4.王太子ローレンス
「ああ、君もアカデミーに入学していたのか。アレクサンドラ・リンドバーグ嬢?」
(……どうしてここに彼がいるの⁉︎)
あまりにも予想外な事態に呆気に取られるアレクサンドラだったが、ローレンスは我が物顔で壇上から降りるとまっすぐにこちらへと近づいてくる。そうして笑顔を浮かべ、普通の令嬢ならうっとりしそうな低い声を響かせた。
「以前からアカデミーの講師にならないかと誘われていたんだ。今年は時間に余裕があるし、受けてみたんだが……まさかここに君がいるとはな」
「……私がアカデミーへ行くことはご存じだったのでは?」
「ははは、まさか?」
あまりにも白々しい笑いに、アレクサンドラの顔は引き攣った。これは間違いなく嘘だ。しかしここで取り乱してはこれまでの努力が水の泡だし、怒るなどもってのほかだ。
もしここで淑女の仮面を取ったら、ほぼ確実に婚約者の耳に入るだろう。アレクサンドラの婚約者、ロワリエ侯爵家の次男、マルセル・ロワリエは自主性のある女性を好まない。アレクサンドラがアカデミーへ行くと聞いて不満を示していた。
しかし、ロワリエ侯爵家は豪商であるアレクサンドラの実家が抱える事業と接点が欲しかったらしく、その時点でほぼまとまりかけていた婚約が破談になることはなかったのは幸運だった。
(お父様が認める家格の令息は皆、私が殿下に求婚されたことがあると知っていて私を避けるから、縁談をまとめるのに苦労したのよ。いつか本性を知られて婚約破棄されることになるとしても、殿下が伴侶を見つけるまでは我慢しないと)
努めて冷静でいようとするアレクサンドラに、ローレンスは完璧な笑顔を向けてくる。
「……偶然にも、私の担当は君が専攻する分野のようだ。王国経営学は幼い頃から学んでいて造詣が深いんだよ」
「あらまあ。王子様のお戯れは私には想像がつきませんでしたわ」
淑女の笑みを貼り付けて応じたものの、実際のところそんなの聞いていない。正直、彼に興味がなかったため情報不足なことは認めるが、彼がアカデミーで専攻したのは別のことだったはずだ。そこだけはきちんと調べたのだから間違いない。
ということは、彼はアカデミーでの専攻とは別の分野で講師の話を受けたことに加え、王国経営学も熟知しているということなのだろう。何でもできてしまうこの男は本当に何者なのだ。
そんなことを考えていると、完璧な王太子が自分たちの講師を務めることに湧いていた周囲のざわめきが、少しずつ変わったものになっていく。
「王太子殿下が親しげに話しているのは誰だ?」
「リンドバーグ伯爵家のアレクサンドラ嬢では」
「首席で入学した彼女か。代表挨拶をしていた」
「彼女、王太子殿下と親しかったのね。……ここで言うことではないのでしょうけれど、すごくお似合い……」
最後の言葉を聞いてアレクサンドラは我に返った。いけない。これ以上、この男と関わることは避けなくては。
見上げるような形になっていた顔を戻し、視線を机に向けたアレクサンドラは努めて冷静に言葉を選ぶ。
「……ご事情はわかりました。先生、早く授業を始めてくださいませ」
けれど、傍若無人な王太子は美しい顔に捻くれた笑みを浮かべた。
「君は今日もつれないな」
「⁉︎」
その瞬間、この日一番の悲鳴が教室を包んだのだった。
意外なことに、特別講師ローレンス・ギーソンの評判はすこぶる良かった。
あらゆる場所、あらゆる言葉で褒め尽くされる彼の頭脳はだてではなかったらしい。確かな知識をもとにし、意外にも機知に富んだ会話を含む講義は学生の間でも大人気になった。
そして、初回講義での一件は、あっという間にアカデミー中を駆け巡った。
「……今の」
アカデミーの廊下を歩くアレクサンドラとすれ違った男子学生の集団が、こちらを振り向く気配を感じる。その後でぴゅうと口笛の音が聞こえた。
「あれが才媛アレクサンドラ・リンドバーグか」
「あのローレンス殿下の微笑みに、表情ひとつ変えなかったらしいな」
「さすが堅物令嬢、か。高嶺の花だな」
そんな会話が続いて、アレクサンドラは平静を装い振り返らずに歩きつつも心の中で舌打ちをする。
(入学してまだ十日も経っていないのに、ローレンス殿下と親しいと思われているわ。やりにくい)
あれ以来、皆がアレクサンドラを遠巻きに見てくる。それは慣れたことなのだが、皆が二人の関係を邪推しているのも伝わってくる。
これでは外堀を埋められているようではないか。そのことが何より腹立たしい。
(何より、私はマルセル様と婚約しているのよ。いくらこの国の王太子とはいえ、横暴が過ぎるわ!)
ちょうど、今は学長に文句を言いに行くところだった。あの王太子をなんとかしてほしい、と直訴するのだ。
ここは王国最高峰のアカデミーである。いくら彼が王太子とはいえ、この機関の中では下っ端のはず。講師と生徒、節度を保った接し方をしてほしいと学長に訴えれば風向きは変わるに違いない。
そう信じ、アレクサンドラはノックをすると、勢いよく学長室の扉を開けた。
「失礼いたします!」
「ああ、来たか」
「え?」
学長室にやってきたはずのアレクサンドラの視界には、なぜか煌びやかな執務室が広がっていた。
今日はあともう1話投稿しておしまいです。




