られた銃体を見る。
遊底が外れてむき出しになった弾倉にも弾丸は装填されていなかった。
「冗談が過ぎる」
僕は遊底を男に投げ返した。
男は遊底を受け取ると素早く銃体と合体させた。
「きゃあ!」
彩姉の悲鳴!
見ると涼子が刀を抜き彩姉に突きつけていた。
「ごめん、愛羽君。鍵をその人に渡して」
涼子もグルかよ!
「彩姉!」
「殺しはしないけど…… 顔に一生残る傷ができる」
「い、いや、やめて……」
涙目の彩姉。
「解った。刀を納めろ」
銃は甲板上に投げ捨ててしまった。どのみち涼子の刀捌きには敵わない。
僕は後ろのポケットからキーホルダーを取り出すと、例の、古びた鍵を取り外した。
「悪いな、少年」
男は鍵を受け取るとしげしげと眺めた。
「LGL…… 間違いない」
「怖い思いをさせてごめんなさい。でも、愛羽君ならこうすると思った、でしょ?」
涼子は彩姉に言うと刀を鞘に収めた。
「……」
「よし、撤退だ」
男は甲板の後方へ。涼子も後へ続いた。
「ここは海の上だぞ! どうやって逃げる」
斎賀が叫んだ。
「!」
汽笛短音五回。
「警告信号?」
「危ない!」
誰かが叫んだ。涼子と男は甲板の手摺りを乗り越え、海にダイブした。
「おい!」
急いで手摺りに駆け寄って下を覗く。
「何だ?」
クルーザーに小型の水上バイクが横付けされていた。
水上バイクは大きく細長い黄色の物体を曳いている。
「バナナボート?」
それはハワイやグアムなどマリンリゾートでよく見るバナナボートだった。
涼子と男はバナナボートに跨がるとこちらに向かって手を振った。
「ありがとう、楽しかった」
そして水上バイクの運転者に向かって言った。
「出して、シュウちゃん」
運転していたのはあの金髪の少年だった。
「あいつ、船舶免許も持ってるのか……」
「バナナボートとは考えたわね」
母が感心した様子で言う。
「感心してる場合かよ」
「レオ君、昔ハワイ行った時にあれに乗りたいって泣いたことあったわね」
「今ここでする話か!」
「すばらしい余興でしたね」
車椅子の老人、ベルクート財団の総帥が後ろにいた。
「うちの息子もなかなかやるでしょ」
と母。
「財団にスカウトしたいくらいです」
「技を返されてるようじゃまだまだですわ」
勝手なことを……
「連絡がありました。オレーグ・シドレンコはロシア大使館に収監され、たった今手続きが終了したということです。それから、ユリアとナターリャは現在、小平の国立精神・神経医療センターへ向かっています」
斎賀森が携帯電話片手にこちらに向かってきた。
「ロシア大使館?」
「オレーグにはロシア政府から1000万ユーロ以上の賞金がかけられているわ。それで、オレーグの賞金を私たちが貰う代わりに、私たちがリヒテンシュタインに預けてある財宝の一部を財団に寄付する約束になっていたの。訳ありの美術品とか、銀行刻印のない金塊とか、私たちでは簡単に現金化できない物ばかりね」
「マネーロンダリングかよ!」
「だからレオ。後でリスト渡すから、あなたはリヒテンシュタインの銀行に行ってちょうだい」
「でも、鍵が…… あいつらに……」
鍵は涼子たちに奪われたままだ。
「鍵? ああ、あれはただの記念品よ」
母は笑った。
「記念品、て、どういうことだ」
「あれは銀行の創立100年とか200年とかで顧客に配った記念品よ。中国製の」
「そんな物どうして……」
「レオが好きそうだったからよ。中世ファンタジーとか好きでしょ」
……
しかし…… 紛らわしいことを……
「それじゃあ、本当の鍵はどこにあるんだ」
「ここよ」
母はまっすぐ僕を指さした。
「え?」
「生体認証って知ってるでしょう」
「し、知ってるよ。それが何か?」
「レオの静脈パターンと虹彩パターンを登録してあるの」
「いや、俺はリヒテンシュタインなんか行ったことないし、そんな静脈パターンとかどうやって登録したんだ?」
全く記憶にない。
「1年前のこと、覚えてない?」
「オッフェンバッハで?」
「そう」
「あっ! そうか、手相占いか! あれで静脈パターンを採取したんだな」
「御明察。虹彩パターンは記念撮影のときね」
「全く、油断ならない……」
「それじゃ、明日の飛行機でスイスへ飛んでちょうだい。現地で財団の人が待ってるから」
「え? 明日? ちょっと待て」
「帰りはパリ経由にしといたから、免税店で買い物お願いね」
「何でそうなるんだ!」




