第21話
その夜、俺は一睡もできなかった。
ベッドに横たわり、天井のシミを見つめているだけで、心臓が嫌な速さでドクドクと脈打つ。目を閉じれば、すぐにでもあの悪夢が引きずり出してきそうだった。
あの日、施設を地獄に変えたあのバケモノが、咆哮を上げて周囲のすべてを八つ裂きにする光景。
そして――、玄関先で顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた、紬の姿。
もし、俺と快があのまま路地裏で死んでいたら。
何も知らない紬が、冷めきった夕食の前でずっと俺たちを待ち続け、やがて二人の訃報を聞かされたら、あいつは一体どんな顔をして泣くのだろう。暗闇の中でそんな想像ばかりが膨らみ、恐ろしくて瞼を閉じることすらできなかった。
隣のベッドからは、快の寝返りを打つ重い衣擦れの音が何度も聞こえていた。あいつの実戦の傷は浅かったが、心に負った傷は俺と同じ、あるいはそれ以上に深いはずだった。
翌朝、カーテンの隙間から差し込む朝日が、ひどく白々しくて鬱陶しかった。
重い身体を引きずるようにしてリビングへ向かうと、そこにはいつも通りの、いや、いつも以上に明るい紬の姿があった。
「あ、暁人、快! おはよう! ちょうど今ご飯できたところだよ。ほらほら、早く座って!」
キッチンからトントンと小気味よい音を立てて、紬が朝食の皿を運んでくる。
湯気を立てるお味噌汁に、綺麗に焼かれた卵焼き。昨日あんなに大泣きしたはずなのに、紬の目は少し赤く腫れているものの、その表情には満面の笑みが浮かんでいた。
彼女なりに気を使っているのだということは、痛いほど分かった。昨日の険悪な空気を引きずらないように、またいつも通りの「帰る家」として俺たちを迎え入れようと、必死に明るく振る舞ってくれているのだ。
「……あぁ、おはよう」
「……おぅ」
だが、俺たちの口から出たのは、鉛のように重く、掠れた返事だけだった。
どうしても、紬のように明るい声を作ることができない。目の前のご馳走を前にしても、喉の奥がぎゅっと詰まっていて、箸を持つ手に力が入らなかった。
快に視線をやると、あいつは自分の右手をじっと見つめたまま、ただ黙って白米を口に運んでいた。いつもなら大盛りでおかわりするはずの飯が、全く減っていない。
いつもと変わらないはずの食卓。
それなのに、俺たちの間には、目に見えない決定的な亀裂が走っているようだった。
「ごちそうさま。……俺、ちょっと早めに学校行くわ」
そう言って席を立った。
「えっ、まだ時間あるよ?」と心配そうに首を傾げる紬の視線から逃げるように、俺は制服のブレザーを引っ掴んで玄関へ向かう。快もまた、無言で俺の後に続いた。
アパートを出て、いつもの通学路を歩く。
すれ違う高校生たちは、誰もが今日の小テストや部活の連絡について楽しそうに話している。昨日まで、俺たちもその普通の中にいたはずだった。
「……暁人」
隣を歩く快が、前を見つめたまま、消え入りそうな声で呟いた。
「霧島……学校、いるよな」
「あぁ」
俺はきつく拳を握りしめた。
霧島凪。学校で見せていた、あの可憐で優しいクラスメイト。
そして昨日、冷徹な目でバケモノを屠り、俺たちを監視対象と呼んだ、あの知らない少女。
彼女に聞かなければいけないことが山ほどあった。
退魔庁とは何なのか。あのバケモノ、『鬼』とは何なのか。そして、俺たちの身体に一体何が起きているのか。
踏み切りの警報機がカンカンと鳴り響き、遮断機が目の前で下りる。
その鈍い赤色を見つめながら、俺の胸の中には、冷たい確信だけが居座っていた。
俺たちはもう、あの温かい日常には戻れない。
その予感が、濁った水のようにじわじわと、俺たちの足元を浸食し始めていた。




