44.不意打ちと
「!? 何!?」
急な停車だったのと、あまりにも衝撃が強かったため、二人は座席から滑り落ちそうになる。同時に馬のいななきが聞こえてきた。
これはただ事ではない。そう思って顔を上げると、向かいの席に座ったオフェリーはひどく慌てていた。そのまま様子を窺おうとし、扉を開けようとする。
「よ、様子を見てきます!」
「危険ですわ。少しお待ちになって」
「でも!」
「こういうときは、むやみに扉を開けてはいけませんわ。カーテンを大きく開けて、中に乗っているのが女性だけだと知られてしまうのも危険です。窓から様子を窺ってみましょう」
アレクサンドラはそう言うと、ずっと締め切っていたカーテンをほんの少しだけ持ち上げ、外の様子を窺った。石畳の道の先に、複数の男性の靴先が見える。おそらくこの靴は、身なりがきちんとしていない人間のものだ。
外からは、この馬車についている御者、護衛がこの男たちと言い争っている声が聞こえてくる。どうやら、この馬車は見慣れない男たちに囲まれているようだった。そして彼らは警察などではないし、国の検問でもない。
「乱暴者が馬車を取り囲んでいますわね」
「な、なんで……!」
「……」
オフェリーが思わずこぼした言葉にアレクサンドラは違和感を持つ。
(『なんで』? 恐怖よりも先にそれ? まるで、こうなることを予想していて、避けたかったみたいな口ぶりね)
それはともかく、一体ここはどこなのか。仮に王都の街の真ん中なら、こんなことがあればすぐに警察が飛んでくるはずだ。そう思い、カーテンの隙間からもう一度外を見る。
(でも、こんなときのためにあの男が私たちを尾行してくださっているわ。特に心配することはない)
「大丈夫ですわ。きっとすぐに警察が来ます」
「で、でも……!」
普段、頼んでもいないのに、自分を追いかけ回しているのだ。こういう時ぐらい役に立ってもらえるとありがたい。
落ち着いているアレクサンドラとは対照的に、オフェリーはすっかりパニック状態に陥っていた。急に席から立ち上がると、また扉を開けようとする。アレクサンドラは、眉間にシワを寄せた。
「オフェリー様、何をなさっているの? 扉を開けてはいけないとさっきもお伝えしましたわ」
「いいえ! 私が外に出てお話しすれば何とかなりますから。アレクサンドラ様はこの中にいらっしゃってください」
「そんなことできるはずがないでしょう? それなら私も一緒に出ますわ」
「⁉ そ、そんなのいけません! アレクサンドラ様は乱暴な人とは関わったことがないですよね? 大人しくしていてください!」
オフェリーは今までに見たことがない焦りの表情でアレクサンドラを必死に止めている。
(やはり、リーちゃんは私を守ろうとしているみたいね)
確信がさらに深まった瞬間、外で大きな罵声が聞こえた。
「⁉ 何!?」
カーテンを開けてみると、つい今まで馬車を取り囲んでいた男たちが地面に押さえつけられている。彼らを制圧しているのは、一見綺麗なスーツで正装をした紳士――王太子の護衛たちだ。
(よかった)
事態が収束したのを確認し、アレクサンドラは馬車の外に出る。その瞬間、馬車の後ろにうずくまっていた男が掴みかかってきた。
「!」
不意打ちだったため、気づくのが遅れた。
結果的に、無防備に男の前に立ち尽くす形になる。男の手にはきらりと光るものがあった。素手での戦いなら負けないがこれはまずい、反射的に思った瞬間に黒髪の男がアレクサンドラの前に立ちはだかる。
鈍い打撃音の後、知らない男の呻き声がして、ナイフが石畳に転がる音がした。
「……大丈夫か?」
聞き慣れた声。しかし、この男はどうしてこんなに余裕なのか。
王太子である彼は人並み以上には護身術を身につけているはずだが、こんな荒くれ者と対峙する機会はないはずだ。呆気に取られたついでに、少女だった頃の思い出が蘇る。
とある公爵家の庭で狼に襲われたアレクサンドラをローレンスが助けた日のことだ。腕にきつく巻かれたフロックコートから滴り落ちる血。弾薬の匂い。この男に似つかわしくない、安堵の瞳。それを見たあの日以来、物理で強くなろうと決めたこと。目の前の男と、その思い出が重なる。
「ありがとう……ございます」
あの時、その場で言えなかった素直なお礼の言葉が口をついてでた。
それを聞いたローレンスは顔を隠したまま目だけで微笑む。そして、秘密だとでもいうように口に人差し指を当て頷くと、去っていった。
(……!)
呆然と立ち尽くすアレクサンドラに、オフェリーが声をかけてくる。
「アレクサンドラ様! 大丈夫ですか!?」
少し遅れて馬車から下りたオフェリーは、やっとアレクサンドラが襲われたことに気がついたようだ。蒼い顔をして駆け寄ってくるが、ローレンスは去ってしまい、もう視界に入る範囲にいない。
アレクサンドラは、淑女らしく、静かに微笑む。
「ええ。警察の方が守ってくださいましたから」
「どうして? こんなに早く警察が気がついてくれるなんて! よ、よかった! でも、ただの警察で追い払えるような人たちではないはずなのにどうして……」
パニック状態のオフェリーはそこまで言って、慌てて両手で口を押さえた。目を泳がせて蒼い顔をしている。明らかにこれは彼女にとって失言なのだろう。
「……彼らについて何か知っているのかしら?」
問いかけると、彼女は頑なに首を振る。
「いいえ、何もわかりません」
「本当のことをお話しいただけませんこと? あなただけではなく私も危険な目に遭いましてよ?」
「だから本当に知らないんですってば! これだから生まれつき恵まれていた人って。思い通りにならないことが理解できないし、つまり人の心の痛みがわからないんですよね」
つい数秒前までアレクサンドラを本気で心配しているように見えたオフェリーは、いつもの口調に戻ってしまった。なんだか夢から覚めたような気分になるとともに、限界を感じた。
(これではダメね。無理に聞き出したとしても、彼女は嘘をつく。背後にあるものが大きければ大きいほど、無駄だわ)
いつの間にか、不審な男たちは完璧に制圧されて警察に連行され始めていた。当然、ローレンスの姿はどこにもない。さっき一瞬だけ自分を守るために出てきたものの、今は姿を隠して影から指示を出しているのだろう。
こういうところに彼の有能さが垣間見えて、アレクサンドラは心臓の拍動が収まるのをゆっくりと待った。正直、できる男は嫌いではない。
「帰りますわ。リンドバーグ伯爵家の馬車がいるところまで送ってくださる?」
「かしこまりました」
御者に告げたところで気がつく。この御者は御者にしては体つきがたくましくないだろうか。まるで騎士のような体格に、アレクサンドラは首を傾げる。
「あなたはいつもこの馬車に?」
「はっ……はい」
一瞬目が泳いだのを見逃さない。
(なるほど。やはり、彼の本職は御者ではないわね)
アレクサンドラと御者が話している間、オフェリーは蒼い顔をして動かなかった。
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