マンマ・ミーア
29.マンマ・ミーア
「え? 離婚してないわよ私たち」
「何だって?」
慌ただしくリヒテンシュタインから帰った僕に、母が衝撃の一言。
「あのときはちょっとシチリアの方でゴタゴタがあってね。ファミリーの跡目とか遺産相続とかで、どうしても私が出向かなくちゃならない用事があったの」
「それで5年も家を留守にしていたのか」
「本当は2、3年で片がつく予定だったのよ。でも、ウクライナ・マフィアの動向を調べるためにナターリャちゃんのお父さん、内務省次官のグラスコフ氏の屋敷に潜入したらマフィアとベルクート財団の争いに巻き込まれちゃってね、それでEUの司法当局に恩を売る目的もあって、人身売買組織壊滅の手助けをしたの。ちょうどその頃、日本とウクライナで人身売買のルートができつつあったから、日本の公安とも協力してね」
「それで親父がドイツへ行ったのか」
「猛さんも私の近くがいいって。うふっ」
「ノロケかよ! で、国際刑事警察機構の手配書って何なんだ」
「見解の相違よ」
「見解?」
「みんな正当防衛だから」
「本当かよ」
「モンテカルロでモロッコの組織に追われたときは、相手の車が勝手に崖から落ちただけだし。マドリードでマーガレット・マックレーっていうおばさんを捕まえたとき、それを見ていた警官が誘拐と勘違いしたのね。あと、相手の組織の法律顧問から書類くすねたり、司法省の役人を懐柔したり。これって全部正義のためにしたことなのよ」
「正義ねえ…… 未成年者に対する淫行ってのは?」
「ああ、あれね。モロッコの検事総長があまりにも頭の硬い人だったから、彼の息子さんに頼んでお父さんを説得してもらったのよ」
「頼んだ? どうやって?」
「いろいろな所をなでなでしてあげただけよ」
最低だ……
「国際刑事警察機構からの手配書はかなり前に無効になってたんだけど、ローマの担当者が夏休みで訂正の書類を発送するの忘れてたのね。イタリア人ならよくあることよ」
「本当かよ……」
「冬香ちゃんに余計な手間を取らせちゃって、かわいそうなことをしたわ」
改めて風祭刑事には同情する。いろいろな意味で……
「それで、海ほたるの騒ぎはどうやってごまかしたんだ?」
マスコミや警察は押さえられても、一般人が撮った動画や画像が相当数、ネットに流出していたはずだ。
「ああ、これね」
母がテーブルの上の新聞を手渡した。
一面に……
『無許可撮影で海ほたる大混乱。香港の映画制作会社を書類送検』
「映画の撮影だって?」
同じ一面には横浜の人身売買組織が摘発され、多くの少女達が救出されたとの記事もあった。
「それで、この荷物は何なんだ」
僕は業者によって次々に運び込まれていくベッドやドレッサー、勉強机などを指さした。
「決まってるじゃないの、ナターリャちゃんたちのよ」
「何?」
「あら、言ってなかったかしら。うちの養子になるの、あの子たち」
「聞いてねえぞ、って、あの子たち?」
「もちろん、ナターリャちゃんとユリアちゃんよ。ウクライナ大使館にはもう書類を提出してあるわ。あなたも嬉しいでしょ、かわいい妹がふたりも増えて」
「学校とかどうするんだ。日本語できないだろ」
「日本語を習得するまでは当面、インターナショナルスクールに通うことになるわね。本人はできれば高校からは日本の学校に通いたいって言ってるけど。ただ、ユリアちゃんはもう少し入院が必要ね」
家の外から近所迷惑なエンジン音が聞こえてきた。
「あ、帰ってきたみたいね」
家の駐車場にシャンパン・ゴールドのスーパーカー、マセラティ・ボーラが入ってきた。
「ただいまー」
車から出てきたのは彩姉とナターリャ。
「お帰り。早かったわね。様子はどうだった?」
「思ったより経過は良くって、もっと早く退院できるかもだって」
ふたりは薬物治療で入院しているユリアの見舞いに行っていたようだ。
「そう、それは良かったわ」
「この車で行ったのか。自分の車はどうしたんだ?」
「まだ、修理中。ついでにエンジンのブーストアップと足回りの強化も頼んでるから。いっそのこと防弾仕様にすれば良かったかな」
「やめろ」
「本当に良いのか?」
僕はナターリャに訊いた。
「え?」
ナターリャはアイスグリーンの瞳で僕を見上げ、小首をかしげた。
「養子の話さ」
「とても嬉しい。ソフィアがメイドとして家で働いていたとき、この人が本当のお母さんだったらいいなって、ずっと思ってたから。それに……」
「それに?」
ナターリャは頬を赤らめて下を向いてしまった。
