第十章 返せなかった鍵
八月十四日
志保さんは、緑の鍵を紙の上へ置いた。
鍵だけでは、少し歪んだ魚にも見えた。頭のカバーには、小さな白い傷がある。
「何かに入れたほうがいいと思う?」
七緒が封筒を一枚取った。
「これなら」
「大きいね」
請求書を折らずに入れられる大きさだった。
千尋さんが鞄の内側を探り、小さな袋を出した。飴が二つ入っている。それを自分の掌へあけ、袋を裏返した。
「これじゃ駄目か。粉がつく」
志保さんは笑った。
「鍵がべたべたになるね」
美玖は二人の手元を見ていた。
「そのままでいいんじゃない」
志保さんは鍵を持ち上げた。掌へ収めると、歯の部分だけが指の間から出た。
「そうする」
電話を出し、画面を開く。
俺たちは自分の作業へ戻った。七緒は案内の矢印に色を塗り、千尋さんは父親が書いた買い物のメモを読んでいた。美玖は写真の裏へ日付を入れている。
俺は机の上に残った大きな封筒を棚へ返した。
戻ってくると、志保さんは電話を伏せていた。
「明日。二時」
声に出して、それから鍵を鞄へ入れた。
「センターの一階を借りてもいいか、浦瀬さんに訊いてみる」
七緒が顔を上げる。
「ここで話すんですか」
「家だと、母も一緒に話すつもりになるから。店だと、何か頼まないといけないし」
志保さんは指先についた消しゴムの屑を払った。
「別れるために会うのに、何を飲むか一緒に決めるの、いまは難しい」
浦瀬さんは、一階の小さな会議室を用意してくれた。
最初に案内されたのは奥の相談室だったが、志保さんは窓のある部屋がいいと言った。窓は曇りガラスで、外から中は見えなかった。
俺は椅子を二脚、机の向かい合わせに置いた。
志保さんが少し考え、片方を端へ寄せる。真正面より、少し斜めのほうがいいらしい。
「航くんたちは、外にいてもらえる?」
「廊下ですか」
「うん。最初は二人で話したい。途中で誰かいてほしくなったら、呼ぶかもしれない」
七緒が頷いた。
「分かりました」
志保さんは机の端を掌で一度拭いた。
「何を言うか、書いてきたほうがいいのかな」
「忘れたくないことだけでも」と俺は答えた。
志保さんは鞄から手帳を出した。俺のものより薄く、表紙に何も書かれていない。
開いたページには、すでに三行あった。
俺が見てよい向きには置かれていなかった。
「もう書いてるんだけどね」
彼女は苦笑した。
「これ以上増やすと、説明の上手さを競うみたいになりそうで」
七緒は何も言わず、机の上から古い会議の札を下ろした。
そこには、議長、と書いてあった。
志保さんが笑った。
「それは、いらない」
午前、志保さんは以前働いていた事務所へ行った。
部屋の整理に付き添ってほしいと言われ、俺と七緒が同行した。残る二人はセンターにいて、昼に戻ってくることにしていたが、話が長引き、昼の約束は三時の休憩に変わった。
事務所は駅の西側にあった。
低い書棚の上へ、模型が並んでいた。紙の家、小さな階段、緑色のスポンジでできた木。机の上には図面が広がり、その角を押さえるために、陶器の犬が置かれている。
志保さんはそれを見つけ、まだ使ってる、と言った。
奥から出てきた女性が、重さがちょうどいいの、と答えた。
「口のところ、欠けてるけど」
「それ、私が落としました」
「知ってる。隠したでしょう、後ろ向きにして」
志保さんが、すみません、と笑った。
挨拶を済ませると、彼女は自分が使っていた机の前へ行った。
机は空いていたが、椅子はなかった。ほかの机のところで使っていると聞き、志保さんは、足りないならそちらで、と答えた。
女性が書棚から薄い箱を下ろした。
「ご実家へ送るか迷っていたの。仕事の図面が混じってるから」
