12.公爵令嬢からの罠
(ずっと、ただ賢いばかりの、王妃として最適な少女だとばかり思っていたが)
その関係にわずかに変化の兆しが見えたのは、ローレンス十八歳、アレクサンドラ十三歳だっただろうか。
アカデミーに入学したローレンスの周辺は、急激に騒がしくなっていた。もともとあらゆる人間から一目置かれていたローレンスは、婚約者を自分の目で選ぶのだろうと思われていた。
だから、これまでは王侯貴族から持ち込まれる縁談を無視していても、特に文句を言われるような事はなかった。
しかしローレンスも十八歳。いまだに婚約者がいないとなれば、自分のところにも望みがあるのではと考え始める家が出てくるのは仕方がないことではある。
とある公爵家から招待されて訪れた茶会で問題は起きた。
その場にはアレクサンドラも招かれていた。リンドバーグ伯爵家の令嬢を王太子が気に入って何度も王宮に呼んでいるという話は社交界でも噂になっていたのだが、二人が同じ茶会に招かれたのはこれが初めてのこと。
他にも大勢の令息令嬢が招かれた場だったが、注目が自ずと二人に集まりがちなのは仕方がない。それは普段ローレンスとは笑ってしまうほど距離を置いているアレクサンドラも理解していたようで、この日ばかりは不遜な態度を取ることはなかった。
「ご無沙汰しております。王太子殿下に拝謁いたします」
そつのない挨拶を述べ、カーテシーをしたアレクサンドラはどこまでも控えめで清廉に見えた。数年前まで『リンドバーグの大災厄』と呼ばれていたとは思えない可憐さに、ローレンスは思わず吹き出す。
「一体どうしたんだ。いつものはねっ返りはどこへ行った? まるで借りてきた猫じゃないか」
「殿下のお言葉は高尚すぎて私には理解ができません。どうかほかの方々とお話しくださいませ」
「君が本音を話すたびに両親が寝込むからか? 名医ならいくらでも手配してやる。自分を偽る必要なんてない」
「……わかっているのなら関わらないでくださいませ⁉︎」
「あははは。悪い悪い」
完璧に取り繕った外面から彼女の本心が見えるのは、こういう時だけだ。そして、自分はその瞬間がものすごく楽しいし好ましく思っている。
――彼女は自分のお気に入りだ。どんな目的であれ、アレクサンドラ・リンドバーグに手を出すことは許さない。
周囲にそう誇示し、牽制するためのはずの言葉だったのだが、この牽制は最悪な形で事件を起こすことになる。
茶会が終盤に差し掛かったあたりのことだった。
「誰か! 誰か!!!」
廊下から聞こえる、この茶会を主催した公爵家の令嬢の取り乱す声。ローレンスはその方向へと視線を移す。
長引いた茶会は、主な参加層である十代の令嬢令息にとっては退屈になりつつあったようで、それぞれが任意の相手と交友を深める会へと変わっていた。
参加者の半分はこのサロンからいなくなり、庭やライブラリーへと会話の場を移していた。アレクサンドラもこの部屋にいないことに気がついていたローレンスは、眉間に皺を寄せる。
「アレクサンドラ嬢は?」
「そういえば、いらっしゃらないようですね。すぐに確認を」
従者が動き出したのと、公爵令嬢がサロンに飛び込んでくるのはほぼ同時だった。
「アレクサンドラ・リンドバーグ嬢が! 庭で狼に――」
皆まで聞かないうちに、従者の肩を掴んで追い越し、庭へと向かう。
「!」
そこでは、庭の大木を背にして狼と対峙するアレクサンドラの姿があった。
この屋敷は王都の中でも貴族のタウンハウスが多く建つ区域にある。王宮に近く洗練された中心地ではあるが、一方で自然も多い場所だ。狼が迷い込むことは決してありえなくはないが、状況がおかしいのは一目で分かった。
しかしとにかく彼女を助けないといけない。アレクサンドラが追い詰められている場所まで、ここからは距離にして十数メートルほど。ローレンスは声を張り上げる。
「どうして誰も助けにいかない!」
「その、それが――」
公爵令嬢が目を泳がせたが、この場には銃を持った人間がいない。おそらく呼びに行っているのか、そもそも助ける気がないのか。
(どちらでもいい。王太子である自分が行けば、身代わりになってでも、確実に助けが来る)
ローレンスは傍にあったテーブルクロスを掴む。上に置いてあったグラスやカトラリーが不協和音を立てて落ちる音を聞きながら、庭を横切り、アレクサンドラの元へと走った。
「殿下⁉︎ 何をなさるのですか⁉︎ だ、誰か! 警備の人間に銃を持って来させて! 王太子殿下が狼に――」
公爵令嬢の声を後ろに聞きながら、ローレンスは狼の近くまでたどり着く。狼の低いうなり声が聞こえる。けれど、アレクサンドラは青ざめた顔しているものの、表情は冷静に見えた。
「ローレンス殿下⁉︎ どうしてここへ」
アレクサンドラの言葉が終わらないうちに、ローレンスは狼の頭上にテーブルクロスを投げた。視界が無くなった狼はクロスの向こうで踠いている。けれどそれも数秒のこと。
「私の後ろに!」
「は……はい!」
僅かな時間稼ぎの間にローレンスはフロックコートを脱ぎ、自分の左腕にぐるぐると巻き付ける。巻き終えたところで、狼の頭からテーブルクロスが外れた。
視界が自由になった狼は牙を剥いて再度こちらへと向かってくる。狼は、アレクサンドラを後ろに守り、フロックコートを巻いた腕でガードするローレンスへと噛みつく。
「……っ!」




