31.ほろ苦い記憶の欠片
アカデミーからの帰りの馬車の中。オフェリーは、さっき見た景色を複雑な思いで回想している。
「どういうこと? アレクサンドラ様と王太子のローレンス殿下が親しいなんて聞いていないわ」
確かに、入学当初にそんな噂はあった。けれどその話はいつの間にか立ち消えた。
大きく触れまわっていた者たちはいつの間にか大人しくなり、二人の親密さを面白おかしく話す者はいなくなった。だから、オフェリーもそれは勘違いだと思っていたのだ。
心の中を支配するのは、ライバルと認識する完璧な淑女にしてやられたという怒りではなく、切実な焦りだった。
「困ったわ。このままではあの人の言う通りになるじゃない」
――七年前。
オフェリーが王都の外れで貧しい暮らしを送っていた、十歳だったときのこと。
病気がちだった母親が亡くなると、もともと酒に溺れていて家族を顧みなかった父親は、全く帰ってこなくなった。食べるものに困ったオフェリーは、病弱な弟を連れて修道院へ食料をもらいにいくのが日課になっていた。
王都の外れにある修道院の周辺は、自然に溢れている。森の中に古びた石造りの建物と門があり、施しを望むものは入り口の鐘を鳴らせばパンをもらえるようになっている。
オフェリーと弟はパンをもらいに行く常連だったが、とりわけ、日曜日の炊き出しだけは特別だった。パンの他に温かいスープとプディングがもらえるのだ。
この炊き出しがあるから、普段のひもじい生活も耐えられた。二人ぼっちになってから温かい料理が食べられるのはここだけ。姉弟は、スープとプディングの先に、亡き母の影を見ていた。
その炊き出しを手伝うのは、ボランティアで訪れている貴族令嬢たちである。オフェリーが見たこともないような煌びやかなドレスを着た彼女たちは、いつも白魚のような手でスープをよそってくれる。
彼女たちの姿は、まるで夢物語のように美しかった。この人たちは、自分とは生きる世界が違うというのだという強烈な印象に、あらゆることに恵まれた相手を妬むことすら考えつかなかった。
そんなある日のこと。
(あれ?)
オフェリーは修道院の庭にブローチが落ちているのを見つけた。
濃いピンク色の石の周りを、小さなキラキラとした光が彩っている。よく見ると、小さなキラキラとした光はすべて宝石のようだった。生まれてから一度も手にしたことがない、特別な石だ。
ずっしりとした重さに、オフェリーにもこれは高級な品なのだとわかる。
(あのお姫様たちの落とし物?)
これを売れば大金になることはなんとなく察した。けれど、盗むことなど思いつかなかった。それほどに、あの貴族令嬢たちは違う世界の生き物で、お姫様で、夢物語だったのだ。
手の中の濃いピンク色のブローチをじっと眺めたオフェリーは、持ち主を探そうと歩き始めた。
(こんなに素敵なものだもの。きっと真っ青になって探しているはず)
「お姉ちゃん、どうしたの? 落とし物?」
弟ティムからの問いに、オフェリーは頷く。
「そう。誰かがこの綺麗な石を落としてしまったみたい。持ち主を探さないと」
心配しているであろうそのお姫様に、これを早く届けてあげよう。そう思って、キョロキョロしていると、背後から大きな悲鳴が聞こえた。
「ない! ないわ! お母様に借りたブローチがない!」
見ると、ピンク色のドレスを着た少女が真っ青になってドレスの裾を翻し、周囲を見回している。身長はオフェリーよりも少し高いくらいの令嬢だ。雰囲気から、自分よりも二、三歳年上なのだろうと察する。
「本当にちゃんと探したの?」
少女の友人らしい令嬢が問いかけるが、ピンク色のドレスの少女は真っ青になったまま金切り声を上げる。
「探してるわよ! それでもないんだもの! もしかして盗まれたのかもしれない!」
「そんな高価なもの、ここに持ってきてはいけないとお母様に言われなかったの?」
「知らない! だって、借りたといっても宝石箱から勝手に持ってきたんだもの! どうしましょう、なくしたと言ったら絶対にひどく叱られるわ!」
オフェリーは、手の中のブローチと彼女を見比べる。
(きっとこれだわ!)
自分がこれを差し出せば、彼女はきっと喜んでくれる。オフェリーは純粋に思った。それがひどい状況に陥るきっかけになるなんて、全く思わなかった。
彼女たちは別世界のお姫様。自分たちのような俗物とは無縁の、天使のような存在にしか見えなかったから。
「あの、これ」
彼女に向けブローチを掲げてみせる。するとピンク色のドレスの少女は、がらりと顔色を変えた。
「それよ! 私のブローチだわ!」
「あの、これ、そこに……」
落ちていて、と続けようとしたオフェリーだったが、言葉は紡げなかった。
気がついたときには、地面にうつぶせに押さえつけられていたのだ。