箱には、志保さんが描いた細かなスケッチと、文字の入った紙が並んでいた。
持ち帰ってよいものと、事務所に残すものを分ける。俺たちは廊下に並んだ椅子で待った。
七緒は模型を遠くから見ていた。
「あの階段、一段ずつ切るのかな」
「たぶん」
「私、途中で一段飛ばしそう」
しばらくして呼ばれ、箱を運んだ。
女性が志保さんへ、また顔を出して、と言った。
「仕事しなくていいから。お茶だけでも」
「はい。でも、今度は仕事の話も、少ししたいです」
女性は頷いた。
志保さんは、辞めるつもりだったことを、そこで話した。
「ここが嫌だったんじゃなくて。任されてることの先を、一度、自分で探したかったんです」
女性は口を結び、それから、言ってほしかった、と答えた。
「言ったら、何か変わりました?」
「変えられたかどうかは分からない。うちでできることは、限られてるから」
志保さんは少し目を伏せた。
「そうですね」
「でも、探すなら知ってる人を紹介するくらいは、できたと思う」
志保さんは箱を持つ俺の手元を見た。
箱の中には、応募用にまとめかけたらしい薄い冊子があった。
「これ、見てもらえますか」
そう言って、一冊だけ取り出した。
女性は受け取り、最初のページを開いた。
「見ます。いつまでに返そう」
「二十日までに。直せるところがあったら、直したいので」
「分かりました」
志保さんは両手を空けたまま、しばらくそこに立っていた。
外へ出ると、彼女は箱の半分を持つと言った。俺が片側を渡すと、段ボールの底が少し持ち上がった。
「仕事、好きだったんですね」
七緒が言った。
志保さんは、好きなところは、と答えた。
「やめたかったのも本当。自分でも、どっちか一つなら、説明しやすかったと思う」
交差点で信号を待つ。
箱の上の紙が風に揺れ、七緒が押さえた。
「二十日、私も見たい」
「いいよ。あんまり大げさな作品ではないけど」
「私の部屋の絵より、ずっと細かい」
志保さんは首を振った。
「細かいのと、いい絵かどうかは別」
七緒が、そっか、と呟いた。
信号が青になったので、俺たちは箱を持って渡った。
八月十五日
川瀬さんは、一時四十五分に来た。
受付で名前を告げ、紙に連絡先を書いた。俺と七緒を見つけて会釈をする。今日は傘を持っていなかった。
「志保は」
「もう、部屋にいます」
俺が案内しようとすると、七緒が一歩前へ出た。
「こちらです」
会議室の扉が閉じた。
俺たちは廊下の長椅子に座った。
隣の部屋では、子供が積み木を崩していた。崩れるたびに大人が、もう一回、と言う。泣く声はしなかった。
七緒は膝へ置いた電話を裏返した。
「長くなるかな」
「分からない」
俺も手帳を出さなかった。
待っているあいだに、千尋さんと美玖が二階から下りてきた。四人で並ぶには椅子が短く、俺は端へ詰めた。
「何か始まってるの?」
美玖が訊く。
「たぶん」
彼女は頷き、鞄を抱えた。
扉の向こうから、言葉は聞こえなかった。
何度か椅子の動く音がした。それ以外は、積み木と、廊下を通る人の足音だけだった。
二時十分を過ぎたころ、扉が開いた。
志保さんが俺たちを見た。
「入ってもらっていい?」
俺たちは立った。
「四人?」
美玖が訊くと、志保さんは少し迷って、四人、と答えた。
部屋の中で、川瀬さんは机の向こうに座っていた。
鍵はまだ志保さんの側にあった。
俺たちは壁際の椅子を持ってきた。席に着くと、志保さんは自分の手帳を閉じた。
「同じ話に戻っちゃうから。誰かに、ここまで話したって覚えていてほしいの」
川瀬さんは唇を押さえていた。
「戻すつもりじゃない。ただ、どうしてそこまで、一人で決めたのかって」
志保さんは頷かなかった。
