7.淑女のふりに騙されない男
折れた万年筆を撫でつつ、制服の胸ポケットにしまったところで、誰が吹き出すのが聞こえた。
「プッ」
「! どなたかしら?」
しまった見られた。瞬時に判断しつつスッと淑女の表情を浮かべ直したアレクサンドラのところに、一人の青年が姿を見せる。
「申し訳ない。盗み聞きをする気はなかったんですよ」
現れたのは、鈍い色合いのブロンドに紫水晶の瞳をした青年だった。整った顔立ちにメガネをかけ、いかにもインテリという外見をしている。
アカデミーの制服がよく馴染んでいる……というよりはやけに似合っている。この佇まいはおそらく上級生だろう。アレクサンドラは全てを帳消しにするようなたおやかな笑みを浮かべた。
「何のことでしょうか? 先ほどの方々との会話のことでしたらお気遣いなく」
「おすすめの万年筆メーカーを紹介しましょうか、と言おうかと思ったのですが、豪商リンドバーグ商会のご令嬢でしたら私よりもずっとお詳しそうだ」
あ、この男はダメなタイプだ。アレクサンドラは察する。
この世界には、二種類の男がいる。自分に騙される男と、騙されない男だ。ほとんどは前者で、アレクサンドラを模範的な淑女と認識し近寄りがたいと距離を置くのだが、ごく稀に後者が現れる。
宿敵である王太子ローレンスを筆頭とした、一部の人間を見る目に長けた男たちだ。
彼らのことは人間としては尊敬するが、申し訳ないがアレクサンドラの完璧な人生計画には邪魔だ。本性がバレるリスクが高すぎるからである。
(しかも、私を見ただけでアレクサンドラ・リンドバーグだと認識している。彼には関わらない方がよさそうだわ)
そう判断し、笑顔で会釈をして去ろうとしたところで、彼の胸元に光るピンが目に入った。そのピンはプラチナをベースにし、中には流れ星をモチーフにした紋章が描かれている。星の中央には大きなダイヤが輝いていた。
(……これは)
アカデミーでは年に五回試験があり、成績優秀者に対してピンが与えられる。そのデザインは、星をモチーフにしたイエローゴールドの土台にルビーを組み合わせたものだ。
現に、入学試験で首位を取ったアレクサンドラの胸元にもイエローゴールドのピンが輝いている。このピンを五つコンプリート――つまり、年間で首位を守り続けると、特別なピンと交換できるのだという。
その、特別なピンを目の前の彼は身につけているのだった。つまり、彼はこのアカデミーで一年間首位を取り続けたものすごく優秀な人間ということになる。
さすが、自分が関わってはダメなタイプ。脱力しつつ感動するアレクサンドラに、彼は上品に微笑んで挨拶をしてくる。
「私は二年のシリル・ブランドナー。ブランドナー侯爵家の次男で、リンドバーグ伯爵令嬢のお噂はかねがね」
(ブランドナー侯爵家。侯爵夫人は社交界の華と呼ばれ、高い地位にある家の出だわ)
当然、王家からの覚えもめでたく、必死に隠しているアレクサンドラとローレンスの関係も知っているのだろう。全てを諦めたアレクサンドラは本音で挨拶をするしかない。
「シリル・ブランドナー様。アレクサンドラ・リンドバーグですわ。取り繕っても無駄と存じますので、弁解はいたしません」
「もちろん。私もその万年筆のようになるのは遠慮したいですからね」
しかし、あまりにも毒舌がすぎるのではないか。
「さすが賢明なご判断をされる方ですわね」
顔を引き攣らせれば、シリルは意外なことに呆れたような表情でこちらを見てくる。
「だが、あなたがしたのは賢明な判断とは言えないようだ」
「え?」
眉間に皺を寄せると、シリルは一歩近づき、常識的な距離を保ちながらも声を落とし、アレクサンドラだけに聞こえるように続けた。
「さっきの彼女。あなたの婚約者をあなたの前で自分の友人として扱い、自分に従わせて連れて行った。とんでもない女だと思いませんか?」
「そうね。だけど、一方では格上の貴族令息に自分の意見を押し通して骨のある方だとも思いましてよ?」
