35.心残りは
アカデミー二年の冬。
四季が割とはっきりしているブランウィル王国だが、今年の冬は特に冬らしい。雪がちらつく日も多く、アカデミーの学生たちは皆、制服の上にコートを着て通学している。
そんな中、シリル・ブランドナーの就職が決まった。アカデミー創立以来の秀才と名高いシリルの就職先は学生や先生たち全員が気にしているところで、皆が彼と顔を合わせるたびにお祝いを言っていた。
当然アレクサンドラもそうである。
「おめでとうございます。第一希望の国家会計局だそうですね?」
問いかけると、シリルはにこりと笑みを浮かべた。
「この三年間、ずっと成績は首席ですから、国家会計局のインターンにも欠かさずに参加していましたし、妥当なところでしょう」
「確かにその通りですわね。あなたが第一希望を国家会計局にしているのは皆が知っていることでしたし、特に驚くところではないわね」
アレクサンドラはそう言い、ふうと息を吐く。三年生の行き先が決まれば、後は年度末の試験を残すだけ。自分がここで過ごせるのは、あと一年だけだ。
「アカデミーでの毎日は生活は希望に満ちていて、それでいて刺激的でしたわ。シリル様はまもなく卒業ですし、私もあと一年しかここでの学びが得られないと思うと寂しいですわね。心残りなく卒業できるようにしなければ」
思わずそんな本音を漏らすとシリルが言葉に詰まった。
「……実はその件で、あなたにご相談が」
「何でしょうか? わざわざこんなところにいらっしゃったから、何かあるのかと思ってはいたけれど」
ここは図書館の個室だった。アレクサンドラがひとりで勉強しているところに、わざわざシリルは訪ねてきたのだ。就職も決まり、後は最後の試験を控えるだけとなったシリルは、授業への出席は免除されている。
残っているのは、わざわざアカデミーに来なくても執筆が可能な卒論だけのはず。そのためアカデミーの三年生が使っている教室はあまり人気がないし、校内でも上級生を見かけることはなくなっていた。
疑問を問いかけるアレクサンドラに、シリルは声を潜めた。
「一年前、アカデミーの帳簿に不自然な点を見つけたことを覚えていますか」
「それは……」
ローレンスに忘れろ、もう関わるなと言われたことを思い出して言葉に詰まる。しかしそれをわかっているはずのシリルはお構いなしに続けた。
「卒業するまでに、あの件についてもう一度調べておきたいのです。私が卒業して国家会計局に配属されれば、この件に関して外から調べる機会はいくらでもあるでしょう。ですが、内部から優等生の特権を利用して調べられるのはこれが最後の機会になる」
シリルの瞳は真剣だった。なるほど、どんなことでも正確に白黒をつけて分類をしておかないと気が済まない彼のことだ。
今ここで解決ができなかったとしても、将来調査をするために有利な資料が欲しいのだろう。
シリルからのわずかな情報だけでそれを理解したアレクサンドラは言葉に詰まった。ことがことだけに、はっきりとした返事ができない。
「協力したいのは山々ですけれど、ローレンス殿下に止められているのです」
「それはわかっています。無理を承知でのお願いです」
「……」
シリルのことは高く評価しているし、アカデミーでのこの二年間は彼のおかげで充実していたのだという自覚はある。彼の頼みであればできることは協力したい。
けれど。アレクサンドラは視線だけで周囲を見回し、個室のガラス扉の向こうに誰もいないことを確認してから小声で告げた。
「シリル様も、この件にクラウトン王国が関わっている可能性が高いということはご存じですよね?」
「ええ、もちろん。それでも調査しておきたいのです」
シリルの言葉と表情は決意に満ちていた。おそらく彼はここでアレクサンドラが協力を断ったとしても、一人で調査を始めるだろう。
不審な帳簿の真相に近づけば近づくほど、きっと彼は危険にさらされることになる。さすがにシリルがしくじることはないだろうが、この危険な調査を一人でやらせて良いのだろうか。
しかも彼は自分を頼っているのだ。それを、聞かなかったことにして本当にいいのか。しばし考えたアレクサンドラは、手元に開いていた資料をぱたりと閉じた。
「わかりましたわ。私も協力いたしましょう。ですが、お互いにこの件に深入りはしません。アカデミー内部にいる者独自の経路で資料を集めることが目的です。実際にこの件について追求するのはシリル様が国家会計局に就職された後、というお約束をいただけますか?」
「もちろん」
シリルの安堵したような笑みで、話はまとまったのだった。
アカデミーの不正な会計について再調査をすることにした二人は、善は急げでその足で資料庫へと向かうことにした。
アカデミー内の古い塔の奥にある資料庫は、講師と成績優秀者しか立ち入ることができない特別な場所だ。特別な金色のピンバッジを胸につけたアレクサンドラとシリルは、誰に申請することもなく、資料庫に入ることができる。
まさにこれがさっきシリルが言っていた、内部からの特権を利用して調べるということだ。
「国家会計局が調査する際、事前に通知が行きます。その間に資料を隠される可能性が高い。しかし、私がここに在学している間に内容を確認できていれば話は別だ」
「アカデミーがそんなことを……と思ったけれど、機密費をどこかに横流しするような悪事を働いているのだとしたら、考えすぎではないですわね」
小声でそんな会話をしながらアカデミーの長い廊下を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「シリル君……それとアレクサンドラ君も。二人揃って、こんなところでどうしたんだい?」
「マルク先生」
それは、シリルに目をかけていた寝癖頭のメガネの先生だった。