「二月にも話した。四月にも話した。そのとき、亮太は、今は忙しいから、落ち着いてからって言った」
「式の話とか、いろいろあっただろう」
「その話を、やめたいって言ったの」
机の上に、小さな傷が二つあった。
志保さんは鍵をその間へ置いた。
「何か一つ変えたら、続けられるかもしれないと思ってたときは、あったよ。でも、四月には、もう別れたいと思ってた」
川瀬さんは彼女を見た。
「俺のこと、嫌いになった?」
「全部嫌いにならないと、別れちゃいけないの?」
彼は返事をしなかった。
志保さんは息を吸い、ゆっくり吐いた。
「一緒にいてよかった時間もある。今、なくなったとは思ってない。でも、その先も一緒に暮らしたいかって訊かれたら、違う」
千尋さんの手が膝の上で動いた。俺たちは口を挟まなかった。
「八月だから、考えが変わったわけじゃない。もう先が短いから別れようって言ってるんでもない。四月に決めたことを、今日、私が言ってる」
川瀬さんは机の端へ両手を置いた。
「だったら、帰ってこないままのほうが」
言葉が途中で止まった。
七緒の背が椅子から離れた。志保さんは彼を見ていた。
「それは、言わないで」
声が細くなっていた。
川瀬さんは顔を両手で覆った。
「ごめん。違う。今のは、違う」
志保さんは鍵を引き戻さなかった。
廊下から、積み木の崩れる音が聞こえた。
今度は子供が笑い、大人も笑った。
川瀬さんは顔から手を離した。目は机を向いていた。
「四月の返事、警察には、あとから見せた。全部」
志保さんは少しだけ顔を上げた。
「最初は、仕事で遅くなるってことだと思った、って話した。家にも、そう言った。お母さんにも」
「仕事の話は、してない」
「うん」
川瀬さんは電話を出した。
「してなかった」
画面を操作したが、こちらへは向けなかった。
「君が見つからないあいだ、これを見せたら、俺が何か言ったから帰ってこないんだって、思われる気がした。それで、見つかったあとも」
指が止まった。
「結婚するはずだったって、いろんな人に言われて。訂正できなかった」
志保さんは口を結んだ。
川瀬さんが画面を彼女へ向ける。
「この間、家で話したあと、もう一度、全部説明してきた。初めから分かってたことと、俺がそう思いたかったことを、分けて」
志保さんは画面を見た。
しばらくして、指で一か所を示した。
「ここまで、覚えてなかった」
「君が送った」
「そう。私が、送ったんだね」
彼女は自分の電話でも撮っていいか訊いた。川瀬さんは頷いた。
撮り終えると、志保さんは画面を閉じた。
「亮太が怖かったから、いなくなったんじゃない。それは、警察にも話してる」
川瀬さんは彼女を見た。
「でも、一人で決めたことを、また、そんなはずじゃないって言われるのは、嫌だった」
彼の目から、涙が一つ落ちた。
志保さんは動かなかった。
机にある箱のティッシュを、川瀬さんが自分で取った。
鍵を受け取るまでには、まだ少し時間が掛かった。
川瀬さんは、部屋に置いてある志保さんのものを、どうすればいいか訊いた。
「本と、カップと、冬の上着」
志保さんは指を折った。
「カップ、二つあるよ」
「私のほうだけでいい」
「どっちが、君の」
そこで二人とも黙った。
俺には分からない話だった。川瀬さんの部屋も、並んでいたカップも、見たことがない。
志保さんが、白いほう、と言った。
川瀬さんは頷いた。
「分かった。洗って、箱に入れておく」
「ありがとう。母に持ってきてもらえるか、頼むね」
「自分では、来ない?」
志保さんの指が一度だけ動いた。
「行かない」
川瀬さんは口を開きかけたが、言い直させようとはしなかった。
緑の鍵を取った。
掌に置き、カバーの白い傷を親指でなぞる。
「これ、付けたの、覚えてる?」
