22.ご褒美のキス
「それで私のところへ来たと? いい判断だよ」
元は学長室だった、アカデミーの執務室で待っていたローレンスは上機嫌で微笑みかけてくる。それを前にしたアレクサンドラは複雑な感情をこらえつつ仕方なく視線を向けた。
「こちらの帳簿をはじめとした資料は、シリル様がアカデミーからお借りしているものだそうです」
シリルも状況を補足する。
「入学からずっとトップの成績を取り続けている私には、多くの権限が与えられています。日ごろからこのような資料の閲覧許可をいただいているため、今回もいつものように一般の学生には触れられない資料を借りたところ、発見に至りました」
「なるほど」
ローレンスは視線を鋭いものに変え、続けた。
「確かに見過ごして良いものではなさそうだな。だが、ここまでのずさんな管理方法をアカデミー側が気づかなかったはずがない。おそらく隠蔽工作が可能な位置に犯人がいるか、もしくはもっと何か大きな背景があるだろうな」
「国が関与しているということですか?」
すかさず問いかけると、ローレンスは首を振った。
「さすがにないだろう。だが、大貴族やそれ以上に厄介な存在がいることは十分に考えられる。君たちもこのことに気づいたとは絶対に口外するな。危険にさらされる可能性がある」
「承知しました。資料はすぐに元の場所へ戻します」
「あぁそうしてほしい。後は私に任せること。アレクサンドラに危険が及んでは大変だからな」
「……」
すぐにこういうことを言い出すこの男をなんとかしたい。しかし今はそんな場合ではないというのはわかっていた。アレクサンドラは不満を隠しこそしないものの、彼の判断に従うことにする。
「調査は王太子殿下にお願いしますわ。その権力を使ってさっさと真実を明らかにしてきてください」
「ああ、任せてくれ」
ローレンスがそう答えたところで、学長室の扉がノックされる。
「入れ」
許可の言葉の後に、茶色い髪の青年が現れた。青年はアカデミーの制服を着ていないが、不思議とこの空気に馴染んでいる。貴族生まれに間違いない。
(あら、この方は……ディラン・ランチェスター公爵令息のお付きの方ではないかしら)
見覚えのある顔にアレクサンドラは目を丸くするが、青年はアレクサンドラやシリルとは視線を合わせず、ローレンスへと謙った。徹底した臣下の振る舞いだ。
「主人が領地へ下がっており、代わりにレポートを提出に参りました」
「クリス、ご苦労。……ということは、あいつは今それほどに多忙なのか?」
「はい。呼び出しには断固として応じないと本人が申しております」
「そうか。それならしょうがないな。自分で動くしかないか」
苦笑したローレンスはアレクサンドラに向き直る。
「ご褒美は何をくれるんだ?」
「はぁ?」
思わず、敬意に欠けた声が出た。一応いつも敬意に欠ける自覚はある。しかし、今日のは格別だ。顔を引き攣らせて固まるアレクサンドラに、ローレンスは言うのだった。
「これが、王太子として当然の仕事なのはわかる。だが君からの頼みごとなのも事実。せっかく骨を折るのだから、それを口実にご褒美がほしいな」
「こじつけの口実だと自分でよくおわかりなのですね?」
冷たく言い放てば、ローレンスはまた声をあげて笑う。
「あはは。頬に親愛のキスでももらおうかな」
「!? 何を……」
てっきり、また軽口で結婚しろとでも言われると思っていた。思いがけない答えに動揺を見せると、ローレンスはソファから立ち上がった。
「それでクリス、あいつのところのクソジジイの様子はどうだ?」
「いつも通りです」
背筋を伸ばして頭を下げたままのクリスの肩を叩くと、ローレンスは彼を連れて学長室を出ていく。
「ちょっと!?」
これまでに受けたことのない類の無茶振りを残して、厄介な男はいなくなってしまった。
いつもは手加減されていたような気がして、眩暈がしたのだった。




