13.自覚の芽生え
狼は、アレクサンドラを後ろに守り、フロックコートを巻いた腕でガードするローレンスへと噛みつく。
「……っ!」
分厚く巻かれたコートは狼の牙を通すことはなかった。しかし、アレクサンドラから悲鳴が漏れる。
「! だ、大丈夫でしょうか!?」
「問題ない。こう見えて噛まれていない。腕を口の奥へ押し込んでいるだけだ」
「でも、血が」
左腕から赤い血が滴った。そうしているうちに、邸の庭へと繋がるテラスに銃を持った警備兵が現れる。それを見たローレンスは厳しい声で命じた。
「お前たち、これを早く撃て!」
「でっ……ですが、王太子殿下がっ」
「もし、お怪我をさせてしまったら……!」
公爵家の人間たちは皆、ローレンスに怪我をさせられないと二の足を踏んでいるようだった。それは、ローレンス自身の従者も同じことのようで、おろおろとするばかり。
「殿下、狼と近すぎて撃てません……!」
「……チッ。馬鹿が」
思わず本音を漏らしたところで、背後で守られていたはずのアレクサンドラが突然駆け出した。
ローレンスは狼の口に腕を押し込んで噛ませ、狼が彼女を追わないようにする。痛みがじわじわと増していく。
(彼女を逃がせてよかった)
冷静にそんなことを考えたのは束の間。
少し離れた場所で、弾薬を込めるとき独特の、カチャリという音がした。狼から気を逸らさないようにしつつそちらを見ると、どういうことなのか、護衛兵から猟銃を奪ったアレクサンドラがいる。
彼女は淑女には不釣り合いの銃を構え、不敵にも思える表情で言った。
「殿下! ……絶対に動かないでくださいませ」
「……わかった」
こんな状況なのに、思わず笑いそうになってしまった。周囲には王太子に銃を向けることができなくてへたり込む大人の男が数人。その中央で怯むことなく銃を構える彼女は『リンドバーグの大災厄』そのものだ。
(肝の据わり方がまるで軍神のようだな)
数秒後、狼は無事に仕留められたのだった。
数日後、王宮をリンドバーグ伯爵父娘が訪ねてきた。先日の茶会でのローレンスの振る舞いに対し、謝意を伝えるためである。
「娘をお守りいただき、心よりお礼とお詫びを申し上げます。しかし、尊きお方にそのようなお怪我を負わせてしまい。どう償えばいいのか」
蒼い顔をしてこれ以上はもう不可能なほどに頭を下げるリンドバーグ伯爵に、ローレンスは包帯を巻いた腕を見せて笑った。
「そうだな。腕がこれではしばらく不便だ。身の回りの世話をさせるため、彼女をしばらく貸してもらおうか」
「はっ! それはもちろん喜んでお受けいた」
「嫌です」
「アレクサンドラぁ⁉︎」
青ざめた父親の隣で、アレクサンドラは澄ました顔でカップを口に運んでいた。なぜかカップを持つ腕がぷるぷると震えている。
淑女としての振る舞いが身についている彼女らしからぬ仕草に、少しの疑問を覚えた。しかし、アレクサンドラはぷるぷるする腕でカップをソーサーの上に戻すと、口を開く。
「私、決めましたの」
「何をだ?」
問いを返したのは、父親ではなくローレンス自身だった。ちなみに父親は娘の隣で頭を抱え、ついでにお腹も押さえている。ストレスからくる胃痛と戦っているのだろう。それすら気にかけず、彼女は続けた。
「私は、殿下への感謝を示すためにも、自分を鍛えたいと思います。もう二度とお手を煩わせることがないように」
「……なるほど?」
まだ十三歳にもかかわらず才女として名高いアレクサンドラ・リンドバーグが、自力で問題を解決しようとするのは想像できたことだ。しかし自分を鍛えるとは。
疑問に包まれつつ笑いを堪えるローレンスの前で、アレクサンドラはドレスの袖を捲った。すると、白い腕に黒い革ベルトで固定されたバネが現れる。
「何だそれは?」
「馴染みの職人に作らせた筋肉養成装置です。これを身につけているだけで、一日中トレーニングができますの。自分自身で効果を検証した結果、上々ですので、近々商品化する予定ですわ」
「……くっ。ははははは」
思わず笑い出したローレンスに、蒼い顔をしたリンドバーグ伯がお腹を押さえながら必死で頼み込んでくる。
「あの、これには深い理由が……いえ、全然深くも何もなくそのままの理由なのですが、とっとにかく殿下、どうかこのことはご内密に。普通の伯爵令嬢がすることではありませんので、どうか外には漏らさないよう、どうか……!」
「あら、お父様は何事も大袈裟ですわ。ただ自衛の能力を身につけようとしているだけじゃない。ついでに、ビジネスチャンスが湧いたのだから逃さないのは当然のことでしょう? 何がおかしいのかしら?」
「全部だ。全部なのだよアレクサンドラ……」
不満そうなアレクサンドラと引き続き死にそうな顔のリンドバーグ伯の対比を前に、ローレンスの笑いは止まらない。
「わかっているのか? そうやってなんでも自分の力で解決しようとすればするほど、君は私の視界に魅力的に映ると」
「はぁ⁉︎ 殿下の趣味嗜好はおかしくってよ!」
「ふはははっ」
「何がおかしいんですか……⁉︎ あなたはいかれた変態にしか見えませんわ!?!?」
「ぅお……お願いだアレクサンドラ……お願いだから口を慎んで……父のためにもお願い黙って」
娘に追い縋る父と、どこまでもポリシーを曲げないアレクサンドラの様子に、部屋に居合わせていた側仕えの者たちも目を泳がせている気配がする。
――とにかく、リンドバーグ伯爵父娘は、散々騒いだ後で仲良く帰って行ったのだった。
帰り際、アレクサンドラは勝気な表情を引っ込めて、ローレンスに正式な形で挨拶をした。
「……助けてくださってありがとうございました。お怪我、どうぞお大事になさってくださいませ」
「ああ」
何気なく応じたものの、彼女のその美しい挨拶が失われずに済んだことに心の底から安堵した。そうして、思ったのだ。
(私はあの令嬢を、ただ“王妃候補に相応しい存在”として救ったのか?)
彼女の大人びた振る舞いと肝の据わり方は、到底五歳も年下とは思えない。
それでも、幼い頃から知っている仲だ。特別な感情を抱くことなどあり得ないはずなのに、正直、銃を構えた姿には目が釘付けになってしまった。
あれは何だったのか。ローレンスにとって、興味深い変化だった。
◇
回想を終えたローレンスは、執務机に置かれたオフェリー・バティーユの調査結果を手に取る。
(結局、あの事件は公爵家の令嬢がアレクサンドラを妬んで仕組んだものだった。私との婚約を断られた公爵令嬢が狼を庭に引き入れ、アレクサンドラを襲わせた。あの事件の真相はあっさり明らかになったが)
それは、こちらの手の上で転がされている人間が相手だからこそ早期解決したし真相を暴くこともできた。けれど、今回はそうではない。
ローレンスは資料を握る手に力をこめ、不敵に笑うのだった。
「彼女は私が絶対に守る。他の誰にも、触れさせはしない」
次からアレクサンドラ視点に戻ります。
一章はここまでです!
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