梶原景時①
かつて平清盛に敗れた源義朝の子である頼朝は、清盛の命で伊豆に流罪となっていたがそこで平家打倒の兵を挙げた。当時平家はこの世の絶頂にあり、それに一介の流人が立ち向かうなど正気の沙汰ではない。
初戦で勝利した頼朝だが、三百の兵で大庭景親率いる三千の兵に挑んで敗れ、今は石橋山の山中に身を潜めている。大庭の兵たちは謀反人である頼朝を必死で探していた。
風雨の激しい夜であった。ぬかるむ道を大庭の家臣である梶原景時が進んでいた。彼は小さな洞窟を見つけ、その中を誰も確認していないことに気づいた。
中を覗き込んだ景時は息を呑んだ。そこには面長な若武者がわずかな従者と共に座り込んでいたのだ。間違いなくそれは頼朝である。頼朝は景時に気づいた。そして微動だにせずこちらを見ている。
従者たちも景時に気づいて斬りかかろうと鍔に手をかけたが、景時は無言で手を挙げて制した。そして「ここには誰もいない」と味方に告げてそこを離れていった。
自分でもなぜそんな行動をとったのか分からない。目の前にいた男は今や風前の灯といえる状況にあるのだ。ここで助かったところで、平家の巨大な力を前にのみ込まれてしまうだろう。
だが景時は頼朝から漂う不思議なものを感じずにいられなかった。一目見ただけであり言葉を交わしたわけでもない。それでも景時にはこの男がこんなところで尽きるわけがないと思われたのだ。
頼朝は自分を探している敵方に見つかった際に表情一つ変えなかった。あの時全てを諦めて受け入れたのだろうか。それともあの絶望的な状況で自分は助かるという確信があったのだろうか。いずれにせよ只者ではない。自分が仕えるべきは大庭景親などではなくあの男ではないか、景時はそんなことまで考え始めていた。
その後景時の妙な予感は当たり、安房に逃れた頼朝は上総介広常などの有力者を味方につけて勢力を拡大して鎌倉を拠点に定めた。そして大庭景親は頼朝に敗れて首をはねられることとなる。
景親の家臣たちは頼朝に降り、景時は頼朝を見逃したことで御家人として迎えられた。そして景時は頼朝の相談役として信頼を得ることとなる。
上総介広常は大兵力をもって頼朝のもとに参じたため、鎌倉でその影響力は大きかった。彼の態度は景時には尊大であるように映った。
当時都の後白河法皇は平家打倒のために京に上るよう頼朝に命じていたが、補給などの問題で実行できないでいた。そんな中で広常は頼朝たちの前で
「院の命など聞く必要はない。京になど上らずともよい」
と主張していた。
頼朝はそれに対し何も話さない。だが頼朝の相談役である景時は京に上って平家を討つという頼朝の大志を知っている。なぜ頼朝は広常に何も言おうとしないのか。
頼朝は簡単に心の内を明かさないから、何を考えているか分からない。思えばあの日の洞窟でもそうであった。幼い頃から流人として過ごした彼は簡単に人を信じない性格に育ったのだ。
景時はある日頼朝に尋ねた。
「上総介殿をあのままにしておいてよろしいのですか?」
すると頼朝は
「だが上総介の兵力を相手に戦うことなどできぬ」
といって景時の方へ目を向けた。それは冷たく、そしてこちらを試しているかのような眼差しであった。頼朝は考えを言葉にしないが、それでもその眼差しは明らかに何かを語っていた。
景時はこの時全てを察した。自分の役割は、言葉にしない頼朝の要求を理解して実行することなのだ。景時は低い声で
「全て私にお任せください」
と告げ、頼朝は
「好きにせよ」
とだけいった。
鎌倉に激震が走った。梶原景時が上総介広常を双六の最中に刺殺したのである。
当然、景時は恨みをかった。しかし彼に悔いはない。彼は自らの果たすべき役割を果たしただけである。
坂東武者が天下に名乗りを上げて生き残るには強いリーダーが必要であり、その器を持つのは頼朝ただ一人である。頼朝の望みさえ形にしていけばきっとこの鎌倉の政権は盤石となることだろう。景時はそう信じている。