「うん。私が、どっちの鍵か分からなくなるって言って」
「すぐ分かるだろうって、俺が言って」
志保さんが頷いた。
「結局、買ってきてくれた」
川瀬さんは、そう、と答えた。
彼は鍵をポケットへ入れた。
今度は志保さんが、机を見たまま動かなくなった。
俺たちが来てから、そこにはずっと鍵があった。小さなものだったのに、なくなると机が広く見えた。
「元気でね、って言いそうになった」
川瀬さんが言った。
志保さんが顔を上げた。
「言ってくれていいよ」
彼は唇を噛んだ。
「元気で」
「うん。亮太も」
志保さんは椅子を引いた。
立ったあとで、足が少し止まった。七緒が近づいたが、支える前に、志保さんが自分で歩き出した。
扉を開けると、廊下は静かだった。
積み木で遊んでいた親子は帰ったらしい。箱の中に、一つだけ赤い屋根が収まらず、脇へ置かれていた。
志保さんはそれを見て、小さく息を吐いた。
川瀬さんがセンターを出るまで、俺たちは二階へ戻らなかった。
志保さんは玄関へは行かず、廊下の長椅子へ座った。先ほど四人で座っていたところだった。
「私、ひどいことも言ったよね」
七緒は、何も悪くないとは答えなかった。
「言いたかったことは、言えた?」
志保さんは頷いた。
両手を見下ろす。指がわずかに震えていた。
「言えた」
千尋さんが隣へ座った。
「水、持ってくる?」
「うん。冷たいのがいい」
美玖も千尋さんについていった。
俺は壁へ背をつけた。立っているほうが楽だった。
志保さんは鞄を開け、手帳を取り出した。三行の書いてあるページを見る。
消しもせず、閉じた。
「あの人、好きだったよ」
俺は顔を上げた。
「うん」
七緒が答えた。
「一度好きだったら、最後まで同じ気持ちでいなきゃいけないみたいに思ってた。そうじゃないって、自分で言っても、まだ少し悪い気がする」
声が途中で揺れた。
「嫌だったことだけ思い出せれば、簡単なのにね」
俺は何も言えなかった。
千尋さんが水を持ってきた。紙コップの縁まで注いであったので、志保さんは前へ屈み、持ち上げる前に一口飲んだ。
美玖がその姿を見て、笑いかけ、すぐに口を結んだ。
「笑っていいよ」
志保さんが言った。
「いま、自分でも変だと思ったから」
美玖は少し笑った。
志保さんも、コップを持ったまま笑った。それから急に顔を伏せた。
七緒は鞄を自分の膝へ移し、志保さんが俯けるだけの場所を空けた。
千尋さんが、私、先に荷物まとめてくるね、と言った。
美玖が一緒に立ち、俺も二階へ上がった。
階段の途中で、七緒の声が一度だけ聞こえた。
それが何という言葉だったかは、分からなかった。
三時半に、五人で外へ出た。
志保さんの目元は少し赤かった。入口にいた浦瀬さんは、部屋の鍵を受け取って、忘れ物はないですか、と訊いただけだった。
俺はないと答えかけたが、志保さんが先に答えた。
「ありません」
買い物へ行くことになった。
志保さんが欲しかったのは、黄色い布だった。大きいカーテンを買っても、実家の部屋には合わない。机の前だけに掛ける、小さなものを探したいという。
商店街の店には、似たような黄色が五種類あった。
七緒が一枚ずつ広げた。
「これ、思ったより濃い」
千尋さんは薄いほうを見た。
「こっちだと、汚れが目立つかな」
「洗えるから」と志保さんは言った。
彼女は、一番明るいものを選んだ。
店員が、どのくらい切りますか、と訊いた。
志保さんは鞄の中を探した。
「……机の幅、測ってこなかった」
俺たちは顔を見合わせた。
部屋の窓を正確に測った人が、自分の机の大きさを知らない。
志保さんは笑い、そのまま母親へ電話を掛けた。
「帰ったら、机に黄色いの掛けたいんだけど。横の幅、測ってもらえる?」
