第30話
だが、そのまま家へ直行する選択肢など、初めから暁人たちにはなかった。最優先すべきは、別の場所にいる紬の安全確保だ。
「快、急ぐぞ!」
「ああ、分かってる!」
降りしきる豪雨の中、二人は傘も差さずに通学路を駆け出した。視界を遮る雨を乱暴に拭いながら、紬が通りそうなルートを必死に辿る。
そして、通りから少し入った古びたアーケードの陰。そこに、不安げに身を縮ませている見慣れた小さな背中を見つけた。
「紬!」
暁人の叫びに弾かれたように顔を上げた紬は、雨に濡れた二人の姿を認めるなり、泣きそうな顔で駆け寄ってきた。
「暁人くん、快くん……っ。急に、なんかすごく怖い感じがして……」
「もう大丈夫だ。迎えに来た」
震える紬の肩を抱き寄せ、暁人は周囲の気配を鋭く探る。遠くで、微かにパトカーのサイレンが鳴り響いていた。
「長居は無用だ。とっとと家に帰るぞ」
快が周囲への警戒を露わにしながら促す。
二人は紬を雨や見えない脅威から庇うように間に挟み込み、逃げるようにして家路へと急いだ。
激しい雨の中、ようやくたどり着いた家の中で、毛布にくるまった紬の表情には、張り詰めていた糸が切れたような安らぎがあった。
「本当によかった……。二人とも、無事でいてくれて」
紬の心からの安堵に、暁人は曖昧に頷くことしかできない。その脳裏には、先ほど道中で受けた非通知の電話――成瀬の冷徹な声が、呪いのようにこだましていた。
『――状況が変わった』
受話器の向こうからは、激しい金属音と建物の軋むような凄まじい轟音が鳴り響いていた。
『第3執行部隊は壊滅した。現在、現場は収拾がつかない。僕も召集がかかったから、これより君たちの監視任務を一時的に離れる。君たちは家でおとなしくしていろ。もっとも、このエリア一帯はもう長く持たないだろうがな。余計な動きを見せれば、君たちも排除対象として処理するしかなくなる』
「……第3執行部隊って!? 霧島の部隊だろ、あいつはどうなったんだよ」
『君たちが心配することじゃない。忠告はした』
そう言って、通話は一方的に切られた。
(霧島……)
成瀬は、このエリア一帯がもう長く持たないと言った。
(そんなの……家でおとなしくしていたって、紬や快が危ないじゃないか)
最優先で守るべき二人がようやく息をついたこの場所すら、安全ではない。暁人の胸に、猛烈な焦燥感が突き刺さる。
暁人が呆然と立ち尽くしていると、隣で様子を伺っていた快が眉をひそめた。
「……おい。さっきからどうしたんだよ。顔色が死んでるぞ。さっきの電話、誰からだったんだ?」
暁人は喉の奥で高鳴る鼓動を必死に抑え、無理やり口角を上げてみせた。ここで真実を話せば、紬はまた恐怖に怯えることになる。それだけは絶対に避けたかった。
「……ああ、学校の担任からだよ。近くで避難してるクラスのやつらがいないか気になってな。ちょっと家の周りとか、近くの様子を見てくる」
「は? こんな状況で、わざわざそんなこと……」
快が不審げに暁人の腕を掴む。その瞳には、暁人が何かを隠していることへの強い疑惑が浮かんでいた。
暁人は快の腕を掴み返し、紬に聞こえないほどの小声で、鋭く囁いた。
「……今は紬を休ませるのが先だ。頼むから、これ以上突っ込まないでくれ」
暁人の必死な眼差しに、快はそれ以上言葉を続けることができなかった。これ以上紬をパニックに陥らせてはならないというのは、快にとっても共通の最優先事項だったからだ。快は苦々しく唇を噛み、ゆっくりと手を離した。
「……すぐ戻れよ。何かあったら呼べ」
「ああ、頼りにしてる」
「暁人くん、無理はしないでね」
紬の心配そうな声を背中に受けながら、暁人は玄関のドアを開け、外へと飛び出した。
家の外へ出た瞬間、暁人の表情から先ほどの偽りの笑みが消え失せた。
一刻も早く快と紬を連れて、もっと遠くへ逃げるべきなのかもしれない。だが、俺たちを陰から守っていた霧島が倒れたまま放置されているなら、彼女をこのまま見捨てることなんて、暁人のプライドと責任感が許さなかった。
(戦うわけじゃない……生きていてくれ)
暁人は自分に言い聞かせるように、激しい雨の中を疾走した。
(救助だけなら……。倒れた凪を見つけ出して、連れ出すだけなら、今の俺にだってやれるかもしれない。あいつを助け出すことが、きっと快や紬を守ることにも繋がるはずだ)
それは、自分自身を突き動かすための、精一杯の責任感だった。
泥水を跳ね上げ、視界を遮る豪雨の中へ飛び込む。




