30.密会の目撃
アカデミーの二年生最初のレポートの作成は、皆が着々と進めていた。アレクサンドラも誰にも邪魔されることなく、図書館にこもり、納得のいく内容を書き上げていく。
最近、学長室には行っていなかった。理由は明白、ローレンスの担当する学生たちがひっきりなしにあの部屋を訪れるからだ。
(……まただわ)
図書館の隅から視線を感じる。そこには、アカデミーの制服を着た地味な学生の姿が見えた。けれど、アレクサンドラは彼の名前を知らないし、どの講義でも姿を見たことがない。彼を見るのは、図書館や廊下や中庭だけだ。
(あれは王太子の手の者でいいのかしら)
そんなことを考えながら、手元の資料に視線を戻す。これほどまでにアカデミーでローレンスと顔合わせないのは、昨年秋のアカデミック・ソワレの期間以来だった。
あのときは、講義以外の時間、ローレンスが王宮に戻り不審な帳簿に関わる調査をしていたという事情がある。それを除けば、こんなに自由な放課後は初めてのことだ。
まぁそれは自分が気にするようなことではない。彼が講師としてアカデミーにやって来なければ、アレクサンドラが自然に当たり前に手にしていたものだ。余計な思考は引っ込めて、レポートに集中する。
紙に万年筆のインクがするすると伸びていく。そこに影が落ちた。
「殿下からの言付けです」
見ると、ついさっきまで図書館の隅から自分を見つめていた青年がメモを差し出してくる。
「ありがとう」
彼がローレンスの息のかかった人間であることはとっくに察していたので、驚くことはない。折りたたんであったメモを開いて読むと。
「午後は腹痛で部屋を閉じている。報告に来い」
「腹痛って」
あまりにも、子供っぽい言い訳に思わず声が出た。
「失礼します。薬学研究室よりお薬をお届けに参りました」
「あはははは」
アレクサンドラを迎えた男は、明らかにお腹など痛そうではなかった。だが、それも全て予想の範囲内。アレクサンドラは抱えた箱の中からたくさんの薬を取り出す。
「研究室に行ったら、皆さん殿下に飲んでいただきたいお薬がたくさんあるようでこんなにもらってしまいましたわ。残念ですが、頭を治す薬はありませんでした。どれも自己責任でどうぞ」
「ふははははは」
ローレンスは涙を流して笑っている。
けれど、アレクサンドラは別に笑ってほしくてこんなことをしたわけではない。心底めんどくさかったので、妙な呼び出し方をするなと釘を刺したかったのだ。
「私は毎日アカデミーと屋敷を往復するだけの暮らしをしています。私の報告など聞いて何が面白いのでしょうか? そんなに珍しいことなどはありませんわ。強いていうならば、おかしな王太子につきまとわれていることぐらい」
「そんなつれないこといわなくてもいいじゃないか。せっかく久しぶりに会えたんだから」
まるで遠距離恋愛の恋人に向けるような言葉だ。アレクサンドラはジロリと彼を見る。
「もうしばらくこのままでもいいと思っていますわ。ずっとレポート期間ならいいのに、なかなかうまくいきませんわね」
「そう言わず座ってくれ」
ローレンスは苦笑しながら、アレクサンドラにソファを勧める。仕方がないので腰を下ろした。そこへ扉が開く音とともに、澄んだ声が聞こえてきた。
「失礼いたします。ローレンス先生の体調が悪いようですので、薬学研究室よりお薬を――」
顔を見せたのはオフェリーだった。
部屋の中で二人が向かい合わせに座っているのを確認した瞬間、オフェリーは完全に固まっている。
「えっ……?」
「ありがとう。だが、扉には入室禁止の札を掲げてあったはずだが?」
ローレンスの言葉に、オフェリーは我に返った様子だった。それでもまだ目を泳がせている。
「も、申し訳ございません。ですが、お薬なのでぜひと思い……ですが、アレクサンドラ様はなぜここにいらっしゃるのでしょう?」
(面倒な人に見つかってしまったわね)
アレクサンドラは表情こそ変えないものの、内心頭を抱えていた。
あれほどまでに、こちらを不正入学だと糾弾し、妙な噂を撒き散らしている彼女のことだ。この状況は一連の噂を肯定するのに十分なものだろう。
けれど肯定するわけにはいかない。アレクサンドラは動揺を感じさせない淑女の笑みを浮かべる。
「ローレンス先生はオフェリー様の担当講師ではありますけれど、私の先生でもありますのよ。ここで教えを受けていて、一体どんな問題が?」
「でも、この部屋は今立ち入り禁止じゃないですか」
オフェリーは自分のことは完全に棚に上げてアレクサンドラを糾弾してくる。これまでの一年間、アレクサンドラはここに通っていることを悟られないよう、細心の注意を払ってきた。
もともと学長室周辺は学生が通らない場所だが、それでもさらに人通りの少ない夕方の時間を狙って入室するようにしてきたし、学長室の扉前の銅像から周囲の様子を窺い、誰も見えなくても何となく怪しい空気のときは入らなかった。
そうやって、徹底してローレンスとの関係を悟られないようにしてきたというのに。完全に不本意である。
「まず誤解を解きたいのですが。私とローレンス殿下は全く特別な関係ではありませんわ。どちらかというと、ただの腐れ縁です」
「ひどいな」
ローレンスのツッコミが入ったが、いちいち反応してはいられない。けれど、明らかにそれを聞いていないオフェリーは薬箱を置くと叫んだ。
「ゴールドのピンバッジをつけるあなたが不正行為をしていることはみんなが気づいていますわ! ですが、私はそれを否定してきました。だって淑女のお手本であり、抜きん出た才女のアレクサンドラ様ですもの。それなのに……」
目には涙を溜め、怒りで唇を噛んだ彼女の表情は、どこか芝居かかっているように思えなくもない。けれど、それを指摘する前に、彼女は学長室から出て行く。
「こんなの絶対に耐えられませんわ! 私たちのように真面目な学生への裏切りです!」
扉が乱暴に閉まる。わけがわからない思いでそれを見送った後、アレクサンドラはローレンスと視線を合わせた。
「ご覧になりました? 今のアレ、どうしてくれるんですか?」
「せっかくだからこの機会に婚約でもするか?」
「しません」
ドスの利いた声で答えれば、ローレンスはまた笑う。オフェリーの言動などまるで視界に入っていないというような振る舞いである。
しかし、確かにアレクサンドラのほうもそれはそうなのだ。けれど、学園に通う皆は違うだろう。事実でない噂を真実に変えようとする悪人がいることは知っている。だが今はその悪人を消せる人間が味方だ。
それを考えると、今日の出来事はあまり大きなことではない。
「彼女に圧力をかけておこうか」
まるで、こちらの頭の中を見透かしたかのようにローレンスがいうので、アレクサンドラは彼を睨みつけるのだった。
「必要ありませんわ。そんなことをしたら、マルセル様と婚約している意味がなくなってしまうじゃないですか? それに、リーちゃんは面白そうですので、勝手に手を出さないでいただけます?」




