15.なりすましの男爵令嬢
ローレンスの案内で、アカデミーの裏口に準備された馬車に乗ることになった。乗り込むとすぐ、シリルが気まずそうにした。
「今さらですが、王太子殿下。私までご一緒して本当に良かったのでしょうか」
「気にしなくていいぞ。私も君を利用したようなものだからな。彼女は私と二人では馬車に乗ってくれないだろう?」
「確かに。でしたら寛がせていただきます」
「ああ、楽にしろ」
ローレンスの許可を受けたシリルは足を組むとカバンから本を取り出し読書を始めてしまった。
(この人図太すぎない⁉︎)
驚愕したものの、シリルは自分と同じで合理性を重視するタイプだ。この空間にいるのなら、極力空気になろうという考えなのだろう。となれば、この流れに乗らない手はないのだった。
「では私も」
当然のように課題を取り出そうと鞄の留め金に手をかければ、ローレンスがそれを押さえてくる。手は触れていないものの、距離が近い。
「⁉︎」
寛いでいいのではなかったのか、と顔を上げれば、爽やかに笑っているのに全く爽やかではない男がいた。
「王太子と一緒に出かけるのに、本人を無視するのは不敬じゃないのか」
「あら、不敬な接し方をしても許される王太子もいると思いますわ。少なくとも、尊敬できないと」
心の中で変態と呼んでいることが多いため、口に出るところだったが何とか「尊敬」に言い換えられてよかった。内心ほっとしつつ応じると、ローレンスはアレクサンドラから目を逸らしため息を吐く。
「なんだ。少し浮かれているのは私だけなのか」
「はぁ⁉︎」
「見ての通り浮かれている。普段はどんなに誘っても、義務感全開でお茶にしか出てきてくれないからな。王宮以外の場所は拒否。外デートは珍しい」
「……」
どこから突っ込みを入れればいいのかわからない。ただ、確かなことがひとつある。
「王太子に対して面と向かってこんなことを言うのはさすがに失礼だと思い、控えてきましたが……あなた、ちょっとイカれているのではないかしら?」
「その褒め言葉は初めて聞いたな」
「褒めていませんけれど???」
ローレンスだって、アレクサンドラが本当に褒めていないのはわかっているはずだ。それなのに余裕たっぷりに返されると、手の上で転がされているような気になってどうも落ちつかない。
(この人、私を王太子妃として最適な人間として見ているからこそ、こんなに構ってくるのに違いないのに、どうして浮かれているなんて言うのかしら)
一方、正面では、シリルがひたすら本を読んでいる。こんなに訳のわからない空気に満ちた馬車の中で、ここまで無関心で、さも何も起きていないかのように振る舞える彼はさすがだ。社会で生きていく能力が高すぎるしきっと出世するだろう。
とにかく、友人と一緒なら逃げ場はあると思ったはずなのに、完全に当てが外れてしまった。どこか適当なところで下ろしてもらおうか。いや、それはこの男が許さないだろう……と面倒さに頭を抱えていると、本人曰く浮かれているらしいローレンスが話題を変えた。
「オフェリー・バティーユが、リンドバーグ伯爵家に家庭教師を取られたと吹聴している件だが、本当に心当たりは?」
「少なくとも、私に家庭教師がつくようになってからはないですわ。ああ見えて、お父様は優秀な商人です。面倒ごとに発展しそうな家とは関わりを持ちません」
「確かに。現に面倒なことになっているしな」
苦笑するローレンスを見て違和感を覚える。
「私にとって、彼女はキャンキャン吠えているかわいいプードルのようなものなのですが……それなのに、殿下はオフェリー様を本気で警戒なさっておいでなのですか?」
「彼女が君に近づくことを不自然に画策しているのは確かだ」
ローレンスのアメジストの瞳が鋭く光った。それを目にしたアレクサンドラは察する。
(何か特別な事情がありそうね。アカデミー内のくだらないことにローレンス殿下が介入せざるをえない何かが)
「君のガードが硬いせいで奇策を講じることになったんじゃないか? これから噂を確かめに行く『アレクサンドラ・リンドバーグに成り代わろうとしている件』も含めるとおかしなところしかないな」
「あ」
そこで思い出した。それは、図書館でのシリルとの会話だ。
(私はあのとき、家庭教師の言動から察した『自分より賢い令嬢』の話をしたわ)
しかし、それでも場所は図書館だ。大きな声で会話をした記憶はない。もしその会話が誰かに聞こえていたとしたら、その人物は何らかの明確な意図をもって話を盗み聞きしていたことになる。
「つまり、あの後図書館に残って私とシリル様の会話を盗聴していたと。そして、『自分より賢い令嬢』の話が使えると判断し、うちに家庭教師をとられたことがある、という噂を流しているということよね。私が興味を持つように」
アレクサンドラの言葉に、ローレンスは笑った。
「にしても、君より賢い令嬢の話か。興味があるよな」
「探し出したらぜひご紹介を……と思いましたが、彼女が気の毒なのでやめておきます。イカれた王太子に追い回されては彼女の人生に支障が出ますし、きっとこの国にとっても大きな損失です」
「ふはははは」
(この男は……!)
お腹を抱えて笑うローレンスを軽蔑の目で見つめていると、シリルが意外そうに言葉を漏らした。
「……アレクサンドラ嬢の前で人が変わったように生き生きされるのは、王太子殿下の特徴かと思いましたが、アレクサンドラ嬢の方もそのようですね」
「なんですって?」
さすが、社会に出たら出世しそうな男。アレクサンドラは眉間に皺を寄せたものの、ローレンスは上機嫌で応じる。
「だろう? だから、私は彼女がかわいくて仕方がないんだよ」
「はぁ?」
生まれてこの方、かわいいなどと言われたことはない。かわいいという言葉は、どちらかというと愛らしいものを指すはずだ。思わず低い声で問い返してしまったアレクサンドラに、ローレンスは繰り返す。
「その怒りに満ちた顔もかわいいと言ったら君はさらに怒るだろう? だが無駄だ。私はさらに想いを募らせる。ふははは」
「本当にいい加減にしてくださいませ?」
これはいよいよ揶揄われている、と気がついて拳を握ったアレクサンドラだったが、そこでシリルが呆れたように話を戻すのだった。
「ここは二人ともおかしいという結論で収めて、せっかく嫌々誘いに乗ったんですから、真面目な話をしませんか」
「そうね。何よりも腹が立つのよ。私がこのアカデミーに入学したのは、『自分より賢い令嬢』にお会いしてみたいからという理由もあったんだもの。それなのに、そのご令嬢がいないばかりか……」
想像の中で、オフェリーのふわふわの銀髪が跳ねる。
キャンキャン吠える愛らしいプードルが、アレクサンドラがイメージする『自分より賢い令嬢』の影を追い払ってそこに居座った。その瞬間、握ったままの自分の拳から、指がぽきりと鳴った音が聞こえる。
(私が尊敬するお方の名誉を傷つけるなんて、やってくれるじゃないの?)
「……あのプードルには少しお仕置きが必要なようね。リーちゃん」
アレクサンドラはゆっくりと息を吐く。それから、目の前の状況に意識を戻すのだった。
「まあいいわ。それで、この馬車はどこに向かっているのでしょうか?」
「君が経営する店だ」
「……え?」
あまりにも不意打ちすぎるローレンスの言葉に、アレクサンドラは目を瞬いた。