「それから、気になってたんだが、フィオナはどうなったんだ。いなくなったのか?」
「まだ、私と一緒にいる……」
「一緒に?」
「でも…… フィオナにはもう人殺しはさせない。これからは私の幸せを分けてあげるの」
「そうか……」
「ちょっと、あんた、何しに来たの」
彩姉の声? 玄関が騒がしい。急いで声のする方へ。
「ジャンナ?」
玄関口で彩姉と言い争っていたのは赤毛のシチリア娘、ジャンナ・バルボーニだった。
今日も和服、黒の訪問着だ。
「?」
ジャンナはいきなり玄関前で正座して両手をつく。
「御当家のお姐さん。陰ながらお許し蒙ります。向かいまする上様とは今日向初の御意を得ます。したがいまして下拙ことはイタリア、シチリアにござんす。シチリアはバレルモの生まれ、名姓の儀はジャンナ・バルボーニ、通り名を赤い竜巻と発します。御視見の通りしがなきものにござんす。幾末お見知りおかれましてよろしくお引き立てを程お願いいたします」
見事な口上…… いや、突っ込みどころ満載だろ。
何だよ、赤い竜巻って。
「わあ、お上手ね」
母は嬉しそう。
「昨日、徹夜で覚えたけん」
ジャンナが立ち上がる。
「堅苦しい挨拶は抜きで、ジャンナちゃんも上がって。明日から学校でしょ」
「学校?」
僕は母に訊いた。
「ジャンナちゃん、二学期から留学生として柏陰に通うのよ」
「留学? 留学ってどういうこと?」
彩姉が割って入る。
「まさか…… この家に住むんじゃないだろうな」
「そうよ」
「おい、ちょっと待て」
「わしら婚約者じゃけん。もう一緒に住んでもよかとよね」
ジャンナが僕に抱きつく。
「こらーーっ! 誰が婚約者だって? 私は認めないからな!」
彩姉は僕からジャンナを引き剥がそうと掴みかかる。
「まあまあ、彩ちゃん。落ち着いて。結婚なんてまだ先のことだから」
「結婚前提かよ!」
「私もこの家に住む」
「え?」
「うーんどうしましょう」
「悩むな!」
「彩姉の家は隣だろ!」
「部屋がなかったらレオ君と同じ部屋でいいから」
「断る!」
「あら? またお客さん?」
玄関の方で声がする。
「龍岡……」
入ってきたのはセーラー服姿の龍岡涼子とスーツ姿の中年男性。
突然土下座するふたり。
「この度はうちの愚女がとんだ不始末をしでかしまして……」
男性は涼子の父親か。
「本来ならば指の一本や二本も落としてお詫び申し上げるべきでしょうが、既に渡世から足を洗って堅気の家業。ここはひとつ、御当家に行儀見習いとしてこの愚女、我が娘の涼子をお預けしたくお願いに参った次第でございます」
「行儀見習い?」
「はい、小間使いでも夜伽でもお好きにお使いくださって結構です」
夜伽って…… おい。
「まあ、御丁寧に。お顔を上げてくださいませ」
「いや、別に謝罪とかいいから帰ってくれ」
もううんざりだ……
「あらいいじゃない、家にかわいい子が増えて嬉しいわ」
「あのなあ……」
「じゃ、そういうわけでよろしく頼みます。涼子。しっかり御奉仕するんだぞ。既成事実を作ってしまえばこっちのものだからな」
おい、聞こえてるぞ。
「はい、お父様」
「うははは……」
元ヤクザにしては軽すぎないか? この人。
「あの、ちょっと訊きたいんだけど」
涼子に言う。
「?」
「あの鍵持ってリヒテンシュタインに行ったのか?」
「いいえ、後から調べたらあの鍵は偽物だって判って」
「そうか、でも僕が貸金庫の鍵を持っているってどうやって知ったんだ?」
「蛇の道は蛇」
「?」
「うちはヤクザ辞めたけど、裏社会の情報はまだ入ってくるの」
涼子は怪しく笑った。
「それじゃ、アレックス…… じゃなかった、例の男とはどこで知り合ったんだ?」
「うちに出入りしてた情報屋を彼も使っていたの。大きなヤマがあるから協力しようってことになって……」
「いつからだ? もしかして元町で会ったのは初めてじゃない?」
「ううん、あのときが初めて。夏休み前から準備してたんだけど、なかなかタイミングが合わなくて」
「準備、って、あれはヤラセだったのか」
「てへ」
「てへ、じゃねーだろ!」
やっぱり女は信用できない。
「ちょっとそこどいて」
「うわ、何だ?」
彩姉が大きな荷物を担いで入ってきた。
「どうしたんだ彩姉」
「やっぱり私もこの家に住む」
「わあ、ずいぶん賑やかになったわね」
ノンキすぎるぞ母。
「レオ君の隣の部屋、空いてたよね」
「勝手に決めるな!」
風祭刑事の言葉が頭を過ぎる。
『おまえ、女運悪いって言われるだろ』
勘弁してくれ!
第一部「美少女オークション編」 完




