8.どこかにいるらしい才女
幼い頃から天才ともてはやされたアレクサンドラだったが、ある日自分に付いた『ハンナ』という名前の家庭教師だけは、どこか反応が違った。
必要以上に自分を持ち上げ、褒めてくれるのは他の大人と変わらないのだが、彼女だけはアレクサンドラがテストで満点を取った後で、さらに一段難しい課題を出すのだ。
その問題をアレクサンドラはヒントなしで解けないこともあった。すると、いつもハンナは「これは何歳も年上で、かつ優秀な子供達だけに出される難問ですから仕方がありません。ですが、アレクサンドラ様でしたらその年齢を待たず解けることでしょう」と微笑むのだ。
けれど。
(私にその問題を出すということは、過去に解けた子供がいたということだわ)
アレクサンドラはそう思い、ある日ハンナを問い詰めてみた。最初は答えてくれなかったものの、最終的に根負けしたハンナは遠慮がちに教えてくれたのだ。
――前にお世話になったお家で、アレクサンドラ様と同じぐらい賢いご令嬢にお教えしたことがございます。
と。
(ハンナ先生はその彼女の名前をどうしても教えてくれなかったわ。こっそり調べたところによると、以前勤めていた家はアリンガム伯爵家。でも、その家にずば抜けて賢い令嬢がいるなんていう話は聞こえてこなかった)
きっと何かわけがあるのだろう。けれどどうしてもその彼女に会ってみたい。アカデミーへ行けば会えるに違いない。そう思ったアレクサンドラは、彼女との邂逅を楽しみに勉学に励んだ。
その結果、アレクサンドラは首席でアカデミーに入学したのだが、件の彼女は現れることはなかった。
回想を終えたアレクサンドラは遠い目をする。
「――オフェリー・バティーユ様が成績優秀者だったと聞いたとき、もしかしてと思ったのですけれど。どうやら違ったようですわね。私が想像していた“彼女”のイメージとあまりにも違いすぎますもの」
「なるほど。ですが、私もそんな令嬢の話は聞いたことがありませんね。アレクサンドラ嬢は才媛としてすでに名前が轟いています。もし本当にあなた以上の令嬢がいたとしたら、アカデミーへ辿り着く以前に大きな話題になっているはずですから」
「ええ……」
自分がそれなりに賢いのはわかっていることだ。アレクサンドラはシリルの言葉を特に否定することはない。けれど、その『彼女』への想いは募る。
(どんな方なのかしら。やっぱりお会いしてみたいわね)
その『自分よりも賢い令嬢』への想いが、アレクサンドラをここまで支えてくれたようなものだ。ここで会えなかったとしても、簡単に諦められるようなものではないのだった。
◇
天井が高く吹き抜けになっている図書館。
アレクサンドラとシリルが話し込んでいる書架の前から、少し離れた場所。本の陰に隠れて聞き耳を立てていたオフェリー・バティーユは真剣な表情を浮かべた。
(……ふぅん。そういうことなのね)
先ほどアレクサンドラの前から退場したオフェリーは、取り巻きの男子学生たちを解散した後一人で図書館の中に戻った。改めてアレクサンドラへの非礼を謝罪するためだ。
けれど、戻った先でオフェリーが見たのは、けろりとしたアレクサンドラがアカデミー随一の頭脳と言われるシリル・ブランドナーと話し込んでいる姿だった。
(意外だったわ。アレクサンドラ様は意外と鈍いのね。そして、私を酷く拒絶したシリル様が堅物令嬢とならお話しすることも予想外だった)
そんなことを考えながら、細かく状況を分析する。オフェリー・バティーユはバティーユ男爵家の令嬢である。けれど、男爵家の生まれではない。あまり公にしてはいないが、実は養子だ。
オフェリーが生まれたのは王都の外れ、貧困層が住むとされている地域。オフェリーの母親は病弱、父親はアルコール依存症で滅多に家に帰ってこなかった。
毎日食べるものにすら困る生活を送っていたオフェリーだが、十歳で母親が亡くなってから、本当の地獄がはじまった。オフェリーは、五歳年下の弟と二人で生きていくため、なんでもした。修道院の炊き出しで出会った平民の友人の家に居候させてもらえることになったのは幸運なことだったと思う。
(次の転機は十一歳の時だった)
その友人の父親は裕福な商家で働いていた。オフェリーは友人の父親に忘れ物を届けにいったことをきっかけに商家での仕事を手に入れ、住み込みで働かせてもらうことになった。
(あれは狙い通りだった。あの商家では安く使える労働力と動くマネキン人形が必要だという噂だったから。外見に恵まれている私は、格安なマネキン人形として簡単に商家での仕事を手に入れることができた)
そして、商家で住み込みで働いていたオフェリーには、問題なく上客の接客をこなせるようにと教育が与えられた。しかも、幸運なことにオフェリーは商家の息子たちよりも覚えが良かった。
美しく洗練された外見の、賢い少女。貴族もいる客の間で、オフェリーの存在が評判になるのは当然のことだった。
(次の転機は十五歳の時。私の人生の中で二番目に大きな出来事だった)
ある日、オフェリーの評判を聞きつけたバティーユ男爵が養子縁組の話を持ってきたのだ。バティーユ男爵家には娘と息子が一人ずついたが、あまり出来が良くなく、後継として育てる人間を探していたらしい。
オフェリーを引き取って育て、実務的な後継者にしたいという話だった。
(当然、実際には私は後継者になることはできない。男爵の子息を当主とし、私には裏方として支えるための駒としての役割を求められた。けれど、私は全てわかった上で喜んで承諾した。……成り上がるという目標があったから)
回想を終えたオフェリーの視線の先には、アレクサンドラとシリルがいる。図書館の中、書架の影になった場所で話し込んでいる二人は、こちらが聞き耳を立てていることに気がついていないようだ。
(もう少し近くに行けないかしら。話がよく聞こえないわ)
オフェリーが二人に近づこうとしたのには、理由が二つある。そのうちの一つは、より上位の寄生先、もしくは将来の就職先への足がかりにするためだ。
(シリル様はアカデミーでトップの成績を修め、しかも家は侯爵家。取り巻きの一人にしておいて損はない。一方のアレクサンドラ様は……。何としても近づかないと)
しかし二人は何を話しているのだろうか。オフェリーは隠れる書架を移動し、二人へとさらに近づく。そこで初めて、警戒するように小声で話す二人の会話が聞こえてきた。
「……アカデミーへ来れば私以上の才女に会えるかもしれないと思っていたのに。少し残念ですわね」
「あなた以上の才女? アカデミーの入試を首席で突破したあなたよりも聡明な女性がいるということでしょうか? 信じられませんね」
二人の会話に、オフェリーは目を瞬く。
(入試で首位を取り、素行は真面目一辺倒なアレクサンドラ様よりも優秀な才女? そんな令嬢に彼女は出会ったことがあり、探しているということ……?)
アレクサンドラ・リンドバーグのことなら以前から知っていた。伯爵令嬢で、才媛で、実業家であり、模範的な淑女だ。そのアレクサンドラが憧れるような人間が、本当に実在するのだろうか。
だとしたら、その彼女の将来は約束されたものだろう。そう思えば、男爵家の養子としてギリギリのところで足掻いている自分が、たまらなくちっぽけに思える。
(私が成り上がるために、今の話を利用しない手はないわね)




