51.ただ一人を
その後、アレクサンドラはアリンガム伯爵夫妻を呼びつけて借金の返済を迫った。
『エイヴリル・アリンガム』と名乗った女は、その段になってやっと少し状況を理解したらしく、キーキーと騒いでいたが知ったことではない。
すべてを終えて馬車に戻ると、ローレンスが書類に目を通しながら待っていた。出先でも執務をこなさないといけないほど忙しいのに、わざわざこんな田舎町まで付き合ってくれたのだと思うと申し訳なさで目が泳ぐ。
けれど、長年でできあがった関係とは恐ろしいものだ。感謝の言葉を伝えたいのに、憎まれ口しか出てこないのだった。
「私のことを待ちながら仕事をするぐらいなら、一緒に来なければいいのに。というか、王太子殿下ともなると馬車の中ではお休みになれないのかしら」
「この状況で眠れると思うか?」
苦笑とともに、ぱさりと書類が置かれた音がする。
「……ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。すべてつつがなく終わりました。婚約に関する書類もすべて破棄してまいりましたので」
そう告げて隣席に座ると、ローレンスは片方の口角だけを上げニヤリと笑った。
「賢い君が意味を取り間違うとはな」
「え?」
「やっと、二度目の求婚の機会が得られるんだ。普通、浮き足立って眠れないだろう?」
全然そうは見えない王太子が、アレクサンドラが応える前に次の言葉を挟む。
「アレクサンドラ・リンドバーグ。私、ローレンス・ギーソンは君へ正式に結婚を申し込む」
数秒前の『二度目の求婚』という言葉の意味を、遅れて呑み込んだ。
いつの間にか握られていた手に、わずかに熱が走る。けれど、いきなり手を取られたのに不思議と嫌な気持ちはしない。むしろ、有無を言わさず告げられた言葉の押しの強さがしっくりくるくらいだ。
一人で生きていくことはできるが、この面倒くさい男の隣にいるのも悪くないかもしれない。というか、逃げてもこうやって追ってくるのだから、近くにいてうまくコントロールするほうが得策な可能性もある。
何より、彼は才媛と呼ばれる自分を子ども扱いする男だ。腹黒いし、手段は選ばないし、最終的には国家権力まで使える。どんなに逆らったって勝ち目はないのだ。
しかし、いろいろ理由を並べ立ててみたものの、これらがすべて口実なのもわかっていた。三年間を過ごしたアカデミーでの日々、リンドバーグの大災厄と呼ばれていた頃の記憶。
それらが頭の中を駆け巡って、やっと覚悟を決めたアレクサンドラは口を開く。
「私でよければ、求婚をお受けしますわ」
「ああ」
(それだけ!?)
予想通り、ローレンスの表情に動揺は全く見えない。この男は求婚を断られるとは微塵も思っていなかったらしい。それがまた腹立たしいが、アレクサンドラの知るローレンスらしくもあった。
子どもの頃から何とか逃れようとしてきたはずなのに、完敗だ。
そんなこと思い、目を閉じて息を吐けば、唇に柔らかいものが触れる。顔をわずかに上げると、ローレンスのアメジストの瞳が視界いっぱいに広がった。
口付けられたのだ、と理解するまでに呼吸ひとつ分。一瞬、抗議しようか迷ったところで、もう一度唇を塞がれた。
すっかり朝日が昇っているはずなのに、馬車の外は静かだ。いつの間に窓のカーテンが閉じられたのだろう。そんなことを思う間に耳元で囁かれる。
「――やっと、ずっと欲しかった女が手に入った」
この食えない男の、初めて聞く愛おしげな声色に不覚にもどきりとしてしまった。
次話で完結です。18時投稿です。





