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喰情千界  作者: 遥斗
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第25話



放課後の教室は、部活に向かう生徒たちの声や、他愛のない雑談で賑わっていた。

その喧騒の中で、俺と快だけが、まるで時間の止まった空間に取り残されたように立ち尽くしていた。


「……暁人、どうする」

快が拳を握り締め、低く掠れた声で聞いてくる。その視線は、成瀬が去っていった教室のドアに固定されたままだ。

「行くしかないだろ。あいつ、紬の名前を出して脅してきたんだぞ」


もし行かなければ、成瀬が紬に何を吹き込むか分からない。あるいは、退魔庁という組織が紬を「人質」として扱う可能性だってある。あの夜、救助隊員の男が見せた底冷えするような笑顔を思い出し、俺は奥歯を噛み締めた。


「暁人ー? 快ー? 何突っ立ってるの? 置いてっちゃうよ?」

廊下から、カバンを抱えた紬がひょっこりと顔を出して、不思議そうにこちらを見ていた。その無垢な笑顔を見るだけで、胸が締め付けられるように痛む。


「わりぃ、紬。今日、ちょっと先生に呼ばれててさ。快と一緒に少し残らなきゃいけないんだ。先帰っててくれ」

「えー、そうなの? 珍しいね。じゃあ、お夕飯の準備して待ってるから、早く帰ってきてね!」


紬は疑うこともなく、元気に手を振って廊下を歩いて行った。

その背中が見えなくなるのを待って、俺たちは重い足取りで学校を後にした。




夜の帳が下り、街灯が寒々しい光を落とする頃。

俺と快は、あの忌まわしい繁華街の裏路地へと足を踏み入れていた。数日前、野良の鬼と遭遇し、霧島凪に冷徹な言葉を浴びせられた、あの場所だ。


壁の隙間から湿った風が吹き抜ける。奥へ進むと、暗がりの壁に背を預け、スマホの画面を眺めている人影があった。


「あ、来たね。律儀にどうも」


成瀬はスマホをポケットにしまうと、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。制服のネクタイを少し緩めた彼は、昼間の爽やかな転校生の面影はなく、冷酷な『執行官』の目をしていた。


「用件は何だ。俺たちをどうするつもりだ」

俺が強い口調で問い詰めると、成瀬は可笑しそうにクスクスと笑った。


「そんなに肩肘張らなくていいって。僕は前任の霧島みたいに、君たちを『バカな男の子たち』なんて感情的に見たりはしないから。君たちも僕に特別な感情は持たなくていいよ。僕はただ、効率的に任務をこなしたいだけさ」


成瀬は俺たちの目の前で立ち止まり、品定めをするように上から下まで視線を走らせる。その、まるで人間ではなく家畜を見るような冷たい目に、背筋がぞくりとした。


「君たち、自分たちについて、何か勘違いしてない?」


成瀬は退屈そうに首を傾げ、淡々とした口調で、とんでもない言葉を口にした。


「あの日、君たちがいたあの施設。あれが何のための場所だったか、まさか本当に知らないの? ……多分さ、君たちはただの『実験体』だったらしいよ」


「……実験体、だと?」

俺の言葉に、成瀬はフッと薄い笑みを浮かべる。


「そう。鬼の力を人間に植え付けるための、ね。だから今、君たちの身体、おかしいでしょ? 見た目は普通の人間っぽく取り繕えていても、中身はもう、まともな人間のそれじゃない。力が暴走したり、変な衝動に駆られたり……自覚、あるよね?」


「てめぇ……っ!」

快が激昂し、成瀬の胸ぐらを掴もうと一歩踏み出した。


その瞬間だった。


ドン、と空気が爆発したような錯覚に陥った。

成瀬の手が動いた、と認識できた時には、快の巨体が路地裏のコンクリートの壁に激しく叩きつけられていた。


「がはっ……!?」

「快……っ!?」


何が起きたのか分からなかった。成瀬はただ、軽く手を払っただけのように見える。それなのに、学校一の体格を誇る快が、一歩も動けずに壁に背中を打ち付け、苦悶の表情を浮かべていた。


「やめてよね、面倒ごと起こそうとするの」

成瀬は衣服の埃を払うようにトントンと肩を叩き、冷ややかに言い放つ。


「君たちが今こうして生きていられるのは、退魔庁がその『実験の結果』を観察する価値があると判断しているからに過ぎない。もしその身体の異変を隠して逃げようとしたり、僕たちに敵対するなら……その時点で強制排除。つまり、殺処分だね」


成瀬の言葉が、冷たい雨のように俺たちの脳内に染み渡っていく。

自分たちはただの被害者で、運よく生き残っただけだと思っていた。なのに、最初から仕組まれていたというのか。この身体の、快の右腕の異変は、すべてその実験のせいだというのか。


「ルールは二つ。白峰紬に僕たちの正体を明かさないこと。そして、僕の目の届かないところで勝手に爆発しないこと。君たちの普通の日常とやらを、少しでも長生きさせたいならさ」


成瀬はそれだけ言うと、踵を返して暗闇の奥へと歩き出した。


「じゃあ、明日も学校でね」


コツ、コツ、と靴音だけを残して、成瀬の姿が夜の闇に溶けて消えていく。

残された俺と快は、唐突に告げられたあまりにも残酷な真実、自分たちがもう「人間ではないかもしれない」という底なしの恐怖の前に、ただ言葉を失って立ち尽くすことしかできなかった。



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