エピローグ
それから、一ヵ月ほどが経った。
アレクサンドラとローレンスは、正式な手続きを経て婚約者同士となっていた。
不本意な始まりではあったものの、腹を決めてしまえば案外悪くない――と思っているのは、隣の婚約者には絶対言いたくない。
「アレクサンドラ?」
白亜の館のロビーを通り、抜けた先に現れた美しい庭園。
春の花が咲く中で、行き交う招待客の中から自分の事業の顧客をピックアップし挨拶回りの順番を考えていたアレクサンドラは、自分の手を握る男の声ではっと我に返る。
「……失礼いたしました」
「いや、いい。誰かの婚約者としてこのような場に出たのは初めてだろう」
楽しげな声音に、思わず反射的に拒絶反応が出てしまいそうになったが、実はこれは本心からではない。この男から逃げないといけないという長年の積み重ねからくるものなのだ。少し大目に見てほしい。
ところで、今日は春のお茶会である。とある公爵家の館で開かれているこの会は、広い庭を贅沢に飾りつけた華やかなガーデンパーティーだった。
気を取り直して、淑女らしくローレンスのエスコートを受けるアレクサンドラだったが、周囲の視線が自分一点に集まっているのを痛いほどに感じていた。
(それはそうよね。だって)
今日の招待客名簿に、アレクサンドラの名前はないからだ。
「念願叶って君と婚約できたのは最近だからな。なかなか思うように広まってくれなくて残念だった。あちこちで言いふらしているのに」
「そんなことをしているんですか? 王太子が?」
「仕方がないだろう。うれしいのだから」
そう言いながら、ローレンスは中央にある主賓用のテーブルへとアレクサンドラをエスコートしていく。隠すことのない言葉が、なんだかくすぐったい。周囲の視線がますますこちらに集まり、ため息が漏れ聞こえてくる。
その気配を受け取りながら、アレクサンドラは淑女らしく微笑むのだった。
「揃って公の場に出る機会がありませんでしたものね。マルセル様との婚約破棄の話が広まるのを止めるため、あなたとの婚約の話も、お父様が今日まで新聞社に口止めしていましたし」
「だが、それも今日で終わりだ」
席につくと、頃合いを見計らって次々に招待客が挨拶に訪れる。
社交界で顔見知りの夫妻、初めて会話を交わす侯爵、事業の顧客。あらゆる人々を淑女の笑顔で捌いていると、庭のある場所が不思議と明るく見えることに気がついた。
そこにいるのは、かつてアカデミーで何度も見かけた男だった。
「……あれは、ディラン・ランチェスター公爵閣下?」
悪い噂が絶えなかった彼の父親にローレンスが当主交代を迫り、ランチェスター公爵家の代替わりが行われたのはつい最近の話だ。
「そうだ。……おや、珍しく連れがいるな」
ローレンスの言葉にアレクサンドラもすんなりと頷く。なぜなら、あれだけ女性を遠ざけていた彼が、清楚な淑女を連れているのだ。
じっと見ていると、二人はこちらへと真っすぐに向かってくる。
(……彼女は)
特徴的なピンクブロンドに清楚な顔立ち。どことなく庶民に近い雰囲気を漂わせているが、身のこなしは模範的な淑女そのものだ。
一ヶ月ほど前、田舎町で彼女とよく似た悪女に会った。
その女はアレクサンドラの元婚約者と同じベッドで眠りこけ、目を覚ますとふてぶてしい態度をとり、最終的に真っ青な顔をした両親に回収されていった。けれど今日ここに来ているのは、姿かたちはよく似ていても明らかに違う人間だとわかる。
アレクサンドラの目の前にやってきた彼女は、自然な仕草で美しい礼をしてみせた。
「エイヴリル・アリンガムともうすます」
「……そう、あなたが」
不自然な訛りが意味不明だが、あの半裸の女は絶対こんなことをしないだろう。そう思えば、確信は強まる。
――彼女こそが、自分がずっと憧れていた『自分より賢い令嬢』だと。
⟡.·
遠くない未来に、アレクサンドラは彼女が期待以上の才女だったと知る。
そして、彼女が演じる悪女のかわいらしさに夢中になってしまうのは、また別の話だ。
⟡.·
《無敵の才女 完》
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