率直な感想を述べれば、シリルは驚きに目を見開く。それから感心したようなため息をついた。
「なるほど。賢く公平な目線。ローレンス殿下が手放したくないわけだ」
「え?」
不意に漏れた独り言を聞き取れず、聞き返したのだが、シリルはそれには応じず続けた。
「実は私も彼女に声をかけられた。アカデミーでの過ごし方を教えてほしいとね。しかたがないので一年次で押さえておくべき資料の棚へ案内しようとしたら、取り巻きの令息に「セクハラだ」と騒がれたんですよ」
「それは災難でしたわね」
澄ましたまま同情して見せれば、シリルはさらに続ける。
「その後、彼女は泣きながら取り巻きの令息を糾弾し、私には取り乱して謝罪をしてきました。おそらく計算でしょうね。身内に悪事を演じさせて、自分がそれについて謝罪するという。そうすれば自ずと自分の評価は上がりますから」
「へえ。あなた相手に計算でそんなことを試みるなんて、大した度胸じゃないの。子犬ちゃんにしては上出来じゃない」
思わず感心すれば、シリルも口の端だけをあげて微笑みながら頷いてみせる。
「確かにそうですね。だが私は彼女が嫌いだ。誰かのコントロール下に置かれて転がされるのは趣味じゃない」
「腑に落ちたわ。だから私に声をかけたのね」
「ご名答。さすが、今年の主席入学者ですね」
シニカルな笑みを浮かべているシリルだが、意外なことに嫌な感じはしない。そして、なぜ彼が自分に声をかけたのか疑問でしかなかったが、彼はアレクサンドラに明確な目的を持って近づいたようだった。
(あのオフェリー嬢がこれからアカデミーに通う学生たちの人間関係をめちゃくちゃにすると踏んで、王太子と裏で繋がりがある私の傘下に入ろうとしているのね。なるほど、面白いじゃないの)
そう理解したアレクサンドラは、潜めていた声を図書館にふさわしい程度の大きさに戻し、シリルに向かって手を差し出す。
「大体のことは理解しましたわ。私も騒がしいアカデミー生活は嫌ですの。アカデミーの首席であり危機回避を優先して動くあなたと組まない手はないわ。協力して、静かな生活を送れるようにしましょう」
「ご理解いただけて何より。ここは貴族社会の縮図です。あなたに王太子殿下が妙な執着を見せているという話は伝わってきていますから。あなたと仲良くしていれば面倒には巻き込まれないでしょう」
一瞬は握手をしたものの、アレクサンドラはシリルの言葉に固まる。
「……。待ってくださる? ちょっと、それどこまで伝わってるのかしら?」
「大丈夫ですよ。一部の人間しか知らないことです。皆、噂通り『ローレンス殿下は堅物で男性に免疫のない淑女アレクサンドラ・リンドバーグ嬢をからかっている』程度にしか思っていませんから」
「それはそれで問題ですわ」
「ローレンス殿下さえ自重してくだされば、噂はすぐに消えるでしょう」
「……」
心から、本当にそうであってほしいと思う。
(さっき、学長室で噂を消す方向に動くと約束はしてくれたけれど。彼ならきっとやってくれるとは思うわ。でも)
目の前で見たマルセルとオフェリーの様子は、想像以上にマルセルの方が彼女に心酔しているように思えた。ローレンスからの忠告通り、注意深く見守る必要があるのかもしれない。
(殿下に婚約者ができるまでは、婚約破棄されるわけにいかないものね)
そんなことを考えつつ、ため息をつく。
「……アカデミーへ来れば私以上の才女に会えるかもしれないと思っていたのに。少し残念ですわね」
「あなた以上の才女? アカデミーの入試を首席で突破したあなたよりも聡明な女性がいるということでしょうか?信じられませんね」
不思議そうな表情を浮かべ指で眼鏡を押し上げるシリルに対し、アレクサンドラは頷く。
「以前、家庭教師に聞いたことがありましてよ。私よりも優秀だという令嬢の話を」
(このお話は無能才女本編未読の方でも楽しんでいただけるお話なのですが、一応紹介すると、シリルはサミュエルの兄のシリルです。無能才女本編でも一章と六章に登場します)




