第29話
翌日、学校の屋上へと続く階段の踊り場。俺と快は、成瀬を呼び出していた。
昼休みの喧騒から切り離されたこの場所は、かつて霧島凪に世界の裏側を突きつけられた因縁の場所でもある。
「――へえ。白峰さん僕を誘ってくれるつもりだったんだ。断るように仕向けたのは、賢い選択だと思うよ」
成瀬は階段の手すりに背を預け、薄く笑いながら俺たちを見下ろしていた。その目は相変わらず、ガラス玉のように平坦で冷たい。
「てめぇ……二度と紬に余計に近づくな。俺たちの家に近づこうとするんじゃねぇ」
快が、今にも殴りかかりそうなほど低い声で睨みつける。
「言ったはずだよ、僕は霧島のように甘くはないって。君たちのおままごとに付き合う義理はないんだ。……まぁ、安心しなよ。僕だって業務外で君たちの生活に足を踏み入れたくはない。ただし、それは君たちがまともな人間でいられる間の話だけどね」
成瀬はすっと視線を落とし、俺たちの身体を凝視した。
「一ノ瀬くん。君、昨日の夜、自分の部屋で何度も過呼吸気味になっていただろ。深夜2時4分、3時12分、4時5分。……それから神城くん、君の平均体温は現在38度5分を推移している。普通の人間ならとっくに倒れてる数値だ」
「……っ、てめぇ……!」
快が絶句する。
成瀬は笑わなかった。ただ、冷酷な事実を宣告するように淡々と言葉を紡ぐ。
「どこからでも。それが僕の任務だからね。君たちの肉体は、僕らの予想よりも早い速度で人間の枠をはみ出し始めている。人間のフリをして白峰さんとご飯を食べている間も、君たちの秒針は壊れながら進んでいるんだよ。……忠告はしたからね」
成瀬はそれだけ言うと、俺たちの横をすり抜けて階段を降りていった。
その日の放課後、ついに決定的な事件の幕が上がる。
紬が「今日はクラスの出し物の話し合いがあるから、二人で先に帰ってて」と言うので、俺と快は重い足取りで校門を出た。
雨は相変わらず、世界を灰色に塗り潰すように降り続いている。
住宅街へと差し掛かったその時だった。
「――ッ!!」
突如、脳を直接割られるような、凄まじい耳鳴りが耳の奥で炸裂した。
世界の調律を狂わせるような悍ましい音。それは、あの時に路地裏で感じた感覚など比較にならない、圧倒的な密度の警告だった。
「が、はっ……あ、暁人……これ、なんだよ……っ!」
快が自分の耳を押さえ、アスファルトの上に激しく膝をついた。快の右腕の皮膚の下が、生き物のようにドクドクと不気味に波打っている。見た目には変化がないはずのその腕が、外に向かって弾け出そうとするのを、あいつは必死に左手で抑えつけていた。
俺自身の身体も、内側から燃え盛るような熱に支配され、呼吸がうまくできない。
「近く、だ……。すぐ近くに、とんでもねぇのがいる……! 街の方だ!」
俺たちが顔を上げたその瞬間。
遠くの繁華街の方角から、ズゥン……と、大地を揺らすような低い地鳴りが響いてきた。
その時、俺のスマホが激しく震えた。
画面に表示されたのは、登録した覚えのない番号。恐る恐る耳に当てると、受話器の向こうから聞こえてきたのは、いつもの爽やかな調子を完全に失った、成瀬の緊迫した声だった。
『――神城、一ノ瀬。今すぐそこから家へ向かえ』
「成瀬……? 何だよ!」
『鬼が現れた。現在、第3執行部隊が総力で迎撃に当たっている……が。作戦エリアがそっちに流れる可能性がある。いいから大人しくしているんだ、君たちを見ておく余裕はない』
ブツリ、と通話が切れた。
雨のカーテンの向こう、繁華街の空が、不気味な気配で覆われていくのを感じる。