布を持ったまま、少し待った。
「うん。それでいい。あと、亮太と話したから。帰ったら、聞いて」
通話を終え、店員へ長さを伝えた。
鋏が入った。
黄色い布は、巻かれていた残りから離れ、四つ折りになって袋へ入った。
夕方、志保さんは俺たちへ、川瀬さんから見せてもらった連絡を見せた。
センターへ戻り、ほかの人の目に入らないように、電話を低い位置へ置いた。
四月二十六日、十八時四十二分。
『今日はそっちへは行きません。結婚の話は止めてください。部屋のことも仕事のことも、自分で決めてから話します。』
俺は最後まで読んだ。
川瀬さんの返事は、その下にあった。
『今そんなことを決めないで。会って話そう。待ってる。』
志保さんは、そこで画面を戻した。
「これを送ったあと、返事が来て。もう一度返そうか迷いながら、まだ明るいなって、木を見てた。あの場所で」
北の休憩所だった。
「だから、私は誰かに呼ばれて北へ行ったんじゃない。自分で部屋を見に行こうとして、その途中で座った」
七緒が頷いた。
「返事も、そこで読んだんですね」
「うん。部屋に行く約束の待ち時間と、この返事が重なってた。松原さんからの連絡は、もう警察が確かめてくれてる」
俺は時刻を覚えてから、志保さんを見た。
「書いてもいいですか」
「お願い。ただ、ここの文章全部じゃなくて、私が座っていた時刻だけで」
俺は、十八時四十二分、休憩所、と書いた。
電話のやり取りは、俺の手帳には写さなかった。
志保さんは電話をしまい、買ってきた布を膝へ置いた。
「今日のこと、何か一個終わったら元気になると思ってた」
千尋さんが椅子の背へ寄りかかった。
「ならなかった?」
「疲れた。でも、明日どうするかは考えられる」
美玖が言った。
「明日、うちで卵焼くけど」
俺たちが美玖を見た。
「お母さんと。来る?」
志保さんは少し驚いて、それから、行く、と答えた。
「また、薄くなるかも」
「食べるほうでもいい」と美玖は言った。
千尋さんが笑った。
俺は明日の欄へ、卵、と書いた。
七緒は袋から覗いている黄色い布を見ていた。
「広げたら、どのくらいある?」
志保さんが袋を開けた。店で切ってもらった布には、まだ折り目が強くついていた。二人で端を持つと、思っていたより横に長かった。
窓へ向けると、壁に黄色い影ができた。
「あ、きれい」と美玖が言った。
千尋さんがその中へ手を出した。指の間が、蜂蜜を塗ったみたいな色になった。
「おいしそう」
「手が?」と志保さん。
「色が」
七緒は布を少し下げた。影が千尋さんの袖へ移り、今度は机の上へ伸びた。
俺は白い紙をその下へ置いた。布の影と、窓からそのまま来る光の境目が、はっきり分かれた。
美玖は電話を出し、紙と布を一緒に撮った。俺が手を引いても、紙は丸まらなかった。
「これ、お母さんに送ろうかな」
志保さんが言った。
七緒は布の向きを変え、折り目を伸ばした。母親へ見せるにはもう一枚、全体の長さが分かる写真もあったほうがよかった。
撮り終えると、志保さんは自分でも画面を見た。
「店の中より、明るいね」
「窓の前なら、こっちになるんじゃないですか」と俺。
志保さんは写真を二枚とも受け取り、母親へ送った。文章を少し考え、買ったよ、とだけ打った。
返事が来たのは、布を畳み終えたころだった。
『針と糸、出しておいた』
志保さんはそれを読んで、袋の底へ布を戻した。鍵を入れていた内ポケットは空いていたが、袋はそちらへは入らなかった。
七緒が鞄の口を広げ、俺は机に残った白い紙を抜いた。
「明日、掛けたところ見せて」と美玖が言った。
志保さんは、うまく縫えたら、と答えた。
窓の下の壁は、布を片づけると、元の色へ戻った。




