26.バルコニーで
「こんな端っこにいたのか? 逆に目立つぞ」
「ローレンス殿下」
今、最も見つかりたくない男に見つかってしまった。アレクサンドラは偽の笑みを浮かべると、隣にいるシリルの腕を掴む。
「シリル様にエスコートをしていただいていたのですわ」
「本当か」
「嘘です」
シリルは流れるように応じると、アレクサンドラの手を振り解いてローレンスにその場所を譲った。あまりにも素早く自然な行動に、顔が引き攣る。
「今の、酷くありませんこと?」
「まあいいじゃないか。さて、君にはご褒美をもらおうかな」
アレクサンドラの不満にはローレンスが笑みで応じる。ご褒美という言葉に、以前のやりとりが脳裏に蘇った。あえて知らないふりをすることにする。
「……ご褒美って、何のでしょうか」
「調査結果」
「!」
耳元で囁くように言われて、アレクサンドラは思わず手のひらで耳を押さえた。そんな仕草にはおかまいなしに、ローレンスはシリルにも声をかける。
「シリル殿も今聞くか?」
「後で伺います。お邪魔はしません」
「出世するよ、君は」
ふっと笑みを漏らしたローレンスはアレクサンドラの肩を抱き、すぐ後ろのバルコニーへと案内しようとする。
夜会でのバルコニーといえば、恋人たちの逢引きの場と決まっている。それはアカデミーでの夜会でも変わらない暗黙の了解なのだった。
(そんなところに二人でいるのを誰かに見られたら。たまったものじゃないわ!?)
自分を押し殺してお淑やかに過ごしているのが無駄になってしまう。けれど、頑として動かないアレクサンドラの肩を抱いたままのローレンスが、また耳元で囁くのだった。
「バルコニーへ行かない限り、ここで君の肩を抱いたまま動かないことになると思うんだが、そっちの方が妙な噂が広がると思わない?」
「それは一理ありますわね」
やはり、この男は一枚上手である。アレクサンドラは、大人しくバルコニーへと連れていかれることになった。
ベルベット地のカーテンの先には広めのバルコニーがあった。そこから見えるのは、アカデミーの夜の庭だ。今日のソワレのためにライトアップされていて、悔しいがとても雰囲気が良い。
この雰囲気を何とか台無しにしたいアレクサンドラは、隣の男のお気に入りについて話し出した。
「彼。助けてあげなくていいのでしょうか?」
そう言いながら、背後の会場内を指す。それは、ディラン・ランチェスター公爵令息のことだ。今ここに連れて来られるまでの間にも、彼が大勢の人々に囲まれているのを見た。
そつなくこなしているように見えたが、普段、社交を避けている人間にあの状況はあまりにも辛いだろう。しかしローレンスはけろりと言うのだった。
「いいんだよ。ディランの今日の役回りはあれだからな」
「はぁ?」
何を言っているのか意味がわからない。言葉から敬語が消えたアレクサンドラに、王太子は偉そうに説明を始める。
「私はこういう場に出ると注目を集めがちだが、あいつがいれば話は別だ。物珍しさもあって、あれの周囲には人だかりができる。対照的に、私の視界は開ける。だから今日は夜会に参加しろと命じた。王太子命令だ。ははは」
「ランチェスター公爵令息には、もう少し付き合う相手を考えた方がいいと進言してきますわ?」
思いっきり顔引きつらせれば、ローレンスはまた楽しそうに笑う。いつも偉そうな男が自分と一緒にいるときだけはこんなふうによく笑うのが不思議だ。
アレクサンドラは諦めてため息をつくと、夜の庭に視線を戻す。隣のローレンスがゆっくりと息を吐いた。
「信頼がおける人間はそんなにいないな」
「人を信じないのって疲れません? お立場のこともあるとは思いますけれど、今のままでは早死にしますわよ」
「信じて裏切られるよりずっといいだろう。国が転覆するぞ?」
「……」
口調は軽いものだったが、その一言だけでこの男が何を抱えているのかを実感した。もともとわかっているはずだったが、改めて目の前に現実として見えた気がする。
「……ランチェスター公爵令息のことはどうして信頼しているのですか?」
「あれは弟のようなものだ。ずっと一緒に育ってきたし、あいつの辛い場面もたくさん見てきた。それを助けたのは全部私だ。あれが私を裏切るはずがないだろう?」
「……やっぱり彼に、付き合う相手を考えたほうがいいとお伝えしたほうがいいですわね」
「だろうなぁ」
苦笑して応じた男の声は、いつもより柔らかかった。言葉ではこう言っているが、本当に弟のように思っているのだろう。面倒を押し付けるのは、逆にいうと彼でないとこなせない役回りだからであり、深く信頼して重用しているという証ではないのか。
(この人は、こういうところが……)
あらゆるものを手にする完璧な男の不器用さを感じ取ってしまい、うっかり絆されそうになったアレクサンドラは慌てて首を振った。それを見たローレンスは目を丸くする。
「何だ?」
「いいえ、何でもございません」
答えると、沈黙がバルコニーを包む。例の帳簿に関する調査結果を伝えるために、ここに自分を呼び出したのではないか。そう思うのだがなぜか聞けなかった。
(風が……)
秋の夜の風は冷たい。そしておしゃれとは我慢である。最先端の流行のドレスに身を包んだアレクサンドラは、正直今寒い。
けれどそれを表情に出さないことにも慣れている。だから、普段なら我慢を悟られる機会はない。しかし、ローレンスは自分が身に付けていたジャケットをアレクサンドラの肩にかけた。
「ありがとうございます。ですが、結構ですわ」
「ここは誰も見ていない。別にその流行のドレスに私の上着を合わせていたところで不格好だと笑う人間はいないだろう」
「それは……」
普段心がけていることを指摘され、アレクサンドラは目を泳がせた。
(いつもは他人のことなんて、全く気にしていないような人なのに。どうしてこんなときだけ)
その答えはわかっているが、はっきりと言葉にして認識するのが怖いような気がした。
「それで調査結果だが」
声音がはっきりと変わったのがわかる。ローレンスは一息ついて続ける。
「結論から言う。この先はもう踏み込めない」




